サチとサンジン様

 サチだ。サチに会えた。思いがけない幸運に清の心臓が縦横無尽に飛び跳ねた。

 間近で見るサチは先日別れた時と全く変わらず、衰弱した様子も無い。体が消えかけてもいない。こうして出歩けるのなら、サンジン様に無理強いされて監禁されていることもなさそうだった。

「よかった……」

 間に合った。サチはまだ元気だ。清がサチの肩を掴んで言う。

「サチ、僕調べたんだ、サンジン様のこと」
「しッこっちに来て」

 手を掴まれたまま、獣道をどんどん進んでいく。

 ものの数分で開けた場所に出た。驚いたことに、そこはいつもの祠の裏側だった。この獣道を使うとこんなにも近かったのか。サチは清を連れて、そのまま洞穴の中に入った。

 洞穴の中で二人、身を潜めて座る。

「もういいよ。でも、小声で。清君がいるって分かったら、今度こそ何をされるか」
「ああ、昨日の……」

 人生で初めて感じた、言いようのない不安で覆い尽くされる気持ちはもう味わいたくないと思う。神からの拒絶は精神を蝕んでしまう。

「図書館で調べてたら、サンジン様についての伝承が書かれた本があったんだ」
「うん」

「前に、サチの体が薄く透けたことがあったでしょ? その本には、山を離れると消えるって書いてあって……もしそれが本当だったら伝えないといけないと思って」

「──うん」

 清の言うことに、サチが頷いた。

「私もついこの前聞いたところ。本当だよ、すぐには消えないみたいだけど」

 推測が証明され、清が青ざめる。

「僕の所為だ。ごめん、僕が山から出ようって言ったから」
「違うよ。私が望んだから。清君は手助けしてくれただけ」

 甘い慰めに、余計心が痛くなる。

「どこか、体が痛いとかない?」
「大丈夫。あれから外に出てないし……というか、サンジン様に結界を張られちゃって出られないの」
「やっぱり。僕も入れなかった」
「二人揃うと、そこだけ一瞬解かれるみたいだね」

