「そういえば、マリー、何で居残りになったの?」

「課題ちゃんとやれって」

「当たり前でしょ」

「いや、でも簡単すぎてやる気出ないから。簡単なのをたくさん解くのってつかれるだろ」

「まぁ……わからなくもないけど」

「な?」

「怒られたんならちゃんとやんないと。先生にも補佐にも怒られるよ」

「補佐ってどっちの?」

補佐は、基本的にボク達の任務遂行や、上の方々の仕事を補佐してくれる。で、その補佐をする人は2人いる。女性の補佐、カルロッタと、男性の補佐、アビゲイルだ。

「アビゲイルの方。数学の教師なんだって噂あるらしいよ」

「へえ。で、今日出た課題は?」

「数学が問題集の4ページから10ページの基本問題と標準問題、国語が言語技術プリント1の課題3から6。で、理科2が問題集の今日の授業の範囲、つまり2から4ページ。で、来週までに地理の小論文だよ」

「覚えてんのかよ……」

マリーがやりたくないとボヤきながら、めんどくさそうにゆっくりとカバンの中から課題を取り出す。数学はアビゲイルに、理科2は得意だと言うカルロッタに、地理はマリンに質問しながら課題をこなしていく。

「国語どうしよ……」

小さくつぶやいて、疲れた背中を丸めて顎を机の上に置く。すると、カルロッタがふと口を開く。

「ナギア様は国語がお得意のようですよ。国語の教師だそうですし」

「いや、ナギア様に聞くのはハードル高いよ」

ディルタには一応上下関係がある。昔マリンに言われた言葉がふっと脳裏を横切った。

『一番上の御方は邪神様。地球の命運を司る神様の片割れみたいな存在だね。普段、あーしたちが会うことはないけれど。この基地にいる人の中で最も権力が強いのはセザン様。滅多にお見えにならないけど、補佐たちはたまに会うことがあるらしいよ。その次がリーザ様。あーしたちが直接話す機会はほぼないけれど、会えば会話は弾む……サイコパスな御方だね。その次がエヴァ様。冷たい、低いお声の持ち主。月に一度くらいはお顔を合わせることができるかな。その次がナギア様。ナギア様とは結構会う機会が多いみたい。補佐はナギア様と親しいらしいね。それで、あーしら。一番下っ端。上の人に気に入られなかったり、何か失敗すればすぐに殺される、使い捨ての駒。良くない口をきけば、一瞬で終わりだよ。すぐに殺される』

ボクがナギア様に課題の質問をする、つまり軽口を叩く。そんなことをしたら、あっというまにボクは殺されるってことだ。高1で死?そんなのまっぴらごめんだ。

「でも、ナギア様はそう簡単に私たちのことを切り刻むことはできないと思いますけどね。お優しいですし、私たちと仲良くしたいとおっしゃられていましたよ。何かあったら私の責任ということにしておきますので」

と、予想外のことが起こった。

「課題の話か?」

冷たい声が部屋を貫き、ゼリーの向こう側で時間が止まったかのように空気が張り詰める。ボクはゆっくりと顔を上げる。そこに立っていたのは、まぎれもなくナギア様だった。背が高くて、冷静な瞳。でも、ただ静かなだけじゃない。その目はすべてを見透かすような冷たさを宿していた。ボクは、急いでナギア様に向かって跪く。まるで、自分たちが口にした「ナギア様」の名前が、この御方を呼び寄せたみたいだった。マリーが息を呑み、マリンの表情が一瞬固まる。カルロッタだけは平然と、慣れたようにナギア様を見つめている。シャーロットはまだ幼いせいか、それほど緊張している様子じゃないけど。でも、ボクの体はじわじわと強張っていく。

どうする?どう答える?

間違った言葉を選べば、命を落とすかもしれない。 ほんの些細な軽口が、致命的な結果を招くことになる。ボクは、喉の奥が乾いていくのを感じた。

「……ええ、今日出た課題について話していました」

冷静に答えた、つもり。でも、声がわずかに揺れたのを自分でも感じた。ナギア様は微動だにせず、静かにボクを見つめたまま。その沈黙が、余計に恐怖を掻き立てる。

「それで?」

それで?――その一言が、鋭い刃のように突き刺さる。これ以上何を話せばいいんだろう。

「……国語の課題が少し難しくて、どうしようかと考えていたところです」

次の瞬間、ナギア様の唇がわずかに動いた。

「そうか。ウィル、君に私は助言をするべきか?」

淡々とした口調。その言葉の裏に何が隠されているのか、ボクにはわからなかった。答えを誤れば、処分される可能性がある。
ここで、どうする?
沈黙が長く続けば、それ自体が無礼に当たる。でも、軽々しく頼めば、それもまた命取りになる。ボクが答えを探していると、カルロッタが静かに口を開いた。

「ナギア様、もしお許しがいただけるのであれば、ウィルにご助言をいただければありがたく存じます」

なんでもないように聞こえる言葉。でも、カルロッタの声は、ボクにとってとても大事だった。ナギア様は、カルロッタに一度視線を動かし、ウィルに視線を戻す。

「……わかった」

その一言で、氷のように張り詰めた空気がすっと溶ける。でも、ボクの心臓はまだ速く脈打っているまま。

「別に、そこまで強張らなくていい。これごときで殺しはしない。ただ、私じゃなければ殺されていたかもな」

ナギア様は、それだけ言うと、課題について淡々と語り始めた。まるで、一連の流れをすべて計算していたかのように。視線を落とせば、手元のゼリーが小さく揺れている。一口もらった冷たさが、今では遠い出来事のようだ。この場面は、単なる国語の課題の話じゃない。この対話そのものが、試されている。でも、この緊張感が楽しい。死と隣り合わせの対話。それが、ボクを興奮させる。少しして、課題の話が終わり、ナギア様はお帰りになった。足音も残さず、まるで風に溶けるように。

ボクは、ナギア様の背中をぼーっと見つめていた。