リゼットが出て行った扉を見つること数秒。足音が聞こえなくなるまで待ってから、私は溜め息を吐いた。

「何であんな飛躍(ひやく)した考え方になったんだ。いや、私のせいか」

 五歳でマニフィカ公爵家にやってきたリゼットは、幼くともまだ、伯爵令嬢らしい子どもだった。
 それが変わったのは、いつのことだっただろう。

 他に兄弟もいなかった私は、まるで妹ができたみたいに、リゼットの世話を焼いた。が、却ってリゼットに、負担をかけていたらしい。

 私の婚約者にふさわしくあろうと、努力し始めたのだ。その点に関しては、嬉しくなかったわけじゃない。だが……。

「無理をし過ぎるんだ。何をするにも、リゼットは……」

 両親がリゼットに用意した家庭教師の数は、私の比ではなかった。それだけ期待されているのだろう、とリゼットも思ったのかもしれない。

 将来の公爵夫人として、礼儀作法や教養、社交術といった淑女教育を、大人しく受けていた。
 しかし、それは二の次で、リゼットに求められていたのは、学力。それも魔術に関することに特化したカリキュラムが組まれていたのだ。

 国から圧力をかけられているとはいえ、幼い子どもに対して、これはあんまりではないか。

 そう両親も思ったのか、幼い内は無理強(むりじ)いすることはなかった。そのお陰で自由時間を利用して、共に復習したり、気晴らしに遊んだりした。

『ありがとうございます、ヴィクトル様』
『今日は何をするんですか?』
『えー、そんなことをしたらダメですよ。怒られてしまいます』

 そう言いながらも、笑顔で私のやることに付き合ってくれた。
 いつも硬い表情をしているリゼットが、笑ってくれる。唯一この時間が好きだった。

「だから、私もふさわしくなろうとした。それがあんな結果になるとは、思わなかったんだ」

 私は項垂(うなだ)れるように、机に突っ伏した。己の失態を思い出したのだ。

 あれはリゼットが十一歳の時。五歳年上の私が結婚適齢期に差し掛かり、社交界に顔を出し始めた頃だ。
 他の令息や令嬢との交流を深めることは、将来マニフィカ公爵を継いだ時に大いに役立つ。故に、外出頻度が多くなり、自然とリゼットとの時間が少なくなった。

 すると邸宅内に、リゼットを揶揄(やゆ)する言葉が飛び交い始めたのだ。

『見捨てられた婚約者』『名ばかりの婚約者』『出来の悪い婚約者』

 魔力量の多いリゼットだったが、これといった成果を出せずにいた。本来ならば、私がフォローしなければならない立場だったのに。
 私が取った行動は、リゼットを遠ざけ、さらに追い詰める結果を生むこととなった。

「部屋を覗く度、ベッドではなく、机に伏せて寝る姿を見たら、声なんてかけられるか。私と話す時間があったら、ゆっくり休んで欲しかったんだ」

 それなのに周りは、私が余所で令嬢と恋仲である、という噂を流し、リゼットはさらに、部屋に籠るようになった。
 魔術書を読み漁り、師とも呼ぶべき家庭教師に、何度も教えを()いに行っている姿を見た。

 その時の表情は、幼い時よりも硬く、険しくなっていた。

「私はただ、リゼットの重荷を、枷を外してやりたかっただけなんだ」

 婚約を破棄すれば、リゼットはただのバルデ伯爵令嬢に戻る。魔術師としての成果も果たせなければ、肩書のないただの令嬢に戻れる。そう思ったんだ。

 なのに、リゼットが選択したのは、死。

 私はそんなことを望んでいない。婚約者でなくなろうが、リゼットの幸せを願い、援助するつもりだったのだ。

 愛しているからこその選択だった。

 私は上半身を起こし、ある人物を呼んだ。その人物なら、いい解決案を出してくれるだろうと信じて。