「具合悪い?」
部活中、中田に心配された。
「平気、ちょっと考え事してただけだから」
「そう」
たいして無い力こぶをわざとらしく作ってみれば、中田は納得したらしく、視線を前に戻してくれた。
部活に入って一か月、清はスケッチの毎日から一段階段を上り、絵の制作に移っていた。コンクールに出すわけではなく、一枚の絵を仕上げる練習だ。筆の運び方、色の重ね方などをここで学んでいく。今のところの目標は、来年あるらしい絵画コンクールである。
まだ締切どころか募集も始まっていないので、何を描くかは決めていない。木や建物を描く練習をしたので、それらが役立ちそうな題材にしたいと考えている。
しかし、今朝のことが気がかりでどうにも筆が乗らない。今はグラウンドから見た校舎の絵を描いている最中で、白色の加減をどうしようか絵具を混ぜ続けている。
入部するまで知らなかったが、ひとえに白といっても、実際は沢山の種類があるらしい。確かに白に他の色をほんの一滴だけ混ぜると、一見白だが、元のまっさらな白と見比べると若干違う。
人も同じだ。元々は一つだったのに、家族や、友人や、周りの環境を取り込んでいくつもの色になっていく。その数だけ道が出来て、その中から選んで歩いていくのだ。
自分もサチの色になりたい。
放課後、十七時半になっていたが、試しに山まで行ってみることにした。まだ初日だから入れるかもしれない。そう思ってのことだったが、自治会の対応は想像を超えていた。
入口が見えたところで足が止まる。すでに工事用の規制テープが張られ、関係者らしき男が一人立っている。
まさか、本当に土壌調査なのだろうか。清が首を振る。そんなはずはない。それであれば、昨日の出来事は不自然だ。何か危険な可能性があると分かっているなら、昨日の時点で素人が入山しないだろう。
何もすることができず、来た道を戻る。
明日も来ると言ったのに。
約束を破ってしまった。
怒っているだろうか。泣いてはいないか。それを確かめることすらできない。
こちらが山へ近づけないのなら、サチが山から出てきてくれることを祈るしかない。責任すら取れない子どもの身分で、適当に励ますべきではなかった。
役に立たない自分が嫌になる。早く大人になりたい。大人に意見できる人間になりたい。
その夜は雨が降った。
しとしと降り続ける雨に、清は泣きたくなった。
山の中は寒くないだろうか。
「サンジン様が泣きゆう」
「おばあちゃん」
窓を見てばかりの清を心配してか、祖母が来て言った。
「この辺りの天気はサンジン様の機嫌によって変わる言われちゅうがよ。やき、今日はサンジン様が泣きゆうちや」
「泣いてる、サンジン様が……」
もう一度外を見遣る。本当に泣いているのはサンジン様の方なのだろうか。
──サンジン様のこと調べてみよう。
何も分からないなら、山に入ることができないなら、できることをしたらいい。一歩でも近くに、背伸びをしてでもサチから見えるところに立ちたかった。
翌日も雨だった。大分小降りになったが、傘はいる。これが秋の長雨か。
校舎に入ってすぐ、清は図書室に向かった。しかし、ドアに手を掛けても開かず、貼られている紙を見たら、午前九時から午後六時までと書かれていた。
そもそも、中学校の小さな図書室に目的の本が置かれているとは考えにくい。今日は部活が無いので、放課後、改めて地域の図書館へ行くことにした。
図書館がどこにあるかは知っている。引っ越し初日、車で家に着く間に見かけた。ただ、駅の近くに位置しているので、歩きだと難しいかもしれない。清は初めてバスに乗ることにした。
「清、おはよう!」
「おはよ」
こんな日でも飯田は元気だ。清にも僅かに笑顔が戻る。
「今日いつまで雨降るか知っちゅう? 傘無い」
「なんで?」
今登校してきたのだから、傘を忘れるということはないはずだ。何かあったのだろうか。
「壊した。お母ちゃんに絶対怒られる」
そう言いつつ、飯田は豪快に笑っていた。きっと明日も笑っている。
「午後止むって言ってたよ。何時からかは分からないけど」
