この運命はミッション

【選挙活動が始まりました。アドバイスにあったように、一緒に副会長をする予定の方をはじめ、選挙管理委員の方たちの意見などもしっかり聞き入れ、公約についてなどみんなで話し合いながら過ごしています。ご指摘いただいたとおり、僕はもともと自分がすべきことに気持ちが向き過ぎて、ほかの人の言葉に耳を貸さなかったところがあったという自覚があります。また一つ成長させていただき有難うございました。ラッキーアイテムの石けんも実家で余っていたものを送ってもらって新調しました。いい香りで、癒しとなっています。今週もよろしくお願いいたします。】
 ――いや、だからさ。先週のラッキープレイスについて完全スルーってどういうことなん?
 俺は腕を組んでメール文を睨む。
 別に、俺について書かれていないといけないというわけではないけれど、でも、ラッキープレイスの図書室で俺と偶然会って二人で話もしたんだし、先輩が俺を運命の人だって本当に思っているなら、真っ先に書いてもいい出来事のような気がする。だって、前は俺が手を振ったとか、そんな程度のことで書いてきてたのに。
 「五徒(いより)先輩のことについては触れてんのにな」
 別にいいけど、と思いつつ自分の唇が少しとがっていることに気づき、いーっと横に伸ばす。
 姫榊先輩と五徒先輩が一緒に登校を始めて二日。本人たちは、信任してもらうために登校時間を使って話し合っているだけだ、と周囲に説明しているようだが、美男美女、次期生徒会長と副会長、剣道部と茶道部という、いかにもな組み合わせに、周りの方がお似合いお似合いとカップル扱いを始めているという状況である。
 一方の俺はと言えば、姫榊先輩が言っていたとおり、あの日の言動から「ミスターノブレスにも言いたい放題の無敵坊主」というレッテルを貼られてしまったようである。いい家の生まれの人って、普段気を遣われて距離を取られがちだから、ああいう距離感とか考えないやつを気に入ったりするんだよ、としたり顔で言う人がいたらしく、接点が無さそうな二人が仲良くなったのはそういうわけだったのか、という論調に落ち着いているらしい。世論と言うのは誠に適当なものであるが、おかげさまで俺が少し過ごしやすくなったのは確かだ。
 ちなみに、姫榊先輩に対し俺をフォローしてくれたのは、同じクラスの飯津(いいづ)だった。
 あの翌日、俺のところに来て『余計なことしてたらごめん』と言ってきたのだ。
 『姫榊先輩っていっつも冷静沈着って感じの人だから、感情的になってるの見て、なんかやべーなって思ったからさ、何が原因かは分かんなかったけど、とりあえずお前のことはいいやつだって言いにいったんだけど、分かってるから、ってちょっと不機嫌な返事でさ……』
 あ、それ、自分の方が冴介くんを分かってるってアピールしたいだけだから大丈夫、とも言えず、俺は苦笑いしてお礼を言っておいた。全然心配いらないよ、という言葉とともに。
 そう、心配はいらない。
 姫榊先輩とは昨日もLIME通話をしたし、飯津にまでマウントとるのマジでやめてくださいと念押しをしておいた。本人はまた無自覚だったらしく、えー、という感じであったが。
 それにしても、と思う。
 俺のこととなると、急にマウントとかしたくなるくらいには気持ちがあるみたいなのに、ミス・アキュイティーに対して運命の相手についてここまで言及しないのは、なんでなんだろうか。
 というか、逆にミス・アキュイティーという名前も、先輩から全然聞いていない気がする。あんなにミス・アキュイティーのことばかりだったのに。
 何か心境の変化があったのかもしれない、と考えたところで、俺は「やめやめ」と呟いて、カードを手に持つ。理由が分かったとしても、結果は変わらない。あと五週間で俺は運命の人ではないと告げる、それだけが決定している未来なのだ。

