この運命はミッション

 【運命の人に、ほかに好きな方がいたことが分かりました。ですが、その方とはうまくいかなかったようです。こんなときに、どのように接すればいいのでしょうか。本音を言えば、この機に乗じてしまいたいと思いますが、好きな人が傷ついているのにそのようなことを思う自分を恥ずかしいとも思います。長い目で見守って、気持ちが吹っ切れたと分かってから、再度アプローチすべきか、それとも運命の相手である自分を選べば幸せになれると、遠慮せずにすぐにアプローチをすべきか、アドバイスをいただきたいです。】
 久しぶりに運命の人について書かれたメール。逆に、いつも触れられている前の週の占い結果については何も書かれていなかった。
 ラッキーアイテムのペンケースを持参したことで、充実した学習ができました、とか。ラッキープレイスの木陰で、綺麗な景色が見られました、とか。修学旅行中に何かしらあっただろうに。
 バカだな、偽物の運命の人なんかにこんな必死になって、とメールの文面を画面にふれないようにそっと指先でたどる。手書きとは違い、感情など何も宿さない文字の羅列すら、愛しいと思ってしまう。俺に対する気持ちを語る言葉を受け取るのはこれが最後だろうと思うから、なおさらだ。
 歩道橋で抱きしめられたあと、俺は、気持ちが落ち着くまでLIMEでの連絡をしないでほしいし、通話もしたくない、もちろん、朝に一緒に登校するのもやめたいと伝えた。失恋したばかりで、いろんなことに気を遣うのがしんどいんです、と言うと、先輩は優しく「分かった」と答えてくれた。それ以来、先輩から毎日あったLIMEも来ていない。
 明後日には、姫榊先輩と五徒先輩は親も含めて一緒に食事にいく。見合いと言われなくても、当然そういう雰囲気は察するだろうし、ミス・アキュイティーからの後押しがあれば、おそらく姫榊先輩は五徒先輩を運命の相手として意識するようになるだろう。
 そうなれば、先輩から俺へ向けた気持ちもすぐに五徒先輩に対する気持ちへと上書きされて、俺たちは連絡をとらないまま二か月目を迎えて、やっぱり運命の人ではなかったねとお互い確認しあって、この関係は終わりとなる。いや、もしかしたらフェードアウトしてそのままになるかもしれない。
 一方で、来週からミス・アキュイティーあてのメールには、五徒先輩に関することが書かれるようになっていくのだろう。
 メールをしばらく見つめたあと、返信画面を開く。
 今日は、タロットカードは使わない。どのような結果が出ても、書くべきことは決まっているのだったら、あえて占う意味はない。
 【はじめに渉さんに、謝らなければいけないことがあります。】
 まずそうメールに打ち込んで、ため息をついたあと、ずっと頭の中で考え続けていた文を文字にしていく。
 【以前、渉さんのご依頼に応えて「運命の人」について占いをしましたが、「運命の人」が渉さんにとって、どのような運命の相手であるか、というところまでは占いきれていなかったようです。「運命」とは様々な関係性に使用される言葉です。きっと渉さんが思われていた「運命の人」は一生を共にする方のことでしょう。しかし、相手の方にほかに好きな人がいたのであれば、その方はそういう意味での「運命の人」ではなかったのだと思われます。あなたの進むべき必要な道を示してくれる、そんな、存在だったのかもしれません。人生のターニングポイントとして現れる人、それも「運命の人」だからです。実際、あのときの占いでは、恋愛をはっきりと示唆するカードは出ていませんでした。それにも関わらず、渉さんがもし相手の方に好意を感じたのだとすれば、私の占いが、そう思い込ませてしまったためです。申し訳ございませんでした。】
 いったん手をとめ、天井を見上げて、再び、ふうっと息を吐く。これで納得してくれるだろうか。
 まあ、納得してもらえなかったとしても、「本物の運命の人」に気持ちを向けてもらえれば、どうにでもなる、と俺はまた指を動かす。
 【私がこのように申し上げているのには、理由があります。先ほど渉さんの運勢を占ったところ、「運命の人」を示唆するカードが出ました。さらに今回は、大恋愛を予感させるカードも同時に出ています。つまり、今度こそ恋愛相手としての「本物の運命の人」が現れる可能性が非常に高いと思います。お相手は、これまで意識していなかったけれど、そばにいた方であるようです。幼馴染や、昔から付き合いのある人、もしくはパートナーとして活動したことがある人など、身近な方を改めて意識することで、気づきやすくなるかもしれません。どうぞ、「本物の運命の人」との出会いを楽しみにお待ちください。】