 何故なのか分からないが、考えたところで答えは出ないだろう。清が膝に乗せた手を弄りながら言う。

「サチはさ、どうしたい? このまま、前と同じように山だけの暮らしになるけど、それなら消えないみたいだし。僕だったら──」
「ううん、私、もう嫌」

 清が顔を上げてサチを見つめる。

 サチもこちらを見ていた。
 サチがはっきりと拒否を示したのは初めてだった。

 いつも穏やかな彼女からは想像もつかない熱を感じる。

──サチが願うなら、僕は。

「分かった。それなら、探そう。山から出られる方法を」
「ありがとう」

 物理的に出られるというのであれば、先ほどのように二人揃って壁に手を当てたら通り抜けられるかもしれない。しかし、それではだめだ。

 サチが山を出ても消えない方法を探さなければならない。

「サチ。サチはサンジン様と契約しているから、出られないんだよね」
「うん」
「じゃあ──」

 その後の言葉に躓いてしまった。

 清の右手に、サチのそれが重なる。

「サンジン様のところへ聞きに行こう」

 とうに覚悟は決まっていたらしい。清も頷く。

「今、サンジン様起きてるかな。たまにしか起きないんでしょ?」
「うん。でも、最近は私がうろちょろしていたせいで探してくれていたみたいだから、また起きると思う」

 サチが体育座りをして、膝に顔を埋める。サンジン様の捧げ人として来たのに、仕えるどころか迷惑をかけてしまった。その上、外に出たいだなんて。

「私が外に出たいって言ったら、また捧げ人が必要になるのかな」

 自分から最後にしてくれと申し出たことなのに、なんと我儘なことか。サチの心が押し潰されそうになる。清がサチの肩を掴み、顔を上げさせる。

「必要無いよ。それに、百年も山に閉じ込められてたんだ。外に出たいって望むことは当然のことだ。サチだって、ただの女の子だったんだから」

 サチが清を見て、顔をまた埋め、そして呟いた。

「ありがとう」
「僕は何もしてないよ」

 本当なら、この身一つで助けたいと思っている。しかし、それだけでは足りないことを理解している。大人になったら違うのだろうか。

「サンジン様が起きたらすぐ分かるから、それまで寝てていいよ」
「サチは起きてるの?」
「私は眠くならないから」

 清はたまらなく寂しくなったが、大人しく従うことにした。間もなく日付を跨ぐ。もし現れなかったら、夜明けまでには一度戻らなければ。

「暇だったら、僕のスマホ見てて。写真いろいろ撮ってあるから」
「うん」

 写真の画面を開いてサチに渡す。清は二度目の仮眠のため目を閉じた。

 サチが写真を一枚タップする。清と出会ってすぐの写真だった。一枚一枚、丁寧に見ていく。風景を切り取ったデータに過ぎないそれが、大切な記憶を呼び起こしていく。

「ふふ、沢山撮り過ぎ」

 途中、祭りの写真が出てくる。

 初めて参加した秋祭り。サチが生きた明治の頃は無かった。

 山の中からいつも聞いていた太鼓の音。

 清が叶えてくれた。

 サチの願いを、全て叶えてくれた。

「清君」

 小声で呼びかけても反応は無い。もう寝てしまったらしい。スマートフォンのカメラを起動させ、清の顔に自身の顔を寄せる。

 カシャ。

 夜には少々不自然な音が響く。表示されたデータにサチが微笑んだ。

「寝てる時に撮っちゃってごめん。気に入らなかったらあとで消していいから」

 洞穴から顔を出し、数枚写真を撮る。フラッシュを焚いても夜には勝てない。それでもサチは満足そうな表情で画面を眺めた。

 三時間程して、サチが僅かな騒めきに気が付いた。

──サンジン様だ。

 まだ目の前に現れていないが、サンジン様の気配がここまで伝わってくる。

 昨日の今日でまた神木から出てくるとは。やはり、サチが山にいるのか見回っているのだろう。特に昨日は清が結界に入ろうとしていたから余計だ。

「……清君、起きて」

 肩を揺らすと、清が眠そうに目を擦りながらも上半身を起こした。

「もしかして、来た?」
「うん。サンジン様の気配がする。まだ遠くだけど」

 耳を澄ませてみるが、何も聞こえない。

「ここから出る?」
「そうだね」

 怖くないと言ったら嘘になるが、サンジン様に会わなければ前へ進むことはできない。

 手を繋ぎ、洞穴から外を覗く。

「誰もいない」

 清がはじめに、続いてサチが洞穴から外へと出た。サチが頬を緩める。

「どうしたの?」
「初めて会った時みたいで」
「ああ、確かに」

 たまたま山に入って祠を見つけて、サチに声をかけられた。どれだけの偶然が重なっているのか自分でも分からない。

 洞穴の外はまだ暗かったが、寝る前より僅かに光が近付いている雰囲気を感じる。

「あの大木のところかな」

 サンジン様は普段神木で休んでいるので、遠い位置にいるならきっとそこだろう。

 清とサチが並んで山道を進む。途中、梟が近くを飛んで、清は悲鳴を上げそうになった。

 そんな清を見て、サチが手を繋ぐ力を強める。サチの手も震えていた。

 間もなく神木というところで、空気ががらりと変わった。異世界に足を踏み入れた感覚に陥る。

 確実にいる。単なる人の子でも理解できる。

 圧に負けず、足を進める。神木の全体が見えるところまで近づくと、幹から体を半分出した大男がいた。

 白銀の髪の毛は腰を越え、さらさらと風に靡いている。涼し気な瞳がしっかりと二人を見つめ、ぬう、と体を全てを外に出した。

──この人が、サンジン様……。

 初めて対峙した神の存在に押し潰されそうになる。昨日のように声を荒げられたわけでもないのに、気を抜くと倒れそうだ。これが人とは位の違うところに住む者か。そこにいるだけで、力が充満する。