 *

 『冴介くんも生徒会に入ったらいいのに』
 「嫌ですよ」
 『書記とか会計とか。僕が会長になったら業務を効率化して少しでも楽になるように改革するし』
 「俺じゃない人に対しても効率化してあげてください。そもそも俺、生徒会とかいうタイプじゃないし」
 しょうもない会話すぎる、と思う。こんなことを言っているけれど、先輩は書記や会計に立候補している一年生や二年生ともきちんと向き合ってコミュニケーションを取っているのが、校内放送や挨拶運動の和やかな雰囲気からもうかがえる。
 ミス・アキュイティーからの今週の助言は、周りをサポートすることで、結果的に自分も前向きに進んでいける、というものだった。助言がなくても、きっと先輩ならうまくやっていただろうと思うけれど、意識的に実践することで、よりいい関係性を築けているのかもしれない。
 『そういうタイプではないって言うけど、冴介くんって頭もいいし』
 「なんでそう思うんですか」
 『あー、だって、ほら、図書室でも友達に教えてあげてる感じだったし。でも、成績のことだけじゃなくてね』
 先輩が褒め殺しをしようとしてくる、と俺はベッドの上で体育座りをして身構える。
 『僕、冴介くんが落ちているごみを拾っているところとか、掲示板のポスターを綺麗に貼り直しているところとか見たことあるんだよね。そういう周りに気を配れる人って生徒会向きだと思うんだ』
 思わぬことを言われてびっくりする。俺が思っているより、この人は俺のことを見ているのかもしれない。
 ただ、俺がまったくの善意でやっていると思っているのであれば、それは間違いだ。
 嘘をつくと地獄に落とされて閻魔様(えんまさま)に舌を抜かれるというのを聞いたのはいつだったか。占いをしていることで嘘をついていると思われるかもしれないと怯えた俺は、許してもらうために少しでもいいことをしようと行動するようになった。
 家族や友達には優しく。知らない人にも親切に。ごみが落ちていたら拾って。落し物は小さいものでも交番に。道路に出てきたミミズは並木の土の上に戻して。プールの授業では水面に浮かぶ虫を助け。
 もう今は閻魔様を本気で信じているわけではないし、占いと嘘は別のものと思っているけれど、ちょっとした善行を積むことで、大金をもらいながら、当たりもしない占い結果を先輩に伝え続けている罪悪感を誤魔化そうとしているという自覚はある。
 それを周りに気を配れる人だと当の本人に褒められ、居たたまれなさを覚えていると、姫榊先輩は続けた。
 『角でぶつかった日も、僕が転がしてしまったバケツを道路の脇に置いてくれていたよね。やっぱり、律儀な子だなって思ったんだ、そのあとも花びらを片付けたのか気にしてくれたし』
 「あぁ、もはや懐かしいっすね。ってか、今さらですけど、なんでバケツをあんな派手に転がしたんですか。先輩の性格からいって、近所に迷惑にならないように気を遣いそうなものなのに」
 運命をより演出するかのように響いた、古びた鐘に似た音を思い返す。
 『あ、あれね。本当はバラの花びらも、角で鉢合わせるときに自分の手でまくつもりだったんだよね。それが、いざ足音が聞こえて歩き出そうとしたら、緊張していたせいで、足がもつれて転びそうになって、飛び出すような形になってしまって。バケツだけはぶつけないように咄嗟に手から離して投げた結果、あんな音をたててしまったというか……』
 「ちょっと待ってください。ってことは、本当はコッペパンをくわえたまま、花咲かじいさんみたいに、バラの花びらを撒きながら運命の人と会おうとしてたってこと、ですか?」
 言いながら、真面目な顔でそれを行っている姫榊先輩を想像し俺は噴き出してしまう。
 「待って待って、シュールすぎますってー!」
 くくくくく、と笑う俺につられたのか、スマホの向こうからも先輩の笑い声が聞こえてくる。
