私は、やるべき仕事をこなしてから10号室に向かった。長い廊下の曲がり角で、他の仕事をしていた香澄とばったり出会う。
「ねえ、香澄、私たち、本当に迅くんと泊るの?」
「そうでしょ。だって他に寝る場所ないし。……まさか、雫、ちょっと恥ずかしかったりする?」
「……まあ、それもあるけど。なんか、迅くん、謎が多くて不思議な人って思わない?」
「確かに。でも、ああいう人ほど面白かったりするんだよ。それに、なんか私、迅をどっかで見たことがあるような気がするんだよね。もしかしたらこの辺りに住んでたりして。雫も気づかないうちに会ってたりするかもよ」
「私は……ないと思うけど。あったら覚えてると思うんだよな。そういう雰囲気をかもしだしている人ならなおさら」
香澄の言葉に、私は自分の記憶をたどる。宿泊者全員の顔を覚えているわけではないけれど、迅くんがこの旅館に来た覚えはない。街中で会った記憶も、たぶんない。ただ、さっき彼が何かを探しに来たと言っていたことを思い出す。もしかしたら、かつてこの場所に訪れたことがあるのかもしれない……でも、思い出すことはできなかった。
私が10号室に入るために、インターフォンを鳴らそうとしたけれど、香澄はそんなことをする素振りはなく、鍵を使って開けた。彼女は本気だ。迅くんを本当の友達だと思っている。もしくは、本当の友達になりたいからこそそうしたのだろうか。
「おかえり、2人とも」
「迅、ただいま」
「あっ、ただいま……」
迅くんも、インターフォンを押さずに直接鍵で入ってきたことに動揺はない。私の思い過ごしだったかもしれない。部屋にはすでに3人分のベッドがきちんと整えられていた。香澄がやってくれたのだろうか思ったら、どうやら迅くんがやったようだ。家でも布団で寝ているので「朝飯前だよ」と自慢していた。
「なんか、この雰囲気、修学旅行の夜みたいだねー。枕ふかふかー」
香澄はそう言いながら、布団の上を無邪気に歩き回る。目を閉じれば、これは修学旅行の夜が始まるかのような雰囲気だ。自分たちの宿なのに、どこか別の知らない世界に放りだされたように思える。
「修学旅行か。僕は行ったことないから、なんだかワクワクしてきたよ」
「えっ、迅の中校とか修学旅行ないの?」
「まあ、そんな感じかな。高校の修学旅行はこの秋行くよ」
「へー、じゃあ、私が修学旅行の楽しみ方でも教えますか。夜は始まったばかりだし、存分に教えてあげるよ」
「おお、それは頼もしい。香澄先生、ぜひお願いします」
修学旅行の楽しみ方を教えることになった香澄は、早速迅くんに向かってあるものを投げつける――枕だ。修学旅行を知らない迅くんにとっては今、何が起こったのかわからなかったようだ。口がぽかんと開いている。
「迅くん、今香澄先生がしてるのは枕投げ。修学旅行の定番なんだ」
私が迅くんに香澄が枕を投げた意図を説明する。
「ほら、雫も行くよ」
説明が終わった途端に、香澄は私に対しても枕を投げてくる。私も負けずと香澄に枕を投げつける。そんな私たちの姿を見た迅くんも参戦する。私も誰に投げたのかが分からなくなるほどに夢中になって枕を投げていく。キャッチするとすぐに枕を投げ込む、ただその繰り返しなはずなのに、妙に楽しい。私たちは今日初めて大声で笑った。この環境で笑えるなんて思わなかった。迅くんも私たちと同じようにげらげらと笑う。
そんな枕投げ大会を10分ほど続けた。部屋はクーラーのおかげで気持ちいいぐらいに涼しかったはずなのに、額からは汗が落ちてくる。その汗が唇に触れる。しょっぱい。海の塩よりもしょっぱい味がした。
「あー、楽しかった。久しぶりにこんなはしゃいだわ。雫と迅もなかなかだったよ」
「あはは、香澄、選手かってぐらい投げてくるんだもん。疲れちゃったよ」
「そうだね、2人とも枕投げ教えてくれてありがとう。これ、楽しいよ」
