刀真の体調が快復し数日経った。天気は夏にも感じられるほどの暑さと晴れ。梅雨明けも発表されており、体感通り夏が到来していた。
「大変だよ! とうくん、鏡花ちゃん!」
そして季節の変化と共に雨の日から始まったこの日常もまた大きく変わろうとしていた。
「どうしたの姉ちゃん」
「茜さん? 何かあった?」
午後五時、最近は日が延びてまだ外は明るいものの、一日の終わりでもある時間に、茜が切羽詰まった顔で家に来る。そんな表情はほとんど見せたことがなく、それだけで事態の深刻さを感じ取る。
「とりあえず、中に上がって」
一旦部屋に入ってもらいお茶を出して丸机を三人で囲んだ。茜は一口水分を取り少し落ち着きを取り戻す。
「ありがとう、とうくん」
「珍しいね、姉ちゃんがそんな慌ててるなんて」
「そうね、どうしたの?」
「そ、それがね……」
茜は鏡花の方へと向き直り鏡花と視線を交差させる。
「結論から言うとね、鏡花ちゃんのお父さんが鏡花ちゃんと話がしたいみたい」
「お父さんが?」
どんな異常事態かと思えば、全然普通の事で拍子抜けした。何なら遅いくらいだろう。
「そこまで焦る事?」
「いや、その内容が……彼氏疑惑の事で」
「は?」
全く斜め上の方向の話が飛び出して、思わず素っ頓狂な声が出てしまう。
「え、お嬢様彼氏いるの?」
「あるわけないでしょ、こんな生活してるんだから」
刀真は想像以上に動揺してしまって、変な質問をしてしまう。
「だ、だよね」
そしてその答えを聞くと安堵した。鏡花も父親も同じような気持ちなのだろうかと少し共感も覚えた。
「なら、どうしてそんな疑惑を持ったんだろう。同居はしてるけど、それは姉ちゃんが説明してくれたし」
「それが……鏡花ちゃんは彼氏がいるって噂が学校であるのは知ってる?」
「ええ。友達からもクラスメイトからも聞かれたわ」
「そんな噂が広がるほど、お嬢様ってやっぱり人気あるんだね」
「別にそんなのじゃ――」
「当然だよ! こんなに可愛いんだもん!」
「あ、茜さん……止めてよ」
謙遜を食い気味に肯定する。鏡花は恥ずかしそうにする。
「でも噂の出処って……」
なんだろうと言葉を出す前に気づいてしまう。刀真は小声で鏡花に尋ねる。
「もしかして……あれ?」
「そう。クラスメイトに見られてみたい」
「まじか……」
その可能性を恐れてはいたが現実のものとなっていた。だが、あの時の宣言していた通り鏡花は気にしている様子はない。
「にしても、それで何でお父さんが出てくるのかしら」
「それが……その相手が今同居してる人なんじゃって」
その流れだと当然出てくる疑念だった。
「でも、お父さんは茜さんの弟だから大丈夫ってなってたのに」
「とうくんとの関係もそうだけど、何なら弟というのが嘘で彼氏の家に泊まってるんじゃないかとすら言ってて」
「はぁ? それって茜さんを疑ってるって事?」
いつになく不機嫌な声を出す。
「多分、信じたいけど、心配で不安で確証が欲しいんじゃないかな。だから本人の言葉から聞きたいみたいで、呼んでいて欲しいみたいなの」
「結局お父さんは――いえ」
また非難の言葉を続けそうな流れを鏡花は止める。そして一瞬刀真刀視線を合わせて。
「ちょうど良い機会かもしれないわね。ちょうど明日は土曜日だし、家に戻るわ」
「も、戻るの?」
突然の心変わりに刀真は面食らってしまう。それに対して、鏡花は前から決めていたというような強い意志が瞳に宿っていた。
「鏡花ちゃん、大丈夫?」
「問題ないわ。お兄さんにも言われたけど、ずっとこのままでいる訳にもいかないから」
「で、でもお嬢様はどうして急に」
確かに向き合う事を決めてくれたのは歓迎すべき事だが、展開が早すぎてついていけなかった。
「変な勘違いでお兄さんに迷惑かけられないし。それに――」
「それに?」
鏡花は少し逡巡した後に、何かサプライズを仕掛けようとする子供のような微笑みを浮かべると。
「やっぱり終わってから話すわ」
「えぇ、教えてよ」
「後で必ず話すから、お兄さんは待ってて。頑張ってくるから」
「……うん、頑張れ」
