目を丸くさせたサチが清を見上げる。
「無理だよ。何回も試したもの」
「でも、穴からだって、出られたよ。僕と一緒なら出られるかもしれない」
「でも」
サチが俯く。清がきょろきょろ辺りを見渡して、サチに耳打ちした。
「今はサンジン様って近くにいる?」
清の問いに、サチが首を振った。
「いないよ。サンジン様はほとんど出歩かないから。年に一度くらいじゃないかな」
「そっか」
それならば、子どもの悪巧みに気付かないかもしれない。山に結界を張っているのがサンジン様でも、生きている人間は通してくれるわけだから、一度くらいすり抜けることだってあるだろう。
ほんの気まぐれだった。サチがずっと閉じ込められてて、まだ子どもなのに自由にさせてもらえなくて、とても残酷な仕打ちだと思えたのだ。ここから出してあげられたら、もっと沢山一緒に遊べる。そう、思ったのだ。
手を繋いで、ゆっくり山を下りる。足音が聞こえたら、清の考えがそこから染み出て、サンジン様に気付かれてしまう。
手のひらに汗が滲んでも、清はサチの手を離さなかった。やがて、山と隣接する道路が見えた。
「行くよ」
「うん」
「せーのッ」
二人で山から一歩出る。
足元を見ると、ちゃんと二本出ていた。一本は清、もう一本はサチだ。
出られた。
山から出られた。
清以上に、サチの喜びは計り知れないものだった。呆然と立ちすくむサチの両手を握り締める。
「サチ、出られたよ」
サチが震えながら、清の顔を見た。
「出られた」
「うん」
サチは目も口も真ん丸にさせて、道路から見える景色を眺めていた。
「綺麗だね」
「うん。もっと行けば、海も見えるよ」
「小さい頃に行ったことある。お母ちゃんと」
「……行ってみようか」
突然の提案に、サチが驚きの声を上げた。
「えッ」
清が前を見つめたまま言う。
「だってさ、せっかく出られたんだもん。この景色だけじゃなくて、もっと大きなものを見せたくなる。どう?」
サチは一瞬の笑顔の後、困ったような、悲しいような表情で俯いた。
「いいね。行きたい、けど、どうだろう。ここを離れて大丈夫かな」
不安な気持ちがこちらまで伝わってくる。清はサチを楽しませたいだけで、無理をさせたいわけではない。
「なら、ちょっとずつ慣れていこう。しばらくはこの辺りで遊んで、大丈夫そうだったら、いつか海を見に行こう」
清が右手の小指を差し出す。そこに、サチが小指を絡ませた。
「ゆーびきーりげんまん、うそついたら、海に連れてってもーらう」
「はは、それじゃ一緒じゃん」
「だって、海、行きたいもの」
歯を見せて笑う彼女が眩しい。もう、この小指を離すことはできないと思った。
「今日は、近くを探検しよっか。実は僕も引っ越してきたばかりで詳しくないんだ」
「いいよ」
引っ越してもう十日を過ぎたが、清が行く場所と言えば学校か山しかないものだから、それ以外はさっぱりだった。良い機会だ。長く住む予定だから、この辺りのことを知っておいた方がいい。
山をぐるりと取り囲む道をのんびり歩き、そこからいくつか伸びた細道を適当に選んで進んでいく。小さな商店街だった場所に出た。
「開いてないね」
閑散とした道にいくつも看板はあるものの、営業している店は見当たらない。端まで歩いて、ようやくシャッターが開いているところを見つけた。
「行ってみよう」
少し遠くから、店の中を覗く。駄菓子屋らしい。二人は顔を見合わせて、そろそろと近づいた。
「こんにちは」
店に半歩だけ入って挨拶をする。
「いらっしゃい」
奥の方からか細い声がした。姿は見えなかったが、やがてぱたぱたとスリッパの音が聞こえ、おばあさんが一人、顔を出した。
「おや、はじめましての子やね。どうぞ、ゆっくり選んで」
「有難う御座います」