 『あのときはね、ミス・アキュイティーに伝えられた条件を守ることに必死だったからそうは思わなかったけど、確かに、傍から見たらおかしな姿だったんだろうね』
 「この際だから言いますけど、なんでコッペパンくわえてたんですか。あれもたいがいおかしかったですよね。まだ食パンなら分かりますけど」
 『条件の一つがパンで、たまたま前の日に、スーパーの従業員の方におすすめのパン屋さんのコッペパンをもらったから、ちょうどいいかなって持っていったんだよね。でもその場で花びらの入ったバケツを持つのに両手がふさがってしまうことに気づいて、くわえるしかなくて』
 「嘘でしょ、おもろすぎる。俺、てっきりあれかと思ったんですよ。よくネタになる、遅刻しそうになって食パンを食べながら走ってる女の子が、曲がり角で男の子とぶつかって恋愛が始まる、みたいな王道シチュエーションを狙ったのかなって」
 『いや、そんな王道シチュエーションは知らないから、本当にたまたまだね。味は本当に美味しかったんだ。でも、大きかったからくわえているのもわりと大変だったし、冴介くんに話しかけたかったのに、なかなか食べられなくて、焦ったな』
 思い出したのか、はあ、とため息をついた先輩に、また笑ってしまう。先輩も一緒になって笑いながら続けた。
 『あのあと、本当のことを言えばかなり落ち込んだんだよね。僕の人生の中でも、失敗度合いがかなり高い出来事だったから』
 「落ち込んでいるとは思えないほど、あのあとグイグイ来てましたけどね……」
 『冴介くんのことは諦めたくなかったから、頑張ったんだよ』
 俺、じゃなくて運命の人ですよね、と喉元まで出かかるが、せっかく楽しく話しているのにわざわざ水を差すこともないと飲み込む。
 『それに、今は失敗して良かったって思ってる。冴介くんとこうして話して笑って、楽しい思い出にできたから』
 おっと、と体育座りのまま膝を抱える腕にぐっと力を入れる。時折、こういう心臓に響くことを投げ込んでくるから油断ならない。
 「まあ、それなら良かったですね」
 動揺した結果、他人事みたいな返しをしてしまった。しかし、先輩は『うん』と素直に答える。
 『じゃあ、そろそろ切るね。おやすみ。明日は朝に冴介くんたちのクラスに行くから。顔を見られるの楽しみにしてる』
 「了解っす。おやすみなさい」
 ピッと通話の終了ボタンを押したあと、小さくため息をつく。
 失敗して良かった、と優しい声で言った姫榊先輩に、あの出会いは結局失敗でしかなかったのだと再び思わせてしまうのかと思うと、心苦しかった。
 でもまあ、本物の運命の人とは、この失敗を糧にしてもっと素敵に出会えるだろうから、この失敗も無駄ではないはずだ。
 ――少なくとも、コッペパンをくわえた花咲かじいさんのような先輩が登場することはないだろうしな
 想像して、口元を緩ませる。もしあの日、そんな風に先輩が出てきたら、さすがの俺も反応に困ったかもしれない。
 本当に、萌えしかない人だな、と俺はゆっくりとベッドに寝転んで目を閉じた。

 *

 朝のホームルームの時間、教室に選挙管理委員を先頭に姫榊先輩たちが入ってきた。女子たちが、かっこいい、とヒソヒソと囁くのが聞こえる。
 全員が黒板の前に立ち、選挙管理委員から挨拶があったあと、一人ずつ簡潔に公約を述べていく。
 会長に立候補した姫榊先輩は真ん中に立っていたが順番は最後だった。ほかの人が話しているときは、そちらに体を向けて頷きながら耳を傾けていた先輩は、自分の番になると真っすぐ前を向き、落ち着いた声で話し始めた。
 ミスターノブレスという呼び名が似合う端正な顔立ちに背筋が伸びた綺麗な立ち姿。話している内容は分かりやすく、でも説得力もあり、お手本のような完成度。