 本来はここまでで終わらせるつもりだったが、改めて読むと、もとの「運命の人」をあまりにもないがしろにしているように感じられ、俺は考えながら文字を打ち込む。
 【また、これまで渉さんが「運命の人」だと思っていた方についても、念のため占ってみました。渉さんとの関係性を見ると、その方が渉さんを人として尊敬していることがカードからもうかがえました。渉さんが「本物の運命の人」と出会って幸せになる姿を見せることで、きっとその方も】
 「きっとその方も、喜ばれる、でしょう」
 口に出して呟きながらキーをタップし、意識しないまま流れる涙を袖で拭う。笑顔の練習をしておかなければ、と思う。五徒先輩と付き合うことになったと聞いたときに、喜んでいる姿を見せられるように。

 *

 月曜日の祝日は、部屋の大掃除をした。今ごろ先輩たちは、なんて考えてしまう時間をできるだけ減らしたかった。
 引っ越しで一度片付けたはずなのに、思ったよりもいらないものが出たので、台所に置いてあるごみ袋を取りにいくと、コーヒーを淹れていた母が不思議そうに「どうしたの」と聞いてきた。
 「なんとなく気分転換に掃除してる。もし早く終わったら風呂場とかも掃除するから」
 「え〜助かる〜、うちの子いい子すぎるわ」
 「親ばかかよ」
 「いや、生産者である自分を誇ってんのよ」
 「まさかのそっち」
 あはは、と笑った母が「ねえ、冴介」と、改めて俺を見てくる。
 「ミス・アキュイティー、もうやめる?」
 「え」
 「もう、百合恵さんにはバレたわけだし、渉さんが占いがなくなるのは困るって言っても、百合恵さんがフォローしてくださると思うのよ。それに、冴介が言っていたとおり、渉さんも占いを卒業する時期に来てるって、お母さんも思うのよね」
 母親が、世間話のように軽い口調で話すのを聞いて、そうか、と思う。
 「やめてもいいのか……」
 声に出して呟くと、急に憑き物が落ちたような気持ちになった。
 確かに、一番責任を感じていた先輩の運命の人についても、もう心配する必要はなくなったわけだし。タイミングとしてもちょうどいいかもしれない。
 「そうよ。五十万の占い料がなくたって、我が家は大丈夫だし。まあ、あんたの貯金はこれ以上増えないけど」
 「そこは心配してないけどさ」
 「でも、本当に、やめること考えてみて。今さらって言われそうだけど、この前、百合恵さんと話している冴介を見て、自分がどれだけ重荷を背負わせていたのかを実感したのよ。ごめんね。ただ占いをしていればいいって話でもなかったよね」
 急に申し訳なさそうな顔になった母に苦笑してしまう。
 「本当に今さらだけど、別に嫌々やっていたわけでもなかったから」
 「そう」
 「けど、そうだな。たぶん、次のメールで、俺が占ったとおりに、五徒先輩が運命の相手として現れたって報告があると思うから、そこで、自分の役目は終わったって伝えようかな。これからは、運命の人と相談していってください、みたいな。……うん。渉さんにとってもそのほうがいいと思うし、それに」
 「あのね、冴介」
 自分で口にした言葉に自分でダメージを受け、誤魔化すためにべらべらと内容のないことを話してしまいそうになった俺を遮って、母がまた名を呼ぶ。
 「別に、無理して、渉さんが納得するような終わり方にしなくてもいいと思うよ」
 「……」
 「渉さんの気持ちだけじゃなくて、あなたの気持ちも大切にしてほしいってお母さんは思う」
 「……うん」
 母親はそれだけ言い置いて、コーヒーを片手にリビングへ戻っていった。
 だてに俺の母親を十数年しているわけではない。百合恵さんが来た時から今日までの俺の様子を見ていて、何か感づいたのかもしれなかった。
 気まずいけれど、直接問い詰められないだけマシか、と思いながら、俺も二枚のごみ袋を持って、二階の自分の部屋へと戻る。
 部屋の真ん中には、古い雑誌やもう遊ばないであろうおもちゃ、使うには厳しいけど捨てられなかった文房具たち、中学時代のノートと問題集、さらにずっと着ていない洋服などが小さな山となっていた。
 そこにごみ袋を放り投げた俺は、クローゼットを開けて、棚の上に置かれている大きな缶の箱を手に取る。クリスマスのクッキーが入っていた、光にあてるとキラキラ輝く箱。渉さんからの手紙をおさめるのにぴったりに思えて、買ってもらったものだ。
