「心配をかけてすまない。警官の本多だ。君のお母さんには警察に来てもらっていた」
 「え、警察に!?」

 実が目を丸くして固まった。しまった。ちゃんと私から話さなきゃ。口を開こうとしたら本多さんが軽く手を上げて制してきた。

 「よく聞いてほしい。君のお母さんは悪い奴に狙われていたんだ」
 「わ、悪い奴に!?」

 きょとんとして、さらに目を大きく見開いた。

 「そうだ。そこで我々警察が君のお母さんを保護した」
 「そうだったんだ」

 子どもに対して真剣に話す本多さんに、実が神妙に頷く。話が真逆なんだけど……正直に話すには確かに子どもには向かないけれど。

 「だが困ったことに、まだ悪い奴は捕まっていないんだ」
 「そんな……! お母さんはまた狙われちゃうの!?」
 「安心してくれ。お母さんは警察がしばらく警護することになった」
 「は? 警護!?」

 なにそれ聞いてない! まさかの事態に今度は私がぴしりと固まる。

 「お母さんを守ってくれるってこと?」
 「そうだ。しばらく警護することになるがかまわないだろうか。それと君にも協力してほしい。小さなお巡りさん」

 本物のお巡りさんに「お巡りさん」と言われ、実の大きな瞳が朝日に負けないくらいキラキラと輝いた。

 「もちろんだよ! まかせて」
 「君、名前は?」
 「実!」
 「実、よろしくな」
 「うん!」

 えっへんと言わんばかりに胸を張る実のかわいいこと! 本多さんの大きな手が伸びて実の頭を優しく撫ぜた。

 「お母さん。ぼく、お巡りさんなんだって!」
 「良かったわね」
 「詠子さん。ぼく、お巡りさんになったよ!」

 瞳をキラキラとさせたまま小さな身体が飛び跳ねる。勢いのまま詠子さんのもとへ駆けだした。あんなに喜んじゃって。実がうれしそうなのはいいけれど。

 「あの、どういうことですか。しばらく警護って。私は保釈されて自由になったんじゃないんですか」

 実に聞かれないように小さく抗議すると、本多さんがすっと立ち上がってこちらに近づいた。私より随分と背の高い本多さんに見下ろされ、耳元に顔を寄せられる。

 「島村さん、今の君の状況は証拠不十分だっただけで犯人の可能性は捨てきれていない。そんな君が半日だけで解放されると思うか?」

 告げられた言葉に目を瞠った。

 「……警護じゃなくて、監視ってことですか」
 「君の提案だ。監視すればいいと」

 確かに言った。言ったけれども。警察と縁が切れない状況に唇を噛んだ。

 「それに第一発見者でもある君が狙われる可能性は十分にある。最近は帝都の若い女性を狙った連続殺人事件も起こっているから身の回りは気をつけた方が良い」
 「それは、そうですけど」
 「実が悲しむような状況を作りたくはないだろう?」

 それを言われると断りたくても断れないじゃない。ちらりと実と見ると嬉しそうな顔をして詠子さんにまとわりついている。私は深く溜息をついた。

 「わかりました」
 「物分かりが良くて助かった。明日から始めさせてもらう」

 本多さんは顔を上げてニッと口の端を上げた。俳優も顔負けの男前の表情は、きっと世の女性たちの心を奪ってしまうだろうけど、私はそれどころじゃない。
 仕方がない。大切なものを守るって、お嬢様とも約束したのだ。こちらだって身の安全のために利用してやればいい。

 「そうだ。気になっていたんだが、そちらは麓音館のオーナー、ですね? で、島村さん、君は女給のはずだ。先日鉛筆を落とした女給だろう」
 「え……」

 急に話の矛先が変わり、ぴくりと口角がひくついた。これでも変装をしていたんだけど。本多さんの指摘に嫌な予感がして、詠子さんと目配せをする。

 「君を見た時から気になっていたんだ。なぜ女中姿に? 身元確認が鈴木男爵家だったことに違和感があった。もしかしてカフェーは表の顔なのか」

 鋭い指摘に内心ドキリとする。

 「……興味深いな」
 「あの、もしかして今回の事件と関りがあると思っているんですか?」
 「さあ、どうかな。興味深いことは確かだ」

 本多さんに意味ありげな視線を向けられ、詠子さんと私は同時にげっ、と顔を顰める。もし関りがあると踏んでいるのなら、早い段階で詰め寄られているはずだ。だとすると、事件に関わりなく興味を持ったってことか。ややこしい事態になったわ。内心頭を抱えた。

 「さてと、今日はこれで失礼するよ」
 「お巡りさん、もう行っちゃうの?」

 本多さんの行動に気がついた実がいそいそと駆け寄ってきた。

 「ああ。仕事が残っているからね」
 「また会える?」
 「もちろん」
 「わかった。お巡りさん、またね!」

 実は物分かりよくこくりと頷くと、元気よく手を振った。

 「またな、実」

 ぽんと実の頭を一つ撫でた本多さんは、くるりと踵を返して去っていった。
 遠ざかっていく背中にへなへなと身体の力が抜けていく。とにかくどっと疲れた。これが明日から続くのか。そう思うと身体がぶるりと震えて、羽織っていた外套を引き寄せた。

 「あ、しまった。外套!」

 これ、本多さんの! 返すのを忘れていた。気がついた時にはもう遅くて。すっかり背中は見えなくなっていた。