「じゃあ、次は動かないゲームをやろうか。私が適当に考えたインタビューゲーム。お題と名前をそれぞれ書いた紙を作って、当たった人がその質問に答えるの。1週間あるんだから、一人1日1回ずつやろうよ。例えば、名前の紙に『雫』、お題の紙に『好きな食べ物』って書いてある紙を引いたら、雫が好きな食べ物を答えるの。お題はまじめなものでもお遊びでもいいよ。でも、誰にそのお題がいくか分からないからそれだけ気を付けてね。だから、お題で『好きな人はいますか』って書いても自分に当たる可能性もあるからねー」
ルールが分かったところで、私たちはそれぞれお題を考える。誰にこのお題が行くかわからない。自分にも当たってもいいお題にしなければいけないけれど、迅くんに聞いてみたいこともある。そのお題を書くべきか悩んで手が止まる。そして動いては消しゴムで消してしまう。でも、やっぱり書いてしまう。
数分たってみんながお題を書き終わったようで、早速1日目、1人1回のインタビューゲームが始まる。みんながどのようなお題を出したのか、かなりドキドキする。このどきどきは、ホラー映画を見に行くために映画館に行き、チケットを買ったときと似ている。
まずは、このゲームの主催者である香澄が引く。まずは名前だ。名前は毎日1回3人が出るようになっている。つまり、1日1回は誰かのインタビューに答えるということだ。
「じゃあ、私は誰にインタビューするのかなー。んー、どれにしようかな。これだ!」
まず、名前。香澄は一瞬で紙を表にする。そこに書かれていた名前は――雫。つまり、私だ。そして、香澄はほとんど間を置くことなく、お題の紙も引く。
「お題は――趣味は何ですかだって。単純なのがきてよかったね。私のはかなりやばいのも入ってるからね」
趣味ならそんなにも身構える必要はない。私の趣味といえばやはりあれだろうか。
「私の趣味は、テディベア作りかな。小さい頃からテディベアを作るのが好きで、今もよく作ってるんだ。私の部屋にたくさん飾ってるよ」
「へーそうなんだ。私、雫と長くいるけど、初耳! あ、でも、確かにカバンによくテディベア付けてるね! あれってもしかして全部手作り?」
「うん、そう、手作りなんだ!」
「へー、テディベア作りするんだね! 雫すごい」
私の趣味はテディベア作り。小学生のころに誕生日にお母さんからテディベアを貰って、それからテディベアが気に入ってしまい、自分で作ることにしてからは、さらにはまってしまったのだ。私の部屋にはオタクがフィギアをコレクションしているように、テディベアをコレクションしているショーケースがある。私が通学カバンにつけているテディベアももちろん私が作ったものだ。2人はテディベアに興味を持ってくれたようだったので、今までに作ったテディベアの写真を見せた。すると更なる歓声が上がる。認めてもらえること、それがこんなにも嬉しいんだなと感じ、自信が自然と湧いてくる。
「いいね、今度、私のも作ってほしいな」
「んー、じゃあ、1000円で作ってあげるよ!」
「えーそこは親友料金で0円でしょー。じゃあ、気を取り直して、次は迅くん!」
「よーし、じゃあ、引いちゃいますか」
迅くんは腕まくりをするなり、カードを選び始める。名前は――香澄。そういえば、さっき香澄は攻めたお題も入れたと言っていた。この子、どんなこと書くかわからないから香澄の書くお題には要注意だ。迅くんは目をめまぐるしく動かしながら、迅くんはお気に入りの石ころでも見つけたかのように、視線が1つのカードに留まった。
「香澄へのお題は! ――もし好きな人がいたとして、1日だけ入れ替わるれるとしたら、何をする?」
「あー、そのお題、私の考えたやつじゃん! 他の人に行くと思ってたのに恥ずかしい!」
これが、香澄の考えたお題だ。確かに、自分の口からそういう話をするのは少し恥ずかしい。私なら、どうなんだろう。