 数年ぶりに蓋を開けると、ぎっしりと詰めこまれた封筒に「ミス・アキュイティー先生へ」と幼くも丁寧に書かれた文字が書かれているのが目に飛び込んできて、ふっと微笑んでしまう。俺が、渉さんのためにミス・アキュイティーでい続けられたのは、この手紙たちがあったからだ。母親が編集部から持って帰ってきてくれるたびに、嬉しくて、何度も何度も読み返していた手紙たち。
 適当に一通の封筒を手に取り、中の手紙を取り出す。
 【アキュイティー先生、お元気ですか。先生に言われたとおり、学校に青いふくをきていったら、友だちにかっこいいと言われました。ぼくがかっこよくいられるのは、アキュイティー先生がいるからです。大すきです】
 唐突すぎる告白が面白い。けれど思い返してみると、大好きですってよく書かれていたような気もする。俺も、そんな渉さんを大好きだと思っていた。
 なんで大きくなると、素直に大好きって言えなくなるんだろうな、と俺は手紙をまた封筒におさめて箱にいれ、蓋をしめた。
 もうミス・アキュイティーをやめるのなら、これも捨ててしまおうかと思ったけれど、やっぱりこのくらいの思い出は、持っておこう。あの頃の俺たちまで、否定する必要はない。
 箱をまたクローゼットに片付けたあと、腰に手を当てて部屋を見回す。いったん間をおいてしまったことで、ちょっとやる気がそがれてしまった。
 音楽でも聴きながら作業するか、と机の上からイヤホンの入っているポーチを手に取る。カラビナつきのポーチは、『Sulfur』、つまり硫黄をイメージさせる明るいイエロー。先輩からの沖縄土産だ。
 ――イヤホンをいつもそのままポケットに入れてるから、落とさないようにと思って。
 心配そうに俺を見つめながら、遠慮がちに渡してくれた先輩を思い出しながら、イヤホンを耳に入れる。プレイリストのトップにある『Sulfur』の曲をあえて避けた俺は、アップテンポな歌を聞きながら、山となっているものを仕分けつつ、ごみ袋の中に入れていった。

 *

 先輩と顔を合わせることがないまま、時間はあっという間に過ぎていった。
 食事会がどうなったのかは分からなかったけれど、祝日の翌日に行われた十一月初めの全校集会で、新生徒会長と副会長として並んで挨拶をした二人はやはりお似合いだったし、顔を見合わせて微笑みあっているところを見ても、きっといい感じなのだろうと思えた。壇上にいる先輩は、俺のほうをまったく見ることはなく、あぁ、もう興味をなくされたんだな、と悲しみというよりも諦めの気持ちでその姿を眺めた。
 しかし、その週の土曜日に、姫榊先輩からミス・アキュイティーに届いたメールには、本物の運命の人について何一つ触れられておらず、【一週遅れの報告で申し訳ありませんが】という言葉とともに、ラッキーアイテムやラッキープレイスによって修学旅行でどんな良いことがあったかということが書かれていただけだった。その日で終わりにしようと身構えていた俺は見事に肩透かしをくらい、辞めると言い出すきっかけも見つけることができず、結局いつものようにタロットカードで占った結果を返すしかなかった。
 翌週も、先輩から連絡がくることもなく、待ち伏せをされることもなく、昼に会うこともなかった。平凡な一年生とミスターノブレスとの噂なんてまるで初めからなかったかのように、注目されることがなくなった俺は、色黒坊主のモブに戻り日々を淡々と過ごした。
 「なに、姫榊先輩と喧嘩でもしたん?」
 一度だけ、中田が心配そうに聞いてきたけれど、俺は「喧嘩するほどの関係じゃないし」と笑ってみせた。
 「先輩も、生徒会長になって忙しいんだろうし、まあ、もともと『Sulfur』の話をしたくて会ってたとこあるしね。もうほとんどのことは語りつくしたから」
 「そっか……あのさ、マジで姫榊先輩を怒らせたりしたわけじゃないよな」
 「なんだそれ。そんなことするかよ」
 「ならいいけどさ」 
 そんなに、先輩と会っていない俺が元気無さそうに見えるのだろうか、と自分自身に呆れてしまった。ちょっと前まで、一緒にいないのが当たり前だったのに、情けない話だ。
 その日の帰り、部活に向かうために昇降口に行った俺は、足をとめた。
 すのこの板の一枚が、真新しい色をした板に張り替えられていたからだ。
 その一枚は、今朝までは確かに折れていた。じっと見ていると、通りかかった女子生徒が「あのすのこ、昼休みに姫榊先輩が自分で新しいのに付け替えてたらしいよ」と話しているのが聞こえてきた。
 「あー、演説でそんなこと言ってたもんね」