 そこにいる姫榊先輩は、自分が中学時代から見ていた姫榊先輩そのもので、でも、いろいろな面を知った今となっては、なんだか完璧すぎてどこか作り物っぽく見えてしまう。
 と言いつつ、姫榊渉という人の内面を誰より知っていたつもりだった俺ですら、ミスターノブレスらしくない部分を知ったのはここ数週間の話なわけで、それだけ、先輩は普段から周りから立派に見られるように、気を張って過ごしているのかもしれない。
 姫榊先輩の話が終わってみんなで拍手をする。姫榊先輩が俺を見ることはなかった。どこに座っているかも分からないだろうし、無駄にキョロキョロするわけにもいないだろうし仕方ない。俺の顔を見られなくて残念がっているかも、なんて。
 「有難うございました!」
 候補者が声を揃えて頭を下げ、そして、顔をあげた姫榊先輩が教室の左後ろのほうに座っている俺に真っすぐ視線を向けて、ばちっと目が合う。
 お、さりげなく把握してたのか、と思い、ニヤッとして小さく拍手すると、先輩は、少し眉を下げてふっと笑った。
 しかし、すぐに隣にいた五徒先輩に背中を押されて、またきりっとした顔に戻った先輩は頭をみんなに向かって何度も下げながら教室から出ていく。
 「ねえ、何さっきのアイコンタクトみたいなの」
 戸が閉まるのと同時にホームルームは終わりとなり、その途端、後ろの席の女子に背中をつつかれる。
 「いや、たまたま目が合っただけだって」
 「えぇー? それだけで、姫榊先輩があんな気の抜けた顔すんの?」
 「知り合いがいたっていう安心感みたいなのがあったんじゃないの。知らんけど」
 そこに別の女子も参戦してくる。
 「なんかさぁ、ミスターノブレスっぽくなかったよね。やっぱり先輩には常に、微笑みを浮かべた余裕の表情か、冷静沈着な真面目な表情でいてほしい」
 「無茶言わないであげてよ。普通の人間なんだから、姫榊先輩だって」
 俺の言葉に、話していた二人の女子だけでなく、周りのクラスメートたちからも、信じられない、とでも言いたげな視線を向けられる。
 「俺らには、あの姫榊先輩を普通の人扱いするとか、まず無理だから」
 「そもそも先輩が、この高校に入って私たちみたいな一般人と接してくれるのは、帝王学の一環なんでしょ?」
 「やば。先輩から見たらうちらサンプルみたいなもんなん?」
 「学校だってさ、姫榊先輩の親からいろいろ寄付してもらってるから、頭上がらないらしいし」
 「ミスターノブレスの機嫌を損ねたら、親ごと遠くに飛ばされるって聞いたし、怖いよな」
 「つまり、逆らわないのが吉ってやつね」
 「もしくは、あのファンとか言ってる人たちみたいに媚びをうるか」
 「でもやっぱ顔はいいから、見るとキャーってなっちゃう。近づきたくはないけど」
 周りの言葉を聞くたびに、心臓の温度が一度ずつ下がっていくような気持ちになる。
 「……姫榊先輩ってそういうイメージなの? どっちかっていうと好かれてる人のイメージだったけど」
 俺が静かに聞くと、みんなは顔を見合わせた。
 「まあ、別に悪い人とは思ってないけど」
 「でも、金持ちの社会経験に付き合わされてるって思うとちょっとね」
 「だいたいさ、思うとこあっても姫榊先輩にそんな態度見せれないから」
 「なんか世界が違いすぎるから、全然冗談とかも通じないし気を遣うって、同じクラスの先輩が言ってたな」
 「あー、そういうのめんどいよね」
 何から言えばいいのか、分からない。
 生徒会長にふさわしくなるためにどうすればいいのかと真剣に考えている先輩のことも。毎日、スーパーで真面目にバイトしている先輩のことも。冗談が通じないから芸人のラジオを聞いて勉強しようとしている先輩のことも。同年代の人を家に呼んだことがないからって緊張してしまう先輩のことも。
