サチとサンジン様

 朝日が昇るまで、サチは小雨の降る外を眺めていた。途中で雨は止み、星々が顔を出す。それらが段々と薄れていき、代わりに眩しい太陽が山を照らし始めた。かと思ったら、人が起きる頃には黒い雲が太陽を覆った。

 平日は夕方まで清は学校に行っている。今日は金曜日だ。清が来てからは、忘れていた日にちも曜日も思い出すことができた。

 明日なら来てくれるかもしれない。とりあえず、今日一日我慢してみよう。

 雨が上がったので、木の枝で作った箒で祠の掃除をする。秋になったがまだ落ち葉の季節には足りず、あっという間に終わってしまった。

 箒を洞穴に仕舞い、サチは山の頂上を目指した。陽が一番高くなる頃、木々が開け、雲が近くなった。誰もいないてっぺんで、ごろんと横になる。上には雲と太陽だけ。空の住人になった気分だ。

 サチに体温は無い。季節の暑さも寒さも感じない。しかし、目で見て、肌で季節を感じることはできる。間もなく秋も深まり、やがて冬が来る。

 今年は一人ではないと期待していた。清と一緒に、初詣に行って、願い事をしてみたいと思っていた。未来の無い自分には烏滸がましい願いだった。

 たった一日、されど一日をぐっと我慢して、ようやく土曜日となった。

 小川に行き、顔を洗う。髪の毛を櫛で梳かした。櫛は母からもらったものを今も大切に持っている。不思議と朽ちる様子は無い。

 そろそろ清も起きただろう。朝からは来ないかもしれない。しかし、来るかもしれない。いてもたってもいられず、サチは麓へ走り出した。それを追う影があった。

「まだだよね」

 規制テープの近くで待ってみたが、町人が一人立っているだけだ。人がいては清は入ってこられない。きっと他の入り口を探すはず。

「たしかこっちに……」

 山道に続く道は先ほどの場所しかないが、山の裏側に人一人が通れるくらいの道がある。

 清に教えたことはないが、入れるとしたらここだけだ。サチが壁ぎりぎりのところで座る。今日は一日ここを動かないと決めた。

 ここ数日お菓子を食べていない。空かない腹をさする。また駄菓子屋に行って、きらきら光る商品棚を眺めたい。そうして、小遣いで買ってくれたお菓子を二人で並んで食べるのだ。

 清が勧めてくれるお菓子は全部美味しいから、すぐに心が満腹になる。

「サチ」

 ふいに、声がした。

 清の声だ。

 数日振りなのにとても懐かしく感じる。サチは立ち上がり、思い切り手を振った。

「お~い!」

 その声に被せて、大きな唸り声が辺り一面に轟いた。

『おお~~~~ん!』

 聞き慣れたものではないが、知っている。

 これは狼のサンジン様だ。振り向くと、やはりそこにいた。

 清がサンジン様の声に当てられ、一歩、二歩と後ずさった。神の声は意味を持たせずとも音にするだけで力を持ち、人間など一たまりもない。サチが白銀の狼に駆け寄る。

「サンジン様、お止めください! どうかどうか、清は私のたった一人の大切な人なのです!」

 どんなに頼んでも、サンジン様が清を受け入れる様子は無い。負けじとその場に立つ清だったが、とうとう何かに押されるように倒れてしまった。

「嗚呼ッ」

 走る足は壁に遮られる。今のサチでは清を支えることはおろか、触ることさえできない。

 よろよろと起き上がり後ろ髪を引かれながら去っていく清を、サチはいつまでも見つめていた。

「サチ。何故、外を求める。外に出れば、今度こそその体は塵となって消え失せるぞ」

 人型に戻ったサンジン様が問いかける。サチは振り返らずに呟いた。

「私は、私でいたいのです。小川サチとして、生きている時にできなかったことを一つでも叶えて、そうしたらもう、何も望むものはありません」