 「でもさ、誰かにやらせるんじゃなくて、自分でやるってメロくない?」
 「分かるー。腕まくりとか絶対してただろうし、血管拝みたかった」
 ――僕が会長になったら、最初に取り組もう
 スマホ越しにそう言って笑った先輩の声が聞こえる気がした。
 俺が言ったことなんて無視してもいいし、あの子たちが言うとおり、誰かにお願いしてもいいのに。
 そう思いながらも、もう俺に興味をなくしたと思っていた先輩の中に、自分の言葉が残っていたという事実が、ずっと乾いたままの胸に温かく染みた。
 いつか、先輩に笑顔で話しかけられるくらい落ち着いたら、有難うございますと言いにいこう。安心して使えるようになりましたって。
 久しぶりに前向きな気持ちになって、俺は靴を履いて外へと駆けだした。

 *

 中学時代の同級生のLIMEグループからの通知があったのは、金曜の夜のことだった。
 久しぶりだな、と通知をタップする。
 俺以外の四人は、そのまま高校へと内部進学している。
 あの学校に通っているくらいだから、みんなそれなりの金持ちだが、その中でも比較的庶民寄りなメンバーである。
 夏休みも東京に集合してみんなで遊びにいったくらいには仲がいいが、LIMEをする回数は少しずつ減っている。日常をともにしていないと、そんなものだろう。
 【おーい青木元気か― 最近何してんの】
 【元気よ 勉強と野球しかしてない あと漫画読んでる】
 【バイトしてないんだっけ】
 【してない】
 占いをバイトとしてカウントするなら、規格外に高額なバイトをしていることにはなるが。
 ミス・アキュイティーを引退したら飲食店とかでバイトしてもいいかもしれない。普通の高校生として経験しておきたい気もする。
 【久しぶりじゃん】
 ほかのメンバーも入ってきて、最近、なんのアニメを見ているとか、あの漫画読んだかとか他愛もない話をする。
 【青木の学校に可愛い子とかいないの】
 そんな中、最初に声をかけてきたやつが急に聞いてきて、俺はうーん、となる。
 誰かを可愛いとかそんなふうに見たことも思ったこともない。だからこそ、先輩の相手としていい人も全然浮かばなかったわけで。
 【いると思うけど正直あんま分からん】
 【好きな子とかさ】
 【いないな】
 脳裏をよぎった顔はとりあえず頭の片隅へ。
 【青木って前からあんま女子に興味ないもんな】
 【そっちの学校だとまずレベルが違いすぎて好きになるのもおこがましい感じだったし】
 【でも青木ってけっこう誰とでも仲良かったじゃん】
 【俺らだとちょっと引いちゃうような相手でも平気で話してたしな】
 【思いやり理論だっけ】
 あぁ、と苦笑する。
 ずっと、姫榊渉少年と同等、むしろ「先生」と呼ばれる関係性を続けていたせいで、俺は一般入試で中等部から入ってきたわりに、やけに堂々としているように見えていたらしい。仕方ない。あの学校にいた多くの生徒よりも姫榊先輩のほうが格上という扱いだったのだから、周囲の人に緊張するわけがない。
 しかし、モブのくせに誰とでも普通に話す俺に苛立ったのか『ほかの人と話してる時と比べて、話のレベルを落とされてるのに気づいてないの?』と言ってきたやつがいた。『馬鹿にされてるんだよ』と。
 それに対して、俺が返したのが『そうだとしても、それは馬鹿にしているんじゃなくて、思いやりだと思うよ』という言葉だった。ちょうど、姫榊先輩への占いで「思いやり」というワードを使用したばかりだったから咄嗟に出たと記憶している。
 思わぬ言葉だったのか、俺がそう返したあとはそいつに絡まれることはなくなったし、周りからはより優しくされるようになった。そして友達からは「思いやり理論すげえな」と言われるようになったというわけだ。
 【ちな今の学校でトラブルとかないよな】
 【なんで 何もないよ】
 【もし何かあったら多少は力になれるかもしれないし連絡してな】
 そんな気になる言葉を残して、風呂入ってくるわ、とLIMEをよこしたやつが抜けて、残ったメンバーたちと、じゃあ俺も、俺はアニメ見てくる、またな、おやすみ、と口々に言い合って、俺もLIMEの画面を閉じる。
 最後の一言で、急なLIMEに対する合点がいった。
 この前、百合恵さんが俺のことを調べたと言っていた。そのときに、俺がどんな人物なのか、中学時代の俺を知っている人に探りをいれたのだろう。それをあいつがたまたま知って、調べられるような何かがあったのか、と気にしてくれたというのは十分あり得そうな話だった。優しいやつだから。