 そんなこと、何も知らないような奴らに、一生懸命で、真面目で、志を高く持って、努力し続けていて、優しくて、可愛げがあって、ちょっと天然で、そんな先輩がなんで、こんなことを言われないといけないんだ。
 下手に口を開くと大声で悪態をついてしまいそうで、ぐっと唇を嚙みしめる。
 そんな俺の様子に、最初に声をかけてきた子が気づいたのか「あ、でも、青木くんは仲いいんだもんね。こんなの聞かされるの嫌だよね」と慌てたようにフォローをしてくる。
 「あのさぁ、俺が嫌だわ」
 少し離れたところから声があがる。
 顔をあげると、教室の前のほうに座っている飯津が、振り向いてこっちを睨んでいた。
 「だいたいそういうことを言うやつって、姫榊先輩の近くにいないやつなんだよ。剣道部員の中に先輩のことをそんな風にいうやついないし。姫榊先輩はマジでめっちゃいい人。そんな噂信じるだけ無駄」
 「それにさ~」
 俺の隣で中田がのんびりと話し出す。
 「姫榊先輩に俺、青木を通じて芸人のラジオ番組をいくつか教えたんだけど、この前、廊下で会ったときに、面白いし、いろいろなこと学べてるってお礼言われた。真面目な人だしそのうち冗談もうまくなるんじゃないの。普通にいい人っぽいって俺も思うけどな。ってか、いい人じゃなかったら、あそこまで女子たちに告白されることなくね? あと、青木がここまで仲良くなることないっしょ」
 「まあ……でもさぁ、青木もなんか最初は嫌がってなかった?」
 一人の男子が、往生際悪くそんなことを言ってくる。
 「――最初は、好きなバンドが一緒ってだけで、なんでこんなにグイグイ来るのかって思ったし、周りから注目されるのが嫌だったから。でも、今の話聞いてて思ったけど、そもそも自分たちとは違うって壁を作ってくる人たちがこんな風に周りにいっぱいいたら、そりゃ、趣味の話ができる人見つけて嬉しかったんだろうなって納得したわ。実際話したらいい人だし、当たり前だけど、俺たちと一緒で普通に心配したり焦ったりするところもあるし、俺は……」
 俺は、好きだよあの人。
 そう続けるつもりだったのに、「好き」という言葉をなぜか口にできず、一拍置いて続ける。
 「俺は、あの人と仲良くなれて良かったと思ってる」
 キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴り、みんな気まずそうな顔のまま席へと戻り話は立ち消えとなった。
 授業が始まっても、俺は先輩のことを考えていた。以前、俺が先輩の言うことを淡々と受け入れるから楽だ、と言っていたことがあった。つまり、周りの人に淡々と受け入れてもらえていないことを、特別視されていることを、先輩は分かっているということだ。
 今回の選挙で、生徒会長にふさわしいと思ってもらえるように、と書いてあったときも、志が高いという母の言葉に俺は納得してしまったけれど、そうではなく、本当にどう思われるか不安だったのかもしれない。だとすれば、ミス・アキュイティーの助言が的外れだった可能性があるし、今も先輩は不安なままかもしれなくて。だから、今日もあんな顔を俺に見せたのだとしたら。
 選挙は今週の金曜日。ミス・アキュイティーとしてはもう何もアドバイスはできない。でも、俺ならできることが、あるかもしれない。
 口に出せなかった「好き」の一言が、胸の中にころりと転がっているのはとりあえず無視して、俺は黒板をぼんやりと眺めながら頭を回転させた。

 *

 金曜日の一時間目、一、二年生が体育館に集まった。
 候補者たちがこれから檀上で演説を行い、その後、生徒たちはそれぞれの学年の選挙管理委員が設置している投票箱に自分の票を入れて教室へと戻るのだ。
 「今回、生徒会長と副会長は信任投票となります。信任する場合は、名前の上に丸をつけ、信任しない場合はバツをつけてください。何も書いていないものは無効票となります。会計と書記は、各学年一人ずつ選んで丸をつけてください――」
