「島村さん。一週間ほど経ったがこの店にやってきた怪しい男はいたか?」

 監視の話か。これは毎日聞かれている。職務に忠実なことで。うーんと頭を巡らせるけれど、怪しい人は見かけなかったし、声もかけられなかったと思う。

 「えっと……いなかったと思いますけど」
 「そうか。もし何か気づいたことがあればすぐに教えてくれ」
 「わかりました」

 こくりと頷くと、本多さんがふっと小さく笑みを零した。とたんにひゃあっ、と黄色い悲鳴が上がる。お客さんたちはよく見ているなぁと思わず苦笑いをしていると、目の前の精悍な顔の眉間の皺が増えて、口角は不機嫌そうに下がっている。
 あれ? もしかして……。

 「お巡りさん、こんにちは! 今日も来てたんだ!」

 カフェーには似つかわしくない幼い声が天井に跳ね返る。振り返ればこちらに向かって、小さな体が元気いっぱいに駆け寄ってきた。

 「あ、こら。実!」

 テーブルに手をついた実は本多さんの顔を覗き込むように見上げている。出てきてはいけないって言っているのに。

 「こんにちは、実。今日もお母さんを守っているか?」
 「もちろんだよ!」
 「いつも頼むよ。小さなお巡りさん」
 「まかせて!」

 ふんすと鼻息荒くして答え、瞳をキラキラと輝かせる。うちの子、かわいいっ。ついつい頬が緩んでしまう。

 「ねえ、お巡りさん。ぼく、お巡りさんのお話を聞きたい。本物のお巡りさんになるためにはどうしたらいいの?」

 こてんと小首を傾げた実は庇護欲をくすぐるほどかわいい。でも、これはおねだりが上手くいくと思って強かにしている行動だ。私は見逃しませんよ。

 「実、お巡りさんは忙しいのよ。すみません、ご迷惑をおかけして」
 「迷惑じゃないさ。休憩も兼ねているし、まだ時間もあるから」
 「え、ホント!?」

 実の声に被さって、え、ホント!? と小さな呟きが方々から聞こえてきたのは幻聴ではないはずだ。
 おっと、また本多さんの眉間の皺が増えた上、本多さんに時間があるとわかった女性客がそわそわし始めた。これは良くない。誰かが突撃する可能性がある。
 でも、私の推測が当たっていれば本多さんは……。

 「あの、ご迷惑でなければ実に話を聞かせてもらってもいいですか? 実はお巡りさんに憧れているんですよ」
 「そうだったのか。実、俺で良ければ話をしよう」
 「やったー!」
 「ありがとうございます。よかったら、あちらの奥の席に移ってもらってもいいですか? 実がはしゃぎそうですし、女性の視線を気にせず話せると思うので」

 いつも星占いの依頼の時に使う奥の席を指で指し示せば、本多さんがわずかに目を見開いた。

 「君は……気づいたのか」
 「あ、やっぱりそうですか」
 「すまない。助かる」

 小声で言った本多さんの眉間の皺が緩み、表情が和らぐ。推測は当たったみたい。どうやら女性が苦手らしい。

 「実。お巡りさんを案内できる?」
 「できるよ! お巡りさん、こっちだよ」
 「わかったよ。実」
 「すみません。少しだけ実をよろしくお願いします」

 実は本多さんの手を取ってぐいぐいと引っ張る。小さな手に引っ張られた本多さんはホッとした様子で立ち上がった。

 「ああ、そうだ。追加の注文を。珈琲のお代わりと実にシベリアを」
 「わーい、やった! ぼく、甘いもの大好き!」

 わずかに眉尻を下げて本多さんが注文した。お礼のつもりなのかもしれない。真面目だなぁ。申し訳ないから断りたいところだけど、きっと相手は望まないだろう。対して実はよだれが垂れそうなほど口元をゆるゆるにさせながら笑う。欲望に忠実だなぁ。

 「かしこまりました。後でお持ちしますね」

 本多さんが実と去った後、方々から落胆の溜息が聞こえてきたけれど、私は気づかないふりをしてさっさと厨房に注文を伝えに行った。
 この対応が良かったのか。それからというもの、本多さんが実の相手をしてくれるようになった。
 年の差は随分と離れているだろうけど、どうやら気が合うみたい。会った時の二人は楽しそうにしている。時折、文字を書く練習をしているらしく、本多さん曰く、学習意欲の高い実に教えるのが面白いらしい。