 まあ、調べたって何も変な話は出てこないだろうから大丈夫だけど。というよりも、モブすぎて普通の話すらそんなに出てこない気がする。いろんな人と話してはいたけれど、今のLIMEのメンバー以外はあくまでも広く浅くという感じだったし。
 それにしても、中学時代も俺は姫榊先輩しか見ていなくて、それ以外の人には関心が持てなかったんだなと改めて思う。占いのため、と思っていたけれど、自覚していなかっただけで、俺はずっと姫榊先輩を好きだったのかもしれなかった。

 その翌日の土曜日には、東京の姉からも連絡がきた。
 『なんかさぁ、大学の友達から、弟がイケメンらしいけど彼女いるのって聞かれたんだけど』
 「なんだそれ」
 『一応聞いておくけど、彼女いないよね? どっちにしてもそんなイケメンとかハードル上がってるところに、ただの坊主を紹介するつもりはないけどさ』
 「いないよ」
 『だよね~、どっからそんな話になったんだろ』
 「適当なこと言う人がいるんじゃないの。俺の友達も姉ちゃんのことをさ、都内の女子大生ってことは美人だって言いだしてたし」
 『それは事実だろうがよ』
 理不尽な返しを聞きながら、ふむ、と考える。つまり姉のほうにまで何かしらの調査が入ったということか。そこまで詳しく調べられていたとは思わなかった。
 もしかしたら、百合恵さんは俺が思っていたよりも、俺が先輩の相手にふさわしいか真面目に検討してくれていたのかもしれない。どういう人物なのか、というだけでなく、ほかに付き合っている人がいないのかとか、何かトラブルを抱えていないかとか、俺の家族にも問題ないかとか。
 もちろん、家族にも問題はない。両親は当然として、姉も高校時代からの彼氏といまだに付き合っているし、派手に遊んだりするタイプでもないから、印象は悪くないと思う。俺に対するあたりが強いのが難だけど。
 あの日、百合恵さんから先輩に対しての恋愛感情について聞かれたとき、もし否定しないで認めていたら、俺が先輩の運命の人として受け入れられていた可能性があったかも、なんて夢見るように思う。
 いや、でも、両親のいる前でそれは厳しかったし、そうやって両親の前で言えない程度の覚悟では、やっぱり無理だったのだ。

 夜七時にはいつも通り、姫榊先輩からミス・アキュイティーあてのメールが届いた。
 今度こそ五徒先輩について何か書いてあるかもしれない、と思うと、まだ少しだけ読むのに躊躇してしまうが、気合を入れて読み始める。
 そこには、まず先週の占いに対する前向きな言葉がつづられていた。
 【ラッキープレイスとしてアドバイスいただいた「いい未来をイメージできる場所」ですが、生徒会長としてどうありたいかを考えるきっかけになった場所の修繕を行いました。学校から許可をもらい、自分で買ってきた板で、折れていたすのこの張り替えをしたのですが、思った以上にその行動を校内で評価してもらえたようで、最初はゼロだった生徒会への要望が少しずつ届くようになりました。生徒をサポートする生徒会長として、頑張っていけそうです。】
 相変わらず、占いに当たりに来ているな、と笑ってしまう。それでも、俺のアドバイスや俺の要望が、生徒会長としての取り組みにいい影響を与えているのであれば良かった。
 少し明るい気持ちになったが、メールを読み進めた俺の目が「運命の人」という単語を捉えた途端、また心は闇に覆われる。
 ――ついにきたか
 一度目を閉じたあと、覚悟を決めて、俺はおそるおそる文面を目で追う。
 【また、僕がアキュイティー先生にお願いして出会わせていただいた運命の人と、来週の金曜日に話をする予定です。お互いに落ち着いて話をするために、どこで話せばいいのかアドバイスをお願いいたします。】
 五徒先輩ではなく俺のことか、と詰めていた息を吐き、もうそうではないと分かりながら「運命の人」と俺を呼ばざるをえない先輩の心情を考える。だから、Aさんとかにしておけばよかったのに。
 来週の金曜日。二か月間というお試し期間の、最後の日。
 結局、先週から連絡をまったく取っていないし、来週も同じく連絡しないままだろうから、実質五週間、ということになりそうだけど。
 このままフェードアウトでもいいところを、ちゃんと最後に話そうと考える先輩は律儀な人だと思う。
 きっとそこで、五徒先輩が本当の運命の人だった、と説明を受けるのだろう。お互いに落ち着いて、ということは、失恋したばかりの俺がそれを聞いて、荒れたりするとでも思われているのだろうか。まあ、あんな風に目の前で泣いてしまったのだから、そう思われても仕方がない。