 選挙管理委員長がステージの中央で簡単に説明を行ったあと、会計、書記の順に一人ずつ中央のマイクスタンドで立候補した理由、公約の具体的な内容などについて話していく。
 その間も、ステージ上で椅子に座り自分の順番を待つ姫榊先輩を、俺は緊張しながら眺めていた。

 先輩に、自分からLIME通話をしたいと連絡したのは昨日のことだ。
 できれば顔を見ながらがいいんですが、と言う俺に、先輩はなぜかと聞くこともなく受け入れてくれた。
 「単刀直入に言うんですが、明日の選挙演説、この前教室で話してくれたような内容だと、もったいないと思います」
 俺の言葉を聞いて、姫榊先輩は目を見開いた。
 『どういうこと?』
 「言葉を選ばずにいえば、あまりにありきたりというか」
 『そうかな……五徒さんとも擦り合わせて作った内容なんだけど』
 「別に、内容が悪いわけではないんです。でも俺、先輩にしかできない生徒会長の形があると思ってて」
 『例えば?』
 「ポイントは、サポートだと思います」
 俺の言葉に、先輩は、はっとした顔をした。そうだろう。これは、ミス・アキュイティーからも伝えたワードだ。うまく会話の中でこの言葉を盛り込めるか、と思いながら俺は続けた。
 「一般的に、生徒会って、こんな実現したいことがある、そのために皆さんの力を貸してください、ということが多いじゃないですか。実際、今回の候補者の公約でもそういう発言が多かったし、先輩も言ってましたよね」
 『そうだね』
 「でも、姫榊先輩は、うちの高校に対して強い発言力があるじゃないですか。姫榊先輩がそう思っていなかったとしても、うちの高校は姫榊先輩の御実家からの寄付で体育館とか綺麗にしたって聞いてるし、実際に学校側も先輩の意見とかを無視はできないと思うんですよね。あと、俺のクラスメートから、姫榊先輩の機嫌を損ねたら一家ごと飛ばされるって噂を聞いたりもしてて」
 『一家ごと飛ばされる!?』
 「つまり、先輩は、それだけ強大な力を持ってるって生徒たちから思われているわけです」
 『そんなことないんだけどね……』
 「でも、その印象を逆手にとって、生徒から力を貸してもらうのではなく、生徒に力を貸す会長になれると思うんですよね」
 姫榊先輩は黙って、俺の言っていることを考えているようだった。
 「公約は公約として置いておいて、それ以外にも、先輩が会長になったら、生徒からいろいろと困ってることや改善してほしいことを言ってほしいということも伝えてみてはどうでしょう。生徒会だけでは無理なことでも、自分が学校との懸け橋になるということで」
 『なるほど……』
 「もしできるのであれば、ちょっと冗談を言ってみたり。僕の強力な後ろ盾を使ってサポートします、みたいな」
 『急にハードルが高くなったけどね』
 笑いながらも、サポートか、と先輩は頷いた。無理やりねじ込んだが、納得してもらえたらしい。
 『生徒会長になるからには、みんなを引っ張って、支えてもらって、何か目に見える成果を成し遂げないと、みたいに気を張っていたけれど、そうだね、僕の生徒会長はそうでなくてもいいのかもしれないね。みんなが快適に高校生活を送れるようにサポートする、縁の下の力持ちのような生徒会長がいてもいいよね』
 「ですね。俺は、先輩が会長になったら、一年生の下駄箱に置いてある、すのこの一部が折れてるのを直してほしいかも」
 『分かった。僕が会長になったら、最初に取り組もう』
 はははっと楽しそうな声で笑った先輩は、これから明日の原稿をもう一度考えなおしてみる、と言った。
 その後少しだけ関係ない話をしたあと、俺たちは、おやすみなさいと言い合って通話を切った。
 顔を見て話したことで、先輩の表情が明るくなったのが分かった。ミス・アキュイティーではなく、青木冴介といても、少しは手助けできたかな、と思いながら俺はどうかうまくいきますように、と祈ったのだ。