「やった! ありがと!」
「傘は?」
「傘立てに置いた。後は知らん」
それを持ち帰ることについては深く考えないようにするという。なんとも飯田らしい考え方でためになる。
「市原君」
声のした方を向くと、中田が手招きをしていた。清が首を傾げて問う。
「おはよう。どうしたの?」
「ちょっと来て」
「なになに」
「太一は呼んじょらん」
中田に手のひらを振られて追い払われ、飯田がすごすご自分の席に戻る。
苦笑いしながら近寄れば、廊下の隅に誘われた。
「何、皆に聞かれたらまずい話?」
「うーん……うん。多分?」
呼んだ本人が曖昧で戸惑ってしまう。今から何を言われるのか。中田が周囲を警戒しつつ、小声で尋ねた。
「清君、昨日から元気無いのってサンジン様と関係ある?」
するどい。
清はどう答えたらいいのか迷ってしまった。中田が眉を下げて笑う。
「やっぱり」
誤魔化しようがなくなって、諦めて頷く。
「そんなに分かりやすかった?」
「昨日は特に。ぼけーってしちょった」
「うわぁ、そっか」
その状態でよく授業が受けられたものだ。怒られなかっただけ奇跡かもしれない。
「この前、サンジン様でよく遊ぶ言っちょったき。土壌調査、気にしちゅうが?」
何もかもお見通しのクラスメートに白旗を上げる。
「うん、その通り。正解。いきなり入れなくなったから困っちゃって」
「あこでしちょったスケッチが途中とか?」
「うん」
さすがに待っている人がいるとは言えないので、会話を彼女に合わせておく。
「また、すぐ入れるちや」
「そうだね」
「ね、スケッチブック、もし持っちょったら見せてくれる?」
思いついたとばかりに、中田が手を叩いた。彼女には約束してあったので断る理由は無い。
「ちょっと待って、持ってくる」
清が動き出そうとしたところで、廊下の奥から担任教師が歩いてきた。そろそろ予鈴が鳴るらしい。
「ごめん、時間だから後で」
「ほいたら、お昼休みは?」
「いいよ。じゃあ、お昼休みに」
部活中、中田に心配された。
「平気、ちょっと考え事してただけだから」
「そう」
たいして無い力こぶをわざとらしく作ってみれば、中田は納得したらしく、視線を前に戻してくれた。
部活に入って一か月、清はスケッチの毎日から一段階段を上り、絵の制作に移っていた。コンクールに出すわけではなく、一枚の絵を仕上げる練習だ。筆の運び方、色の重ね方などをここで学んでいく。今のところの目標は、来年あるらしい絵画コンクールである。
まだ締切どころか募集も始まっていないので、何を描くかは決めていない。木や建物を描く練習をしたので、それらが役立ちそうな題材にしたいと考えている。
しかし、今朝のことが気がかりでどうにも筆が乗らない。今はグラウンドから見た校舎の絵を描いている最中で、白色の加減をどうしようか絵具を混ぜ続けている。
入部するまで知らなかったが、ひとえに白といっても、実際は沢山の種類があるらしい。確かに白に他の色をほんの一滴だけ混ぜると、一見白だが、元のまっさらな白と見比べると若干違う。
人も同じだ。元々は一つだったのに、家族や、友人や、周りの環境を取り込んでいくつもの色になっていく。その数だけ道が出来て、その中から選んで歩いていくのだ。
自分もサチの色になりたい。
放課後、十七時半になっていたが、試しに山まで行ってみることにした。まだ初日だから入れるかもしれない。そう思ってのことだったが、自治会の対応は想像を超えていた。
入口が見えたところで足が止まる。すでに工事用の規制テープが張られ、関係者らしき男が一人立っている。
まさか、本当に土壌調査なのだろうか。清が首を振る。そんなはずはない。それであれば、昨日の出来事は不自然だ。何か危険な可能性があると分かっているなら、昨日の時点で素人が入山しないだろう。
何もすることができず、来た道を戻る。
明日も来ると言ったのに。
約束を破ってしまった。
怒っているだろうか。泣いてはいないか。それを確かめることすらできない。