本当葉刀真がそれをしたかったが、先を越されてしまった。良いところをまた見せられず情けなくなるが、こうなってしまえば応援するしかなかった。
※
「お兄さん、起きてる?」
その日の夜、同じタイミングでベッドに入り少し経った後に鏡花から声をかけられる。まだ眠れそうになく、刀真は返事を返した。
「起きてるよ、どうしたの?」
「ちょっとお話したくて」
「もしかして、お父さんの事?」
「まぁ、そんな感じ」
覚悟は決まっているような様子だったが、声の感じから不安がにじみ出ていた。
「緊張してる?」
「……ええ」
強がる事もなく、かなり余裕がない事が伺えた。
「お父さんと久しぶりに話すし、こんな本気で向き合う事なんて、今までなかったから」
「何かこっちまで緊張してきたかも」
「ふふっ、どうしてよ」
「だって、俺も無関係じゃないし」
普段しっかりしている鏡花が弱気だと、より状況の難しさを認知させられる。ただ、年上としてこんな時こそしっかりしないととも思っていた。
「そんなに不安がらなくてもお嬢様なら大丈夫だよ」
「そう、かしら」
「俺よりもしっかりしてるし、お父さんは心配しているだけだから、ちゃんと話せばわかってくれるよ」
大した根拠も確証もない励まししか出来ないが、それくらいしか言えなかった。
「って、こんな事言っても気晴らしにもならないかな」
「そうでもないわ。言葉だけでも今の私には心強いの……だから」
鏡花はそこで言葉を区切って一泊挟むと。
「鏡花頑張れって……言って。お嬢様じゃなくて名前で」
そう純白で可愛らしいお願いが飛んできて、思わず刀真の胸に庇護欲が広がる。
「頑張れ、鏡花。俺も姉ちゃんもついてる」
急に名前呼びして気恥ずかしさもあるが、それを隠しながら何とか言い切ることに成功した。
「ありがとう、刀真お兄さん」
急に名前を呼ばれるとその新鮮さに、やけに胸にまで響いて浸透してつい悶えそうになる。
静寂を壊さないよう全身に力を入れてその衝動を抑えている内に隣からは小さな寝息が聞こえてきた。そこで、ようやく平然を取り戻し刀真もまた眠ろうと目を瞑る。
しかし、鏡花の名前呼びされた余韻は残り続けその声が永遠とリピートされしばらく寝つけなかった。
「大変だよ! とうくん、鏡花ちゃん!」
そして季節の変化と共に雨の日から始まったこの日常もまた大きく変わろうとしていた。
「どうしたの姉ちゃん」
「茜さん? 何かあった?」
午後五時、最近は日が延びてまだ外は明るいものの、一日の終わりでもある時間に、茜が切羽詰まった顔で家に来る。そんな表情はほとんど見せたことがなく、それだけで事態の深刻さを感じ取る。
「とりあえず、中に上がって」
一旦部屋に入ってもらいお茶を出して丸机を三人で囲んだ。茜は一口水分を取り少し落ち着きを取り戻す。
「ありがとう、とうくん」
「珍しいね、姉ちゃんがそんな慌ててるなんて」
「そうね、どうしたの?」
「そ、それがね……」
茜は鏡花の方へと向き直り鏡花と視線を交差させる。
「結論から言うとね、鏡花ちゃんのお父さんが鏡花ちゃんと話がしたいみたい」
「お父さんが?」
どんな異常事態かと思えば、全然普通の事で拍子抜けした。何なら遅いくらいだろう。
「そこまで焦る事?」
「いや、その内容が……彼氏疑惑の事で」
「は?」
全く斜め上の方向の話が飛び出して、思わず素っ頓狂な声が出てしまう。
「え、お嬢様彼氏いるの?」
「あるわけないでしょ、こんな生活してるんだから」
刀真は想像以上に動揺してしまって、変な質問をしてしまう。
「だ、だよね」
そしてその答えを聞くと安堵した。鏡花も父親も同じような気持ちなのだろうかと少し共感も覚えた。
「なら、どうしてそんな疑惑を持ったんだろう。同居はしてるけど、それは姉ちゃんが説明してくれたし」
「それが……鏡花ちゃんは彼氏がいるって噂が学校であるのは知ってる?」
「ええ。友達からもクラスメイトからも聞かれたわ」
「そんな噂が広がるほど、お嬢様ってやっぱり人気あるんだね」
「別にそんなのじゃ――」
「当然だよ! こんなに可愛いんだもん!」
「あ、茜さん……止めてよ」
謙遜を食い気味に肯定する。鏡花は恥ずかしそうにする。
「でも噂の出処って……」