 「生徒会長候補、姫榊渉さん」
 檀上で、ついに先輩の名が呼ばれた。
 しっかりとした足取りで中央に立つマイクへ向かう先輩を、昨日と同じように祈りながら見つめる。
 メモなど何も持つことなく、先輩は一呼吸おいて体育館の床に座る生徒たちを眺めながら話し始め、それを真剣に聞き始めた俺は、すぐに呆気にとられた。
 「僕が生徒会長に立候補したのは、もちろんよりよい学校を作りたいという気持ちがあったからです。しかし、もしかしたらそれよりも、姫榊の名を背負っている僕は『生徒会長にならない』という選択肢を選べなかったから、という理由の方が大きいかもしれません。そして、みなさんも僕以外を選んだり、僕を不信任にするということはしにくいでしょう。気を遣わせてしまって申し訳ないと思っていますが、お互い、しょうがないという気持ちで、僕が生徒会長になる方向で進めさせてもらえればと思っています」
 体育館全体が、笑ってもいいのかどうなのか、という空気になる。しかし、すぐに二年生の誰かが「しょうがないからそうしようぜー!」と叫び、ようやく笑いが起きたところで、姫榊先輩も照れたように笑う。
 そこから、公約についておそらく予定通りに話した先輩は、いったん言葉を途切れさせて、おもむろに続けた。
 「また、これまで語ってこなかったことですが、僕が生徒会長になったらどんないいことがあるかを最後にお伝えしたいと思います。僕は、最初にもお伝えしたとおり、姫榊の名を背負っています。これは、意外と強力なカードらしく、このカードのせいでみなさんを威圧していることもあるのかもしれません。でも、使いようによっては、このカードはみなさんの役にも立つと思うのです。例えば、僕は学校との話し合いでも、このカードをちらつかせることができます」
 姫榊先輩の視線を受け、体育館の横に立っていた校長が、わざとらしく、えーっとのけぞってみせて、笑いが起きる。
 「ですので、僕が生徒会長になったら、皆さんからこの学校のここを変えたい、という意見を広く募集し、みなさんがより快適に学校生活を送れるように、僕の持つカードや後ろ盾を惜しみなく使うことをお約束します。ただ、もちろんなんでも言うことを聞く、というわけにはいきません。みなさんにお願いしたいのは、自分たちのことだけではなく、僕という姫榊のカードを使える者がいなくなったあとも、未来の生徒たちが快適に過ごすために必要な改修や改革について考えてほしいということです。些細なことでもかまいません。一緒に形にしていきましょう」
 思っていた以上だ、と檀上の先輩を眺める。この人はやっぱりすごい。親しみやすさと同時に、視野の広さやリーダーシップをさらに感じさせる内容に仕上げてきた。教室で聞いたスピーチの何倍も何十倍も何百倍もかっこいい。
 「実は、すでに生徒会長になったらやってほしいということを、一件受け付けました。昇降口のすのこの補修です。怪我にも繋がりかねないことですので、できるだけ早く取り掛かる予定です」
 そう言った先輩が、俺のほうをちらっと見て優しく笑う。みんなの視線を一身に受けている人が、今この瞬間、何百人という中から俺を見つけ、俺のことだけを見ている。そのことが、驚くほど俺の胸をぎゅっとさせ、泣きたいような気持ちになる。
 「以上です。よろしくお願いします」
 よく通る声で締めて、深々とお辞儀をした先輩に万雷の拍手が降り注ぐ。
 俺も、周りに負けじと手を叩きながら、胸の内に転がしっぱなしだった「好き」という言葉を改めて見つめる。
 ずっと、あの人はただの推しだと自分に言い続けてきていたけれど、心はもう誤魔化しが聞かないくらい、形を変えてしまった。
 諦めるしかない。
 俺は、姫榊先輩のことを、好きになってしまったのだ。