サチとサンジン様

「あらぁ、台風だって」

 神に負け、逃げ帰って早々、母のそんな声を聞いた。母の横に座り、テレビに齧りつく。

 アナウンサーが、明後日にでも台風が上陸すると言っている。十年に一度の規模らしい。もしも阿河町を通ってサンジン様の山を蹂躙したら、あの獣道も無くなってしまうかもしれない。

 山にいるサチの住処も雨で沈んでしまったら。
 やはり、彼女には自由が必要だ。

 タイムリミットは明日の夜。清はさっそく準備に取りかかった。

 リュックに効くか分からないお守りをあるだけ入れ、その他、獣道を抜けるためにおもちゃの剣を。サンジン様の声が聞こえたら耳栓もしよう。もしかしたら、鏡が苦手かもしれない。訳の分からないものを詰めて、きっと笑われる。でも、真剣なのだ。

 どうしたら神に勝てるのか分からない。勝てやしないだろう。それでも、戦うのだ。思いつくもの全てを持っていくしかない。

──決行は、明日の夜。

 今日はすでに行っている。サンジン様も起きていた。今日一日は向こうも警戒して見回りをしているかもしれない。だから、明日の夜まで待って、山が寝静まってから侵入する。

 宿題は終わっている。部活も無い。遊びの予定も入れていない。問題は夜に家をどうやって出ていくかだ。

 市原家の門限は十八時と決められている。これは土日も変わらない。少し過ぎたくらいで怒られることはないが、夜出発するとなると、出ていく時点で門限はとっくに過ぎている。

 つまり、家族に内緒で出ていかなければならない。幸い、就寝してから清の自室を覗かれたことはないので、家を出られさえすればバレることはないだろう。

「清~、夜ご飯何がいい? お肉なら焼肉かしょうが焼き作れるよ。魚だったら焼鮭かな」
「しょうが焼きがいい!」

 一階に下りた清が母の手伝いを買って出る。家の裏にある倉庫から野菜を運び、ご飯を盛りつけた。その間に父が帰宅し、自室で休んでいる祖母を呼んで夕食となった。

「テレビつけるよ」

 父がニュース番組を観始める。地方番組なので、本日のニュースも動物園で赤ちゃんが生まれたという平和なものだった。耳だけ傾けていると、やはり台風のニュースが流れた。

「台風かぁ。明後日の夜だって。雨戸をしっかり閉めておこう」
「そうねぇ」

 両親がのんびり言う横で、祖母が数珠を持ちながら拝んでいた。

 どうやらこの地域はたびたび台風に見舞われるらしいが、サンジン様のご加護か、大きな被害は無かったらしい。そうであるのに、今回は被害が出るかもしれないとニュースで騒ぐので、サンジン様が怒っていると思っているのだろう。

 それが違うとも言い切れないのが、当事者として心苦しい。サンジン様が本当に天候を操ることができるのかは知らないが、神と呼ばれる人ならぬ者であるので、そのくらいのことができても驚きはしない。