 でも、どこがいいのか、と言われても場所はかなり限られる。人に聞かれる場所は駄目だろうから、学校か、先輩の家か、まさかの俺の家か。
 一応オラクルカードに聞いておこうと、引き出しに並ぶ中から一つの箱を取り出す。カードをしっかりとシャッフルしたあと、一枚引いて表に向けると、森の動物たちの演奏を聴いている子供たちのイラストが出てきて苦笑する。これは、間違いなく音楽室だ。
 まあ、あそこが一番無難だよな、と納得しつつ一週間の運勢を見るために俺はタロットカードを取り出す。
 ――姫榊渉さんの来週の運勢を教えてください
 いつものようにカードをシャッフルし、山をつくり、それを三つの山に分け、一つの山に戻し、カードを三回手の中できったあと、上から八枚目のカードをめくる。
 七番「戦車」の正位置。自立する、困難を乗り越えるなど、状況を打開していく状態を示唆する。意味は「成功」「自制心」「自信」「克服」。恋愛で言えば「行動あるのみ」「勝利」「将来について話す」。
 自立ね、と戦車のカードを見る。金曜日に話す機会をもらえるのであれば、先輩に占いから自立するように促してみようか。ミス・アキュイティーに頼るのではなく、自分で自分の幸せを見つけていけるように。占いの結果とリンクさせることで、さすがの姫榊先輩も考えてくれるかもしれなかった。

 *

 姫榊先輩から久しぶりにLIMEが来たのは水曜日のことだった。そこには、金曜日の昼休みに音楽室に来てもらえないか、と書いてあった。約束の二か月が終わるので、一度話したいと。
 俺は、OKのスタンプを送り返し、それでLIMEでの会話は終わった。
 金曜日は、先輩のファンに気を遣うこともなく、ノックしたあと黙って音楽室へと入った。今さら噂されたところで、どうでもいい。
 窓際に立って外を見ていた姫榊先輩が振り向く。少し緊張した空気をまとっていたが、それでも俺を見て優しく笑ってくれる。
 ここに来るまでも高鳴り続けていた心臓が、さらに大きく跳ねる。姫榊先輩が俺のことを見てくれた。それだけで、こんなにも嬉しい自分が惨めだとも思う。
 「ありがとう、来てくれて」
 「いえ、このまま終わるのもなんか気持ち悪かったんで」
 「そっか」
 二人とも言葉が続かず、音楽室の中がしんとしてしまう。
 「一応、確認なんだけど」
 口火を切ったのは姫榊先輩だった。
 「まだ、冴介くんは僕のことを、運命の相手だと思えない?」
 「はい」
 目を伏せて問いかけてくる先輩に、短くもはっきりと答え、何を言われても負けないように、腹に力を込める。
 それなら安心した、実は僕もね――
 そんなセリフを予想しながら、じっと見つめる俺の視線を受けた姫榊先輩は、静かに微笑んだ。
 「それは、まだ失恋した人のことが忘れられないから?」
 予想外の言葉に少し狼狽える。そっちに話がいくとは思っていなかった。
 「……いえ、それとこれとは、別っていうか……」
 「相手の人のことは、まだ引きずってる?」
 「いや、まあ、そうですね。まだそんなに時間が経ってないですし」
 俺の返事を聞いた先輩の眉間に少ししわがよる。
 なんだなんだ。話の方向性がまったく見えない。あれか。まだ失恋の傷を癒せていない俺には、自分の幸せな話を聞かせられないとでも思ってるのか。
 「相手の人は、どんな人なの?」
 「どんな人って、えー、なんですかね」
 咄嗟に架空の人物像を作るのは難しい。変にツッコまれて設定がくずれるのも困る。俺はちょっと考えたあと、目の前にいる人を改めて見る。
 「そうですね。真面目なんですけど、可愛げもある人です。優しいし」
 「成績は?」
 「成績? 詳しくは知らないけど、頭はいいですね」
 「見た目は?」
 「見た目……んー、顔が綺麗で、スタイルがいい、です」
 「髪型は?」
 「髪型!? そ、え、黒髪でどちらかと言えば短め、かな」
 俺の回答を聞いた先輩は黙って考え込んでいるようだった。マジで意味が分からない。今の条件に当てはまりそうな誰かを、俺にあてがおうとしているとか? だとしたら余計なお世話すぎる。
 長い沈黙に耐えられず、もうこっちから自爆しにいくか、と俺は口を開く。
 「先輩のほうは、まだ俺のことを運命の相手だと信じてるんですか」
 「うん」
 当たり前のように軽く返事をし、また何やら考えている先輩に呆気にとられてしまう。
 「え、ちょっと待ってください。俺のことですよ? 俺をまだ、運命の相手だと思ってるんですか?」