こちらが山へ近づけないのなら、サチが山から出てきてくれることを祈るしかない。責任すら取れない子どもの身分で、適当に励ますべきではなかった。
役に立たない自分が嫌になる。早く大人になりたい。大人に意見できる人間になりたい。
その夜は雨が降った。
しとしと降り続ける雨に、清は泣きたくなった。
山の中は寒くないだろうか。
「サンジン様が泣きゆう」
「おばあちゃん」
窓を見てばかりの清を心配してか、祖母が来て言った。
「この辺りの天気はサンジン様の機嫌によって変わる言われちゅうがよ。やき、今日はサンジン様が泣きゆうちや」
「泣いてる、サンジン様が……」
もう一度外を見遣る。本当に泣いているのはサンジン様の方なのだろうか。
──サンジン様のこと調べてみよう。
何も分からないなら、山に入ることができないなら、できることをしたらいい。一歩でも近くに、背伸びをしてでもサチから見えるところに立ちたかった。
翌日も雨だった。大分小降りになったが、傘はいる。これが秋の長雨か。
校舎に入ってすぐ、清は図書室に向かった。しかし、ドアに手を掛けても開かず、貼られている紙を見たら、午前九時から午後六時までと書かれていた。
そもそも、中学校の小さな図書室に目的の本が置かれているとは考えにくい。今日は部活が無いので、放課後、改めて地域の図書館へ行くことにした。
図書館がどこにあるかは知っている。引っ越し初日、車で家に着く間に見かけた。ただ、駅の近くに位置しているので、歩きだと難しいかもしれない。清は初めてバスに乗ることにした。
「清、おはよう!」
「おはよ」
こんな日でも飯田は元気だ。清にも僅かに笑顔が戻る。
「今日いつまで雨降るか知っちゅう? 傘無い」
「なんで?」
今登校してきたのだから、傘を忘れるということはないはずだ。何かあったのだろうか。
「壊した。お母ちゃんに絶対怒られる」
そう言いつつ、飯田は豪快に笑っていた。きっと明日も笑っている。
「午後止むって言ってたよ。何時からかは分からないけど」
「やった! ありがと!」
「傘は?」
「傘立てに置いた。後は知らん」
それを持ち帰ることについては深く考えないようにするという。なんとも飯田らしい考え方でためになる。
「市原君」
声のした方を向くと、中田が手招きをしていた。清が首を傾げて問う。
「おはよう。どうしたの?」
「ちょっと来て」
「なになに」
「太一は呼んじょらん」
中田に手のひらを振られて追い払われ、飯田がすごすご自分の席に戻る。
苦笑いしながら近寄れば、廊下の隅に誘われた。
「何、皆に聞かれたらまずい話?」
「うーん……うん。多分?」
呼んだ本人が曖昧で戸惑ってしまう。今から何を言われるのか。中田が周囲を警戒しつつ、小声で尋ねた。
「清君、昨日から元気無いのってサンジン様と関係ある?」
するどい。
清はどう答えたらいいのか迷ってしまった。中田が眉を下げて笑う。
「やっぱり」
誤魔化しようがなくなって、諦めて頷く。
「そんなに分かりやすかった?」
「昨日は特に。ぼけーってしちょった」
「うわぁ、そっか」
その状態でよく授業が受けられたものだ。怒られなかっただけ奇跡かもしれない。
「この前、サンジン様でよく遊ぶ言っちょったき。土壌調査、気にしちゅうが?」
何もかもお見通しのクラスメートに白旗を上げる。
「うん、その通り。正解。いきなり入れなくなったから困っちゃって」
「あこでしちょったスケッチが途中とか?」
「うん」
さすがに待っている人がいるとは言えないので、会話を彼女に合わせておく。
「また、すぐ入れるちや」
「そうだね」
「ね、スケッチブック、もし持っちょったら見せてくれる?」
思いついたとばかりに、中田が手を叩いた。彼女には約束してあったので断る理由は無い。
「ちょっと待って、持ってくる」
清が動き出そうとしたところで、廊下の奥から担任教師が歩いてきた。そろそろ予鈴が鳴るらしい。
「ごめん、時間だから後で」
「ほいたら、お昼休みは?」
「いいよ。じゃあ、お昼休みに」



