あっという間に連れられてきたのは、飴色の艶やかな柱と洋風の窓が印象的な、陽の当たる明るい広い部屋。
 ここはお嬢様の部屋……? 一年働いているけれど、入室は許されていなかった。

 「さあ、ここに座って」

 お嬢様がぽんぽんと叩いたのは、どうみても高級な、丸みを帯びた洋風の木製の椅子。こ、こんな椅子に座ったこと、ない。
 恐る恐る座ってお嬢様の顔を伺えば、目を柔らかく細めて微笑んでくれた。黒曜石のような美しい瞳を持つ見目麗しい姿を持つお嬢様の微笑みは、まるで月の女神のようでぽかんと口を開けてつい魅入ってしまう。

 「寒いかもしれないけれど、背中を見せてくれるかしら。蕗、お願い」
 「はい。月子お嬢様」

 近づいてきた蕗さんの手には容器に入った塗り薬が見えた。びくびくしていると椅子に横座りの体勢にさせられ、着物をするりとはだけさせられた。

 「これはひどい。背中じゅう傷らだけになっていますね」
 「傷が治らないまま、また傷を作っているみたい。気づいてあげられなくてごめんなさい」

 お嬢様に謝られた? と思ったのもつかの間、背中にぬるりとした感触と、ヒリヒリと沁みる感触が広がる。

 「……っ」
 「沁みて痛いわね。でも、少し我慢して。がんばって」

 蕗さんの少し低い温かい声に励まされながら、ぐっと唇を噛みしめて耐えた。

 「はい、薬はおしまいよ」
 「……ありがとうございます」
 「これは誰にされたの? この別荘で暴力沙汰があるなんて。もしかして、いつもなの?」

 お嬢様に顔を覗き込まれて、うっと喉が詰まった。言ってしまってもいいんだろうか。言えば牢獄から抜け出せるのか。でも真実を伝えたところで、きっと環境は変わらない。

 「あ、あの……手当をありがとうございました。でも、お嬢様の手を煩わせるわけにはいきませんので」

 それに、もしお嬢様と一緒にところを見られれば、何をされるかわかったものじゃない。
 すぐさま着物を直して椅子から降りようとしたら、お嬢様に肩をぐっと押されて叶わなかった。

 「ごめんなさい。私が甘かったわ」

 はっと顔を上げると、お嬢様がじっと私を見ていた。

 「女中の中に、あなたに手を上げる者がいると考えた方が自然よね。あなたがそれを口にすれば告げ口になってしまって、また手を上げられる。今度はわたくしの行動で傷つけられるかもしれない」

 じっと息を潜めていると、お嬢様がそうだわ、と呟いた。

 「あなたをわたくしの専属の女中にするわ」
 「え!?」

 思いもしない言葉に、ガツンと鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
 この人は今、何を言った?

 「それはようございますね、お嬢様」
 「そうでしょう? 我ながら名案だわ」

 にこにこと微笑む二人に唖然としたけれど、そんな夢のような話なんて、私にあるわけがない。どんなに願ってもこの牢獄から出ることなんてできない。

 「そんなこと、叶うはずがありません」
 「そんなことないわ。わたしくしはまだ十六歳だし、体は弱いけれど、この屋敷の主人よ。わたくしが決められるの。それに、わたくしは真面目に頑張っている人を側に置きたいの。あなたがいつも一生懸命に働いてくれているのを知っているのよ」
 「見て、いるのですか?」

 まさか見られているなんて。病弱なお嬢様が屋敷をうろうろしているなんて、思いもよらなかった。

 「そうよ。ここの主人だもの。療養しているけれどずっと部屋に籠っているわけではないのよ。暇になってしまうし。今日もうろうろしていたらあなたを見かけて。気になってついて行ったの」

 だから、あんな黴臭い倉庫室にお嬢様が現れたんだ。

 「それに、あなたの名前を知っているのよ」
 「え?」
 「八重。あなたの名前は八重でしょう?」

 信じられない。まさか下っ端の女中の名前を知っているなんて。
 目を真ん丸にして驚いている私に、お嬢様は口元に手をかざして、ふふ、と笑った。

 「びっくりした?」
 「は、はい」
 「八重。あなたの背中の傷は、わたくしの主人としての落ち度よ。だから、主人として成長するところを一番近くで見て欲しいの。いいでしょう、八重?」

 凛とした声音が私の脳に響いて、神経を通して体中に広がった。
 これは、夢? いいの、本当にいいの?

 「八重」
 「は、はい」
 「八重、あなたは今日からわたくしの専属の女中よ」
 「は、はい!」
 「それとね……わたくしの、友達になって」

 はにかみながら頬を桃色に染めたお嬢様は可愛いらしい、と思った直後、今日一番の衝撃を私に与えた。びっくりしすぎて、ぽかんと口を開けて固まってしまった。
 お嬢様は、びっくり箱みたいな人だ。


 それからというもの、私はお嬢様の専属女中になって、専属女中の先輩の蕗さんと同室になり環境が一変した。同じ女中なのに美味しい食事や着物が与えられ、自分がいかに虐げられていたのかがわかった。大人で優しい人々に囲まれて、手を上げられることなく新しい仕事を覚えていく日々。
 そんな中、私に手を上げた先輩女中の二人に、それに見て見ぬふりをしていた女中たちは辞めさせられた。お嬢様はこの家の主人として采配を揮ったのだ。

 ――主人として成長するところを一番近くで見て欲しい。

 お嬢様の言葉通りに、私はしっかりと見届けた。