監視というくらいだからこっそり陰から見られると思っていたし、複数の警官が順番に監視につくと思っていた。そう思っていたのだけれど。

 「八重さん。本当に無事で良かったわぁ」
 「ありがとうございます、雪江さん。はい、こちら珈琲でございます」

 麓音館の常連である雪江さんが、通りを眺められるいつもの席で寛いでいる。私が珈琲豆の深い香りが立ち上るカップをテーブルにことりと置くと、おっとりと雪江さんが笑みを浮かべた。

 「ありがとう。良い香りだわぁ」

 別れさせ屋の仕事の帰りに事件に巻き込まれてから一週間が経った。
 あの後すぐに詠子さんとともに鈴木男爵家の奥様とお会いし、仕事が無事完了したこととご迷惑をおかけしたことを謝罪した。奥様はお優しい方で事件に巻き込まれてしまうきっかけを作ってしまったと、逆に謝罪をされてしまい罪悪感がちくちくと胸を刺した。だって仕事終わりに起きた出来事だから私のせいだと思うし。

 「まさか事件に巻き込まれるなんてねぇ」
 「お借りした着物を汚してしまってすみませんでした。どうお詫びすればいいのか……」
 「気にしないでぇ、八重さん。もう謝罪はいただいたし、奥様は気にしていないわよぉ。この間も言ったけれど、むしろ鈴木家の女中の服を着ていたから進作さんが気づいたのよ。だから良かったのよぉ」
 「すみません。ありがとうございます」

 私の身元確認をしたのは雪江さんの恋人の早川さんだったらしい。恋人の働き先の着物と一緒だったから、すぐに鈴木男爵家だと分かったそうだ。周りに助けられていたのだと胸が震えてこっそり涙してしまった。

 「あれから奥様のご様子はいかがですか?」
 「旦那様はすっかり大人しくなってねぇ。奥様は悩みの種がなくなって、毎日機嫌よくお仕事に打ち込んでいらっしゃるのぉ」
 「それは良かったです」

 今回はヘマをしたようなものだし反省しきりだけれど、奥様の憂いがなくなったと聞くと仕事が上手くいって良かったなとホッとする。

 「奥様が改めて感謝を伝えたいって言っているのよぉ。必要なら謝礼をもっと弾むともおっしゃっているのよぉ」
 「いやいや、大丈夫です! もう十分にいただきましたから。奥様は懐の深い方ですね」
 「私の自慢の主人だものぉ。でも八重さんの気持ちもわかるから、改めて奥様と一緒にカフェーに来るわぁ。売上貢献だったら断らないでしょう?」
 「ありがとうございます。詠子さんが一番喜びます」
 「うふふ、それはそうねぇ」

 おっとりと微笑んで雪江さんは珈琲を一口飲んだ。

 「ところで八重さん」
 「はい?」
 「どうしてあの方がいるのぉ? ここのところ毎日来ているって聞いたけど」
 「さ、さあ。私にはわからないですけど……」

 雪江さんがぴっとかわいらしく指差したその先には、女性客から熱い注目を浴びる男性が席にいた。

 「本多様の珈琲を飲む姿がかっこいいわ」
 「壁にかかっている聖母子の絵画と相まって、本当に美しい絵のようね」

 ひそひそと囀るうっとりとした高い声。それは全て壁に飾っている西洋画の聖母子の絵画の近くの席に座っている男前に向けられている。並みの男性なら羨ましい状況だろうけど、本人は眉を顰めて気難しそうに珈琲を飲んでいる。ここ数日毎日見られる光景だ。本多さんが店に来る理由を知っているのは私と詠子さんだけ。
 あの日の翌日から毎日警察による警護という名の監視が始まった。一日中監視しているわけではなく、時間をずらして少しの時間行われる。
 ただ監視員は複数の警官が交替で行うのかと思いきや、監視は本多さんだけで。初めの二、三日は店の外から行われていたけれど、当然のことながら女性の視線を一身に集めてしまい監視どころではなさそうだったので、結局店の中で堂々と監視をしてもらうことになった。
 提案したのは詠子さんだ。本多さん目当ての客が増えるからと。その目論見は大当たりで詠子さんの鼻歌が止まらない。現在カフェーは満席の時間も多く盛況だ。

 「あらぁ? こっちに向けて手招きしていないかしらぁ」

 雪江さんの言う通り、確かに本多さんが眉を顰めたままこちらに手招きしている。ええー、何で私に手招きしているんだろう。
 雪江さんに頭を下げて本多さんの席に近づいた。すると、すぐに女性客の嫉妬を含んだ視線が集まる。本多さんに近づくとこういうことがよくある。うう、背中がちくちくと痛い。

 「本多さん。ご注文ですか?」

 眉を顰めたままの本多さんから鋭い視線が向けられる。