なんだろうと言葉を出す前に気づいてしまう。刀真は小声で鏡花に尋ねる。
「もしかして……あれ?」
「そう。クラスメイトに見られてみたい」
「まじか……」
その可能性を恐れてはいたが現実のものとなっていた。だが、あの時の宣言していた通り鏡花は気にしている様子はない。
「にしても、それで何でお父さんが出てくるのかしら」
「それが……その相手が今同居してる人なんじゃって」
その流れだと当然出てくる疑念だった。
「でも、お父さんは茜さんの弟だから大丈夫ってなってたのに」
「とうくんとの関係もそうだけど、何なら弟というのが嘘で彼氏の家に泊まってるんじゃないかとすら言ってて」
「はぁ? それって茜さんを疑ってるって事?」
いつになく不機嫌な声を出す。
「多分、信じたいけど、心配で不安で確証が欲しいんじゃないかな。だから本人の言葉から聞きたいみたいで、呼んでいて欲しいみたいなの」
「結局お父さんは――いえ」
また非難の言葉を続けそうな流れを鏡花は止める。そして一瞬刀真刀視線を合わせて。
「ちょうど良い機会かもしれないわね。ちょうど明日は土曜日だし、家に戻るわ」
「も、戻るの?」
突然の心変わりに刀真は面食らってしまう。それに対して、鏡花は前から決めていたというような強い意志が瞳に宿っていた。
「鏡花ちゃん、大丈夫?」
「問題ないわ。お兄さんにも言われたけど、ずっとこのままでいる訳にもいかないから」
「で、でもお嬢様はどうして急に」
確かに向き合う事を決めてくれたのは歓迎すべき事だが、展開が早すぎてついていけなかった。
「変な勘違いでお兄さんに迷惑かけられないし。それに――」
「それに?」
鏡花は少し逡巡した後に、何かサプライズを仕掛けようとする子供のような微笑みを浮かべると。
「やっぱり終わってから話すわ」
「えぇ、教えてよ」
「後で必ず話すから、お兄さんは待ってて。頑張ってくるから」
「……うん、頑張れ」
本当葉刀真がそれをしたかったが、先を越されてしまった。良いところをまた見せられず情けなくなるが、こうなってしまえば応援するしかなかった。
※
「お兄さん、起きてる?」
その日の夜、同じタイミングでベッドに入り少し経った後に鏡花から声をかけられる。まだ眠れそうになく、刀真は返事を返した。
「起きてるよ、どうしたの?」
「ちょっとお話したくて」
「もしかして、お父さんの事?」
「まぁ、そんな感じ」
覚悟は決まっているような様子だったが、声の感じから不安がにじみ出ていた。
「緊張してる?」
「……ええ」
強がる事もなく、かなり余裕がない事が伺えた。
「お父さんと久しぶりに話すし、こんな本気で向き合う事なんて、今までなかったから」
「何かこっちまで緊張してきたかも」
「ふふっ、どうしてよ」
「だって、俺も無関係じゃないし」
普段しっかりしている鏡花が弱気だと、より状況の難しさを認知させられる。ただ、年上としてこんな時こそしっかりしないととも思っていた。
「そんなに不安がらなくてもお嬢様なら大丈夫だよ」
「そう、かしら」
「俺よりもしっかりしてるし、お父さんは心配しているだけだから、ちゃんと話せばわかってくれるよ」
大した根拠も確証もない励まししか出来ないが、それくらいしか言えなかった。
「って、こんな事言っても気晴らしにもならないかな」
「そうでもないわ。言葉だけでも今の私には心強いの……だから」
鏡花はそこで言葉を区切って一泊挟むと。
「鏡花頑張れって……言って。お嬢様じゃなくて名前で」
そう純白で可愛らしいお願いが飛んできて、思わず刀真の胸に庇護欲が広がる。
「頑張れ、鏡花。俺も姉ちゃんもついてる」
急に名前呼びして気恥ずかしさもあるが、それを隠しながら何とか言い切ることに成功した。
「ありがとう、刀真お兄さん」
急に名前を呼ばれるとその新鮮さに、やけに胸にまで響いて浸透してつい悶えそうになる。
静寂を壊さないよう全身に力を入れてその衝動を抑えている内に隣からは小さな寝息が聞こえてきた。そこで、ようやく平然を取り戻し刀真もまた眠ろうと目を瞑る。
しかし、鏡花の名前呼びされた余韻は残り続けその声が永遠とリピートされしばらく寝つけなかった。