 焦る俺を、先輩が少し怪訝そうに見た。
 「僕、ずっと冴介くんが運命の相手だって言ってるよね」
 「いや、そうですけど……」
 そうだけど、もう、ミス・アキュイティーからは、俺は運命の相手ではないと伝えている。五徒先輩が運命の相手だということも、分かりやすく伝えている。
 もしかして、あのメールが何らかの理由で先輩に届いていなかったのだろうか。それなら、本物の運命の人について何一つとして言及がないことにも納得できる。
 納得できるけど、そうなると、再度、運命の人を切り替えるために動かなければいけないということだ。ミス・アキュイティーからの卒業も促さないといけないし、どっからどう話を進めるべきか。
 まだ先輩が何やら考え込んでいるのをいいことに、俺も黙って頭をフル回転させる。
 「あの、こんなこと言ったら失礼かもしれないですけど」
 俺がそっと話しかけると、先輩は「ん?」とこちらに目を向けた。
 「先輩は、俺のことを占い師に運命の相手だって言われたから、そう思ってるんですよね。でも、占いを闇雲に信じるって怖くないですか。自分の運命を勝手に決められて、そのとおりに進むって、なんか、なんだろう、先輩の意思はいいのかなって」
 「あぁ……そう見えているのか。違うよ。逆って言ってもいいと思う」
 先輩はそう言って「いったん座ろうか」と、長机の前の椅子に腰かけた。俺もそれにならって、近くにあった椅子に座る。
 逆、とはどういう意味だろう、と考える俺に、先輩は穏やかに説明を始めた。
 「そもそも、僕の人生のほとんどは、僕の意思というものを必要としない。幼稚舎から大学までどこに行くのか決まっていて、大学を卒業したらどの取引先に何年間勤めるかも、その後父の会社に戻って役職につくことも、いずれ父の会社を継ぐことも決まってる。剣道を続けているのも、大学の剣道部のOBに政財界の人が多いからだしね。決まった方向にひたすら進められるだけの人生ゲームの駒のようなものだと思うこともある」
 いったん呼吸を整えるように大きく息をした先輩は「でも」と続けた。
 「ミス・アキュイティーの占いではね、僕の意思が奪われることはないんだ。彼女の占いに従えば、本当にいいことがあるから、当たるって言うのは事実だよ。だけど、あくまでもきっかけを与えてくれているだけで、解釈は僕の自由だ。それに、占いの結果は、ある意味僕が決めていると言ってもいい。例えばラッキーアイテムを持っていたら虹が見えた、とか。ラッキープレイスに行ったら美味しそうな店を見つけたとか。そういう些細な幸せを僕は彼女の占いのおかげで見失わないでいられるし、未来を楽しみにすることができる。すべて決められている人生だけど、彼女の占いが僕に僕だけの世界を与えてくれるから、僕は前向きに生きていけるんだよ」
 思いもよらない言葉だった。先輩がミス・アキュイティーの占いをそんな思いで信じていたなんて。自分から占いに当たりにきている自覚もちゃんとあったのか。
 「例えば、僕が生徒会長に立候補したのも、姫榊の男は代々この高校で生徒会長をしているから、でしかなかったんだよね。ならないといけないものでしかなかった。でも、今は、ミス・アキュイティーと冴介くんのおかげで自分がどうありたいかという、意思を持って取り組めてる。そのことが嬉しい」
 「そういう助けになれたなら良かったです。あ、昇降口のすのこも、有難うございました。先輩が、自分で修理してくれたって聞きました」
 俺が礼を言うと、先輩はにっこりとした。
 「気づいてくれたんだ。ほかにも何かあれば教えてほしい。冴介くんの依頼は最優先に取り組むよ」
 「それはダメですよ。順番に取り組んでください」
 俺の返事に、先輩はさらに笑顔になった。
 「僕は、冴介くんのそういうところが好きだよ。誰に対しても公正で、周りを見て行動ができる。マイナスな言葉もプラスにできる強さがある。僕は、そういう人と一緒に生きていきたい」
 さらりと告げられた、告白どころか、まるでプロポーズのような言葉に動揺しながらも、俺はなんとか返事をする。
 「……そんな、俺のこと買い被りすぎです。だいたい、そんなの、このちょっとの間じゃ分からないですよね。俺が猫かぶってるだけかも」
 「ううん、僕はね、冴介くんのこと、前から知ってたから」
 「前から?」
 「冴介くんが気づいているか分からないけど、僕たち、同じ中学だったんだよ」
 「え」
 気付いていた? 俺が同じ中学に通っていたことを?