椅子に座り、にこにこと笑っている。きっと、この付近の子ども全員と顔見知りなのだろう。清もその一人になったわけだ。横でサチが歩いても、おばあさんの目線は清の方にある。清はサチの言っていることが事実なのだと実感した。
店頭に置かれた手のひらサイズのカゴを持って、駄菓子をいくつか入れて会計をしてもらう。
「ありがとうね」
「また来ます」
「はい、待っちゅうよ」
祖母と同じくらいのおばあさんに手を振られて、サチと店を出る。そのままふらふら歩き回り、元の山に戻って買った駄菓子を広げた。
「お金、ごめんね」
「全然。二人で二百円だし。気にしないで」
持ち合わせがないことを気にするサチに、清が両手を振って気にしていないことを伝えた。祠にいくらか金が置かれているのを知っているが、もしもそれを渡されても、到底使うことはできない。
「美味しい。初めて食べた」
「サチは普段お腹空いたりしないの?」
こうして食べることができるのなら、食べられない時は空腹を我慢しているのではないかと考えたが、幸いなことにサチが否定してくれた。
「空かないよ。でも、食べると味はするし、美味しいと思う。だから、食べるの好き」
「そっか」
「清君と食べるのはもっと好き」
唐突な告白に、清は目を大きくさせて固まった。心臓が飛び出てやしないか、胸元をさする程だった。
「ごちそうさま! か、帰ろうか。送る」
「ありがと」
急に立ち上がった清にサチがくすくす笑う。ここが山の中だというのをすっかり忘れていた。
「うわ、恥ずかしい!」
「えへへ、じゃあ私が麓まで送るね」
「うん……ありがとう」
ゴミが入った袋をがさがさ音を立たせて帰り道を行く。途中、学校の話を聞きたいと言われたので、授業の話をしてみた。行事や部活についても、経験したら話してみよう。
「じゃあね」
両手で手を振られる。右手を挙げようとして、袋を持っていたことに気が付き左手で返す。清は喜びの声を出しながら、家まで走った。
──楽しい! これが毎日続きますように!
「無理だよ。何回も試したもの」
「でも、穴からだって、出られたよ。僕と一緒なら出られるかもしれない」
「でも」
サチが俯く。清がきょろきょろ辺りを見渡して、サチに耳打ちした。
「今はサンジン様って近くにいる?」
清の問いに、サチが首を振った。
「いないよ。サンジン様はほとんど出歩かないから。年に一度くらいじゃないかな」
「そっか」
それならば、子どもの悪巧みに気付かないかもしれない。山に結界を張っているのがサンジン様でも、生きている人間は通してくれるわけだから、一度くらいすり抜けることだってあるだろう。
ほんの気まぐれだった。サチがずっと閉じ込められてて、まだ子どもなのに自由にさせてもらえなくて、とても残酷な仕打ちだと思えたのだ。ここから出してあげられたら、もっと沢山一緒に遊べる。そう、思ったのだ。
手を繋いで、ゆっくり山を下りる。足音が聞こえたら、清の考えがそこから染み出て、サンジン様に気付かれてしまう。
手のひらに汗が滲んでも、清はサチの手を離さなかった。やがて、山と隣接する道路が見えた。
「行くよ」
「うん」
「せーのッ」
二人で山から一歩出る。
足元を見ると、ちゃんと二本出ていた。一本は清、もう一本はサチだ。
出られた。
山から出られた。
清以上に、サチの喜びは計り知れないものだった。呆然と立ちすくむサチの両手を握り締める。
「サチ、出られたよ」
サチが震えながら、清の顔を見た。
「出られた」
「うん」
サチは目も口も真ん丸にさせて、道路から見える景色を眺めていた。
「綺麗だね」
「うん。もっと行けば、海も見えるよ」
「小さい頃に行ったことある。お母ちゃんと」
「……行ってみようか」
突然の提案に、サチが驚きの声を上げた。
「えッ」
清が前を見つめたまま言う。
「だってさ、せっかく出られたんだもん。この景色だけじゃなくて、もっと大きなものを見せたくなる。どう?」
