サチとサンジン様

「さようなら~」
「はい、さようなら」

 授業が終わり、帰りのホームルームが終わると、学校を飛び出し駆け足で帰宅した。通常の半分の時間で着いた。いつの間にか雨は止んでいた。

「ただいま!」

 通学鞄を置き、代わりに財布が入ったボディバッグを掴む。

「いってきます!」
「こら、一度落ち着いて」

 何も言わずに出ていこうとする清を母が止める。

「おかえり。で、どこ行くの? サンジン様じゃないよね?」
「違うよ。図書館行くんだ。あ、できればバス代欲しいんだけど」
「もう」

 文句を言いながらも、バス代を渡してくれる。清が頭を下げた。

「有難う御座います、お母様」
「うむ、苦しゅうない」

 今度こそ靴を履く。母が手を振った。

「いってらっしゃい。気を付けてね」
「うん、いってきます」
「バスの本数少ないからね~」

 言われながら、そうだったと思い出した。
 そのために自分は急いでいたのだ。

 五分程歩くところを二分で着き、バス停に貼られた時刻表を睨む。次のバスは三分後らしい。間に合った。ほっと胸を撫で下ろす。

 古びたベンチに座る。

 程なくして、その横が埋まった。ちらりと横目で見遣る。薄茶色の子うさぎだった。清は瞠目した。

「へぇ、お利口なうさぎだなぁ」

 きっとサンジン様あたりから下りてきたのだろうが、こうしてベンチに座るだなんて人間みたいだ。触って逃げてしまったらもったいないので、清は気が付かない振りをした。

 うさぎは車が一台通っても飛び出そうとはしなかった。もし動いたら、必死に止めなくてはいけないところだった。

──サチが見たら喜びそう。

 ただ単に散歩の途中で一休みしているだけなのだろうが、見ているだけで心が洗われる。

「あ」

 バスがゆっくりと目の前で停まった。予定時刻より二分の遅れだ。道路の状況で到着時刻は前後するので、この程度ならほぼ正確と言っていい。

 もらったお金を取り出そうとして、入口のところに切符らしきものが出ていることに気が付く。なるほど、このバスは定額ではないらしい。切符を取り、後ろの席に座った。

 乗客は清の他に一人しかいない。予想以上の少なさに驚いたが、一人きりよりは幾らかましだ。

 直後、清はぎょっとした。

 ベンチに座っていたうさぎがとことこ歩いてバスに乗ってきたのだ。

「うさぎが……!?」

 一番前に座っている女性が振り向くことはない。気が付かなかったのだろうか。そもそも、このうさぎは皆に見えるものなのだろうか。段々不安になってきた。

──うさぎって自分でバスに乗るの? というか、歩いてる……。

 清の疑問に答えてくれる人間はいそうにない。うさぎは清が座っている席の通路を挟んだ反対側に座った。やはり行儀が良い。

──さすがに切符は取らないんだ。

 子うさぎなので取れなかった可能性もある。図書館までの十五分、清はずっとそわそわして左を見るのに忙しかった。

「次は高川図書館前~」

 降車ボタンを押し、切符と運賃を支払う。すると、うさぎもとことこ付いてきた。

 無言で歩く一人と一羽。すぐ後ろのうさぎへと振り返ってみれば、ぱちりと目が合う。こんなに近いのに逃げたりもしない。やはり、普段見かけるうさぎとは別の何かか。

 得体の知れないものなはずなのに恐怖は湧かず、振り払うこともせず、結局図書館まで仲良く一緒に歩いていった。

 小さな図書館だと思っていたが、こうして目の前に現れてみると思っていたよりも大きな建物だった。

 恐る恐る入ってみると、中には数人の先客がいた。阿河駅の近くにあるので、阿河町民以外にも利用する客がいるのだろう。もしかしたら、この地域で一つしかない図書館かもしれない。

 そういえば、いつの間にかうさぎはいなくなっていた。図書館に入ったのか、その辺を散歩でもしているのか。なかなか不思議な体験だった。

「こんにちは」
「こんにちは」

 受付に司書がいたので挨拶すると、同じように返してくれた。そのまま奥に進み、天井から吊るされているジャンルの看板を頼りに歩く。

「歴史、これかなぁ」

 いまいち自信が無いながらも、それらしき棚を上から順番に眺めていく。古代、中世と過ぎていき、最後に地元の歴史と書かれた札を発見した。

 どこに載っているのか分からないため、数冊手に取り、テーブルに移動する。誰も座っていない。なんとなく心細くなりながら、椅子に座り、一冊目を開いた。

 町の成り立ち、昔の地形などが書かれていた。目次を確認してもサンジン様に関するタイトルは無い。諦めて二冊目に移る。

 三冊目で清の手が止まった。目次の一つに「サンジン様」と記されていた。急いで該当のページを開く。

 そこには、サンジン様について丁寧に描写されていた。何故丁寧か理解できたのは、清が当事者から見聞きしているからだ。きっとこの著者も、山に入って調査したり、捧げ人に近い人を取材したに違いない。

 捧げ人とは、山を守るサンジン様に捧げる生贄のことである。捧げ人は山に程近い地域で持ち回りをしており、十年に一度、その地域に住む若い少女が指名された。

 指名されると、断ることはできない。断れば最後、村や町を追われ、時には迫害された。

──サチから聞いた話と一緒だ。

 こうして文字に残っていると実感が湧いてくる。健康な人間が他者の為に命を捧げていた事実。しかも、サンジン様の態度が聞いた話のままなら、きっと捧げなくとも何も変わらなかった。

 サチたちの命が無駄だったとは思わない。しかし、大人になれた道があったはずなのは事実だ。

「あった!」

 今から百年余り前、最後の生贄がサンジン様に捧げられたと書かれている。

 彼女は自ら志願し、また、自分が責任を持ってサンジン様に仕えるので、捧げ人はこれで最後にしてほしいと言っていたそうだ。その彼女の名は──。

「……小川サチ」

 初めて、サチがこの世に生きていた証明を見つけた。何故だか泣きたくなった。明治時代と書かれていた。百年も前の人物だった。

 本をそっと閉じる。サンジン様の歴史についてはだいたい理解できた。ただ、それのほとんどがサチから聞いたものだった。知識としてはほとんど増えていない。今の段階で、どうしたらサチに会えるのか分かることはなかった。

 大人しく席を立ち本を戻していると、いなくなったはずのうさぎが近くの棚を前足で叩いていた。好奇心で、うさぎの叩いている本を確認する。

「阿河の伝承」

 思わず声に出していた。小声でよかった。阿河というのは、清が住んでいる町というより、阿河駅までに及ぶ地域のことを指していそうだ。うさぎは清が近づくと、ぴょんと跳んでどこかへ走っていった。

 ぱら、ぱら、その場でめくる手が止まり、視線は本のまま、清が席へと戻っていった。

 椅子に座り、しっかりと読む姿勢になる。

 こちらは先ほどの歴史と違い、昔からの伝承をまとめたものだった。実在するものと想像のものが散りばめられており、その一つがサンジン様だった。


『 これは、捧げ人になった少女に出会った時の話である。
 サンジン様に仕えるようになると、山から出られなくなる。それは力を頂いているからであり、仮に山から出られたとしてもたちまち彼女は消えてしまうだろうということだった。
 聞いた男は恐怖に震え、果たしてサンジン様は何者なのかと眠れなくなったという』