「最低です」
「ごめん」
「最低です」
「だから、ごめんって」

 私が意識を取り戻したのは、それから五時間後のこと。ユベールはその間に、私を洗っただけでなく、寸法を測り、挙句の果て、新しいドレスを作ったのだ。

 これが許せるとでも言うの……!

「悪かったって。でも、あぁでもしないと、リゼットは正確な寸法を測らせてくれないだろう?」
「そもそも正確である必要はありません!」

 服の上からだって十分できる!

「ぶかぶかの服ならともかく、キツかったらリゼットだって困るだろう?」
「それは……そうですが……」
「一応、僕は人形たちの服作りで食べていっているんだ。それなのに、家にある人形の服が合わないなんて、カッコ悪いじゃないか」

 つまり、職人としてのプライドが許さない、ということらしい。
 私は作業台に座りながら、棚をチラッと見る。金髪や茶髪の人形の他に、ぬいぐるみなどが並べられていた。
 そのどれもがユベールの手製だと思われる、可愛い洋服を身に(まと)っている。

 顧客が家に来るのかは分からないけれど、ユベールの言っていることも一理あった。

「だからって、やっていいことと悪いことがあります! 私はこれでも、人形になる前は伯爵令嬢だったんですよ。今は人形とはいえ、殿方に見られたなんて……」

 お嫁に行けない! 人形だから、すでに行くことすらできないけれど、それでもショックな出来事だった。

 私は両手で顔を覆い、頭を下に傾ける。すると、頭に付けられたボンネットがズレて、さらに私の顔を隠した。

「ご、ごめん。人形の姿だから、つい忘れてしまうんだ。リゼットが……元は人間だってことを……」

 あれ? 確かに私は「伯爵令嬢だった」とは言ったけど、人間だったとは一度も言っていない。それなのに、どうしてユベールは驚かないの?
 もしかして、その『お祖父様』の遺言に書いてあったのかしら。

「だから、お詫びをさせて。といっても、服を作るくらいしかできないけど……。何かリクエストはある?」
「……そう言われても、すぐには思い浮かびません」

 顔を上げた瞬間、すかさずボンネットを直すユベールに、私はさらに困惑した。
 赤いドレスと同じ薔薇柄のボンネット。グレーのレースとリボンが付いているため、薔薇が大きく描かれていても、派手さは感じなかった。むしろ、落ち着いていていい。

 もしも自由に体を動かせたら、そこら辺を歩いてみたいし、広がるスカートを左右に振らせてみたい。

 着ている私でさえも、気に入るのだから、ユベールの服を求める人たちの気持ちが分かる。

「それじゃ思いついたら教えて。最優先で作るから」
「はい」

 お詫びだと分かっていても、少しだけ嬉しくなった。


 ***


 どんな服をユベールに作ってもらうか。私は自由に体を動かせない代わりに、頭をフルに回転させて考えた。作業台の近くの棚は、さながら見本のように見える。

「どれも素敵。この中から選ぶのはどうかしら」

 でも、折角作ってもらうのなら、別のドレスがいい。思い切って、魔術師風にローブみたいな服はどうだろう。

「味気ないかな」

 ふと、室内をドタドタと駆け回る足音の方に向かって視線を動かす。窓から見える日の傾きから、どうやら夕食の支度をしているらしい。人形の私には不要な料理を。

 ユベールはそれを一人で食べる。私がここに来る前も、来た後も。

「私も食べられたらいいのに」

 そしたら、ユベールも寂しくない。

「うん。やっぱりちゃんと考えよう。私の服なんだから」

 そう決心したものの、思いの外、それは早くやってきた。しかも、想像とは遥かに違う物として。


 ***


「もう寝る時間だけど、リゼットはここでいい? 大丈夫? 他の人形たちと一緒だから、怖くないと思うけど……」

 パジャマ姿のユベールが、作業台の近くにある棚を片付けて、私が座るスペースを作った。
 左には金髪の人形が、右にはクマのぬいぐるみが座っている。多分、私の好みが分からないから、それぞれ選別してくれたのが見て取れた。

 やっぱり、元人間だと知っているから、配慮してくれているのだろう。だとしたら、少し間違えている。

 ぬいぐるみはともかく、暗い中、人形と一緒に座っているのは……怖い。私自身、人形の姿をしていても。

「ユベール、その……」

 ここは嫌、と言いかけて、ゆっくりと口を閉じた。

 ヴィクトル様に似て、さらに幼い姿だからか、ユベールを見ていると、その時の気持ちが溢れてしまう。と同時に甘えまで。
 あの頃は、兄のようにヴィクトル様を想っていたからだろう。つい、縋りかけた。

 けれどユベールはヴィクトル様ではないし、今日、初めて会った人物だ。いくら身動きが取れないからといっても、ユベールの面倒見がいいとしても、ここは我慢すべきだ。

「何? リゼット」
「いえ、何でもありません」
「そんな風には見えないけど。リゼット、僕は君のことを知らないから、ちゃんと言葉に出して言って。分からないまま、知らずに君を傷つけたくないんだ。だからこういうところは、ちゃんと言ってほしいかな。これから一緒に過ごすんだから、特にね」

 一緒に……。そうだ。今の私はユベールが居なければ何処にも行けない身。ユベールに捨てられない限り、私たちは一緒なのだ。

 言わなければ、伝わらない……言わなければ……。

「……暗いのは怖くない、です。でもここは……ここは嫌です」

 私はそう言ってユベールに向かって、両手を伸ばした。すると、よくできました、と謂わんばかりの笑顔が返ってきたばかりか、温かいぬくもりに包まれる。

「うん。僕もリゼットをここに置いて寝たくなかったんだ。リゼットは人形だけど、人形じゃないから」
「ありがとうございます。その、一緒に居てもいいですか?」

 ちゃんと言葉に出して言って、という先ほどのユベールの言葉が、さらに私を後押ししてくれる。それでも答えを聞くのが怖くて、パジャマをギュッと掴んだ。

「いいよ。実は僕もそうしたいと思っていたんだ。だから良かったよ。リゼットがそう言ってくれて」
「っ!」

 こっちこそ、良かった。勇気を出して、言えて。ちょっとはしたないと思ったし、甘え過ぎかなって思っていたから。

 そうしてユベールは上機嫌のまま寝室へ行き、ベッドの上に座った。すぐに布団に入らなかったのは、私の頭にあるボンネットに気づいたからだ。さらにいうと、ドレスにも。

「あぁ、僕としたことが、ドレスを作るよりも大事な物を作り忘れるなんて」
「……そう、ですね。さすがにドレスで寝るのは……」

 皺になる。寝返りを打てるわけではないけれど、布団の中に入るのは私だけではないのだ。

「とりあえず今日はこのまま。最悪、皺になっても後で取ればいいんだからね」
「いいんですか?」
「うん。ようやく僕一人じゃなくなったんだもん。一緒に寝たいよ」

 素直なユベールの言葉に、頬が緩んだ。

「では明日、パジャマを早々にお願いしますね」
「任せて。可愛いのを作ってあげるよ」
「期待しています」

 その翌日、ユベールは宣言通り、白いレースの付いたピンク色のパジャマを作ってくれた。着る時にまた、いざこざがあったのは言うまでもない。