サチは一瞬の笑顔の後、困ったような、悲しいような表情で俯いた。
「いいね。行きたい、けど、どうだろう。ここを離れて大丈夫かな」
不安な気持ちがこちらまで伝わってくる。清はサチを楽しませたいだけで、無理をさせたいわけではない。
「なら、ちょっとずつ慣れていこう。しばらくはこの辺りで遊んで、大丈夫そうだったら、いつか海を見に行こう」
清が右手の小指を差し出す。そこに、サチが小指を絡ませた。
「ゆーびきーりげんまん、うそついたら、海に連れてってもーらう」
「はは、それじゃ一緒じゃん」
「だって、海、行きたいもの」
歯を見せて笑う彼女が眩しい。もう、この小指を離すことはできないと思った。
「今日は、近くを探検しよっか。実は僕も引っ越してきたばかりで詳しくないんだ」
「いいよ」
引っ越してもう十日を過ぎたが、清が行く場所と言えば学校か山しかないものだから、それ以外はさっぱりだった。良い機会だ。長く住む予定だから、この辺りのことを知っておいた方がいい。
山をぐるりと取り囲む道をのんびり歩き、そこからいくつか伸びた細道を適当に選んで進んでいく。小さな商店街だった場所に出た。
「開いてないね」
閑散とした道にいくつも看板はあるものの、営業している店は見当たらない。端まで歩いて、ようやくシャッターが開いているところを見つけた。
「行ってみよう」
少し遠くから、店の中を覗く。駄菓子屋らしい。二人は顔を見合わせて、そろそろと近づいた。
「こんにちは」
店に半歩だけ入って挨拶をする。
「いらっしゃい」
奥の方からか細い声がした。姿は見えなかったが、やがてぱたぱたとスリッパの音が聞こえ、おばあさんが一人、顔を出した。
「おや、はじめましての子やね。どうぞ、ゆっくり選んで」
「有難う御座います」
椅子に座り、にこにこと笑っている。きっと、この付近の子ども全員と顔見知りなのだろう。清もその一人になったわけだ。横でサチが歩いても、おばあさんの目線は清の方にある。清はサチの言っていることが事実なのだと実感した。
店頭に置かれた手のひらサイズのカゴを持って、駄菓子をいくつか入れて会計をしてもらう。
「ありがとうね」
「また来ます」
「はい、待っちゅうよ」
祖母と同じくらいのおばあさんに手を振られて、サチと店を出る。そのままふらふら歩き回り、元の山に戻って買った駄菓子を広げた。
「お金、ごめんね」
「全然。二人で二百円だし。気にしないで」
持ち合わせがないことを気にするサチに、清が両手を振って気にしていないことを伝えた。祠にいくらか金が置かれているのを知っているが、もしもそれを渡されても、到底使うことはできない。
「美味しい。初めて食べた」
「サチは普段お腹空いたりしないの?」
こうして食べることができるのなら、食べられない時は空腹を我慢しているのではないかと考えたが、幸いなことにサチが否定してくれた。
「空かないよ。でも、食べると味はするし、美味しいと思う。だから、食べるの好き」
「そっか」
「清君と食べるのはもっと好き」
唐突な告白に、清は目を大きくさせて固まった。心臓が飛び出てやしないか、胸元をさする程だった。
「ごちそうさま! か、帰ろうか。送る」
「ありがと」
急に立ち上がった清にサチがくすくす笑う。ここが山の中だというのをすっかり忘れていた。
「うわ、恥ずかしい!」
「えへへ、じゃあ私が麓まで送るね」
「うん……ありがとう」
ゴミが入った袋をがさがさ音を立たせて帰り道を行く。途中、学校の話を聞きたいと言われたので、授業の話をしてみた。行事や部活についても、経験したら話してみよう。
「じゃあね」
両手で手を振られる。右手を挙げようとして、袋を持っていたことに気が付き左手で返す。清は喜びの声を出しながら、家まで走った。
──楽しい! これが毎日続きますように!