「たしかこの辺に」
「何してるんだ?」

 日曜日、朝から倉庫を漁っていたら、後ろから父に話しかけられた。内心焦りながら振り向く。

「ええと、サッカーボール探してる。今度友だちと遊ぶ時持っていこうと思って」

 夏休みに一度見かけたことがある。我ながら無難な言い訳だと思う。

「サッカーボールか、奥にあったと思うよ」

 父が倉庫に入り、それは簡単に見つかった。

「ほら」
「ありがと。片付けたら倉庫閉めておくね」
「うん」

 ボールを倉庫の横に置き、父が家に入るのを確認してから改めて中に入った。
 父が倉庫内の荷物を少しどけてくれたおかげで、目当ての物も見つかった。

 梯子だ。

 これを一階の屋根に引っかけておき、夜になったら二階の窓から屋根に下り、梯子を使って外に出る作戦だ。

 まだ取り付けるのは早い。誰かに見つかった時点で失敗に終わる。清は茂みに梯子を隠して室内に戻った。

 昼食後、自室で明日の予習をしていたら、外から元気な声がした。

「清~、川で遊ぼう~」

 窓を開けると、飯田が手を振っていた。

「太一」

 飯田が持っているバケツを見せつける。

「あこの川、魚獲れるねや」
「行く!」

 ちょうど何か気分転換したいところだった。帽子を被り、小ぶりのバケツを持つ。少し迷ってサッカーボールを手にする。

「清、タオル持っていって。濡れるよ」
「そっか。いってきます」
「いってらっしゃい。夕方には戻ってきてね」

 待っていた飯田に連れられ、川を目指す。登校途中に見かけるそれは、水深は浅そうだが、川で遊ぶことをしてこなかった清にとって未知の場所だった。

 五分程で川に着いた。飯田に倣って靴下を脱ぎ、裸足になる。

「川に入る直前まで靴履いた方がえい。石が痛いき」
「なるほど」

 確かに痛そうだ。ビーチサンダルを持ってきたらよかった。

 飯田は慣れているのか、平気そうな顔で靴を脱ぎ捨て、ざぶんと川に入った。清も思い切って川に入る。

 水は膝の下あたりで、冷たいが耐えられないことはない。

「見て! 魚おる!」

 指差す先で魚が優雅に泳いでいた。川の底まで見える。随分と澄んでいる。清が中腰になって覗き込むと、魚が速度を上げて逃げていった。

「ごめん、逃がしちゃった」
「えい。こじゃんとおるき、またすぐ見つかる」

 飯田の言う通り、よく眺めていると小魚をあちこちで見つけられた。

「獲れた!」

 顔を上げると、飯田が両手をくっつけて歩いてくるところだった。清も小走りで近寄る。

「どれ」
「待って」

 バケツの中で手を広げる。魚が一匹、バケツの水に落ちた。

「おお~すごい。上手」
「褒めてもなんも出ん」

 誇らしげな顔を見て、清も俄然やる気が出た。足元にやってきた魚に狙いを定め、少しずつしゃがんでいく。

「まだ、ぎりぎりまで粘れ」

 友人も小声で応援してくれている。これは裏切れない。水面に付くか付かないかのところで、一気に両手を突っ込んだ。

「やッ……あれ」

 手のひらに魚の感覚があったので捕まえられたと思ったが、どうやらすり抜けられてしまったらしい。ぬか喜びとなった清の横で、飯田が大笑いしていた。

「あッはは!」
「次は上手くいく」
「おう。一緒に頑張ろ」

 三度目の挑戦でようやく一匹をバケツに納めることができた。二人でハイタッチする。

「あと、タニシも」

 ついでに見つけたタニシをぽいとバケツに入れる。

「タニシはどうするの?」
「食べる」
「食べる!?」

 思わずバケツの中を凝視した。これを食べるのか。思ってもみなかった返答に頭が混乱する。

「食べられるの?」
「うん。味噌汁に入れるねや」
「へぇ!」

 家に帰ったら清も母に頼んでみよう。二人はしばらく魚獲りに明け暮れ、その後はサッカーボールを蹴って走り回って遊んだ。

「五時なりそう、もう帰らんと」

 時間を確認した飯田が帰り支度を始める。清も夕食の準備をする前に帰っておきたいので、一緒に帰ることにした。途中まで歩き、分かれ道で手を振り合う。

「また明日」
「うん」

 飯田の家はここから中学校を過ぎたところなので、十五分以上歩くことになる。わざわざ来てくれたことが嬉しい。次は自分から誘ってみようと思う。

 帰宅し、タニシと小魚を母に見せる。タニシの味噌汁を作ってほしいと頼んだら、スマートフォンで作り方を調べてくれた。どうやら全国的には食べられていないらしく、母も初めて聞いたという。