 「え、なんで、なんで黙ってたんですか」
 「運命を証明する一つの事実だとは思ったんだけど、冴介くんにはそういう事実に引っ張られずに、僕自身を好きになってもらいたいって思ったから」
 ためらいなく答えた姫榊先輩は、少し遠い目をした。
 「最初冴介くんを知ったのはね、一般入試で中等部から入ってきた一年生のメンタルが強いっていう話が回ってきたときで。誰に対しても物怖じしないうえに、みんなが自分に対して話のレベルを落としているのだとしたら、それは馬鹿にしているのじゃなくて思いやりだって言ったとか」
 「あぁ……」
 「ちょうど僕は、家同士の格だとかそういうので、小学生の頃は仲良かった友達に距離を置かれたりしてる頃でね。ミス・アキュイティーに、僕は何も変わっていないのに分かってもらえないという悩みを相談していたんだ。それに対して、人はそもそも誰も分かり合うことはできない、でもその代わりに思いやりや気遣いというものが生まれると思えば、分かり合えないのは決して悪いことではない、人との付き合い方を学ぶ時期です、というアドバイスをもらったところだったから、君に興味を持った」
 懐かしそうに先輩は話し続けた。
 「そうして気にするようになったら、冴介くんが誰に見られるわけでもないのに、みんなが気にしないようなちょっとしたゴミとか用具の乱れとか、そういうのを決して見過ごさないってことに気付いた。清く正しくって、よく使われる言葉だけど、本当にこんな子がいるんだなって感心して。そのあと、いつだったかな、友達と一緒に野球部に向かう冴介くんを見かけてね、僕はいつも廊下で冴介くんをちらっと見るだけだったし、あの頃の冴介くんは前髪が長めで表情があまり見えないこともあって、帽子の中に髪を入れた君が楽しそうに笑ってるのを見て、ギャップに驚いたんだよね。正直に言えば可愛いと思った。高校で冴介くんを見つけたときも、坊主にしてくれたおかげで、顔がよく見えることが嬉しかったよ」
 中一の頃の俺は、今よりもさらに小柄だったし、まだ顔も幼かったし、百歩譲って可愛いと思われたというのもギリ受け入れられるけど、そこから色黒坊主として現れた俺を見つけて、顔が見えるから嬉しいと思うっていうのはとても正気とは思えない。恋は盲目、というやつだろうか。嬉しさとドン引きの相反する感情を抱えつつ、俺は先輩の話を聞き続ける。
 「ただ、冴介くんに声をかけようとか、そんなことは思ってなかったんだ。むしろ、名前も知らないようにしていた。いずれ、女性と結婚するものだって思っていたから、君に対して、好きにならないように無意識に予防線を張っていたんだと思う。でも、高校で再会してから、いよいよ君のことが頭から離れなくなって。そんなときに親から見合いの話がきたから、どうしても最後に冴介くんが僕の運命の相手ではないって納得したくなった。だから、見合いをいったん待ってもらって、ミス・アキュイティーに占ってもらって、あの角に行ったんだ。冴介くんへの未練を断ち切るために。それなのに、君が運命の人として現れた。もう、諦めるなんて無理だろう」
 だから、この人はあんなに必死だったのか、と出会ったときのことを思い返す。俺を運命の人だと疑わないこの人に、なんでだろうと思っていたけれど、そんな裏があったとは。
 「つまり、あの日、占い通りに冴介くんが現れたから、運命の人だって思ったわけじゃない。僕の意思なんだよ。君が僕の運命の人だって、僕が決めたんだ」