「スマホの検索履歴は見ちゃうかな! でも、自分の履歴も見られると思うと恥ずかしいな。あとは、入れ替わりが終わったときに告白してもらえるようにいろいろ仕掛けるかも……。なんだか自分のお題、恥ずかしい!」
香澄は恥ずかしそうに顔を赤らめる。その様子に、私もつい頬が熱くなる。もし、そんなことが起きても大丈夫だろうかと、スマホの検索履歴をいつの間にか確認していた。すると「テディベアをうまく作る方法」「旅館での接客方法」「気持ちを伝える方法」という履歴の他に「好きな人を作る方法」というものがあり、最後の履歴を慌てて履歴から削除した。
私が消し終わると、香澄が私に順番を振る。ただ、香澄は細めた目で私を見てきたため、おそらくスマホに見られたくない履歴があったことは察してしまったはずだ。一方で迅くんはさっきと表情は変わらない。迅くんにも知られたら、友達とはいえ異性ではあるし、流石に恥ずかしすぎる。私はその恥ずかしさをはじき出すために、勢いよくカードをひく。名前は、迅くん。そして、お題のカードを引く。
「迅くんへのお題は――今、一番欲しいものは?」
「一番欲しいもの、か?」
このお題もそんなに難易度の高いものではない。私にはそう思うのだが、迅くんは迷路に迷い込んだかのようにその答えを探しているようだった。いや、その答えを探してもいいのか躊躇っているかのようにも思えた。ただ、私たちに悟られないように小さく深呼吸をしたあとに、一番欲しいものについて語り始めた。
「僕の一番欲しいものは、日記かな。実は、ここに来た理由とも関係してるんだけど、僕が小学生の時、この温泉街に来たんだ。ただ、その時に日記をなくしちゃって……。だから、その日記を探しに来たんだよね。もちろん、もうそんなものが見つからないなんてわかってるけど、ようやく頑張ってお金も貯めたし、来てみる価値はあるかなと思って」
まるでどこかの小説で描かれているかのような動機に私たちは思わず言葉を失ってしまった。迅くんのこと、最初は謎めいた男の子と思っていたけれど、この言葉だけでも、なぜかそう思っていた自分が恥ずかしくなった。もちろん、この言葉だけで彼のことを全部理解できたわけではなし、見つかる可能性が低い日記を探しに来る怪しさに迅くんのことを完全に苦手ではなくなったというのは早計だけれども、彼に少しだけ心を開いてもいいかもしれないと思った。
「へー、深い話だね。ロマンチック。せっかくさ、この温泉街にいる時間が増えたんだし、どうせやることないからさ、私たちと一緒に探そうね」
「えっ、本当? ありがとう!」
「もちろん。雫もこの夏で何か、片付けておきたいことないの?」
「私? ……まあ、なくはないかな」
言い出しづらいけど、この性格とか、将来の話とか。そういうものを片付けていきたいのかもしれない。香澄にもあるのだろうか。そういうこと。でも、香澄に悩みなんてないのかもしれない。そう思うほどにいつも彼女の笑顔は眩しい。
「ちなみにさ、迅くん、その日記にはどんなことが書いてあるの?」
「旅行での思い出がメインかな……。でも、過去の自分についてとか、将来の自分にあてた手紙とかも書かれてたかも。いわば、僕の取り扱い説明書のようなものかな」
「それは見つけないとだね! ……あとは、初恋のこととかも書いてあったり?」
「……そんなことはないよ! そうだ、僕、お風呂に入ってくる」
「まさか、図星だったかな? まあいいよ、ゲームも終わったことだし、行ってらっしゃい!」
迅くんは、香澄に初恋のことも書いてあると感ずかれて、それ以上この話が続くと、心の中のセンサーが異常を感じ取ってしまうとでも思ったのか、さっと準備をして露天風呂の方に向かった。私たちも入ろうかということになり、迅くんの後を追うかのように露天風呂に向かった。



