「さぁ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!」

 晴れ渡る空の下、広場の端から客引きの声が聞こえてきた。周りにはたくさんの人々の姿があったが、誰もその声に見向きはしない。
 それもそうだろう。男がいるのは露店。しかも、サーカス団のテントと勘違いしてしまいそうな造りだった。
 開け放たれた入口から見えるのは、背の高い長机。

 こんな怪しい露店に、誰が近寄るというのだろうか。男は一向に集まって来ない客に痺れを切らせ、店の外に出てきた。
 すると、一人の少年が前を通り過ぎていく。それも上品な服を着ているではないか。
 男は目を輝かせて、声をかけた。

「そこの坊っちゃんもいかがですか? 世にも珍しい、喋るばかりか魔法も飛び出る人形を、見ていきませんか?」

 銀髪の少年は、周りにいる人々と同じように、無視を決め込んでやり過ごそうとした。しかし、ある言葉を耳にした途端、立ち止まった。

「人形?」

 紫色の瞳が男を捉える。男の方は、獲物が引っかかったように、ニヤリと笑った。

「えぇ。見て行かれますか? なかなかに可愛い人形なんですよ」
「……魔法が使えるって本当?」
「へ? あぁ、勿論です。物語を話しながら、魔法を使うんですよ。ね、面白いでしょう」

 ニヤニヤ笑う男の姿を、少年は上から下まで見た。

「……その人形の容姿は?」
「おや、随分と人形に興味があるんですね」
「いいから!」
「はいはい。黒髪ですよ。他に特徴はないのですが、見目はとにかく良い。それは保証します」
「目は?」

 いやに聞いてくる少年を不審に思いつつも、相手は客になるかもしれない存在。無下(むげ)に扱って、取り逃がしてしまうのは惜しい、と男も思ったのだろう。
 それだけ少年の服装から(まと)う空気、言葉遣いなど、他とは違っていたのだ。

 けれど、男の口から出たものは予想外の返答だった。

「分かりません。ずっと目を閉じているので、私も知らないんですよ」
「人形なのに?」
「はい。けれど、このブローチを付けた途端、語り出すんです。英雄ヴィクトルの竜退治を」
「まさかっ! 嘘じゃないだろうね!?」
「お疑いでしたら、どうぞその目で確かめて見てください」

 男はそう言うと、(うやうや)しくお辞儀をして、少年を露店へと(いざな)った。


 ***


 むかしむかし、竜の里に一匹の悪い竜がいました。
 ある日、悪い竜は仲間たちに向かって言いました。
「この中で、だれが一番強いと思う?」
 仲間たちはすぐに「強いのは俺に決まっている」「いや、僕だ」と言い始めます。
「それなら競争をしないか」
 悪い竜は仲間にある提案をしました。

 竜たちは、数百年に一度、里を出て行きます。その時、一番始めに通る、人間の街を多く壊したものが一番強いものとしよう、と。

 力を使いたくてウズウズしていた若い竜たちは、その提案に乗ることにしました。

 けれど一番になるのは、決まって悪い竜。何故なら、悪い竜は自分の強さを皆に知ってほしくて言ったことだったからです。
 しかし、人間側にはたまったものではありません。

 いつしか人間側にも、竜を退治するものたちが現れました。
 それが英雄ヴィクトル・マニフィカです。
 彼は街を破壊する竜に挑みました。
 何度も何度も。竜が現れなくなるまで。ずっと。ずっと戦い続けました。

 すると、英雄ヴィクトルの前に悪い竜が立ちはだかります。
 竜たちの中でも、一番強い悪い竜。

 いくら英雄ヴィクトルでも、苦戦を強いられました。
 けれど彼は諦めません。皆のため、国のために戦い続けました。
 戦いは何年にも渡りましたが、最後は英雄ヴィクトルが勝利します。

 竜たちは倒れる悪い竜を見て、里へ逃げて行きました。その後、誰も竜の姿を見たものはいません。
 百年経った今でも……。


 ***


 人形は話し終えると、糸が切れたかのように、その場で倒れた。男は慣れた様子で、いそいそと人形を座らせる。
 けれどその間も、人形は目を開けることはなかった。

「いかがでしたか?」

 満足気に言う男とは対象に、少年は黙って人形を見つめた。
 客は一人しかいない。けれど、男の方も何かを感じ取ったのだろう。客席に回り込み、少年に近づいた。

「ご興味がおありなら、手に取って見られますか?」
「それは、ちょっと……」
「大丈夫です。ここにはお客様しかいませんので」

 少年が可愛らしい人形をマジマジと見ていたとしても、不審に思う人物はいない。男は(あん)に、そう(さと)したのだ。

「……分かった」

 渋々言う割には、やはりどこか嬉しそうな少年。
 黒髪の人形を持つ姿も、絵になっていた。それくらい少年の方も、見目(みめ)(うるわ)しかったのだ。

「う~ん。どうでしょう。この人形を買い取られますか?」
「っ! あっ、いや、でも……」

 露店の出し物は、この人形しかない。店が潰れてしまうのではないか、と思った少年は否定した。が、男の方はケロリと言い放つ。

「同じ話しかしないんで、もう潮時(しおどき)かと思っていたんです。だから、お客さんが買い取ってくだされば、御の字なんですよ」
「確かに、店としてはやっていけないね」
「でしょう」
「分かった。買い取ることにするよ」
「へへへ。ありがとうございます!」

 少年は男に宝石を渡した。

「あいにく、今はこれしか持っていないんだ」
「十分ですよ、坊っちゃん」

 また男はへらへら笑いながら奥へ、人形の箱を取りに行った。

「ただで貰った人形が、大金に変わるとはな。良い拾い物をしたぜ」

 その声が、まだ店にいる少年に聞こえていることも知らずに。


 ***


 華やかな広場を抜け、閑静(かんせい)な裏通りを歩いて街を出る。
 するとそこはもう、草や木の無法地帯。(かろ)うじて道は整備されているものの、すぐに獣道(けものみち)へと変わりそうだった。

 銀髪の少年は、躊躇(ためら)わずに足を踏み入れる。上品な服装が場違いだと訴えているように見えるが、少年は構わずに進む。
 何故ならその先に、少年の家があるからだ。

「ただいま」

 そう言っても出迎えてくれる者はいない。少年は気にせず、鞄をそっとテーブルの上に乗せた。
 中を開けて箱を取り出し、人形を外気に(さら)す。

「聞いていた通りの人形に、一番近いけれど。君がそうだったらいいな」

 少年はポケットから一つ、宝石を取り出した。赤い宝石の付いたブローチを。

「もうこれしか残っていないから、君にあげるよ」

 露店の男がそうしていたように、少年も人形にブローチを取り付ける。本来なら魔石ではないブローチには反応しない人形だったが、様子がおかしい。

 けれど、それを知らない少年は、興味深そうに人形を眺める。さらに願いを込めて、ある名前を呼んだ。

「リゼット」

 すると頑なだった人形の瞳が開き――……。

「ヴィクトル……様……?」

 かつての婚約者の名前を呟いた。