私は最後に一度だけ、人の夢を見ることを決めていた。これが終わったら、おそらくもうこの能力を一生使うことなく、封印するだろう。最後に使ったのは、お母さんの夢を覗くためだった。お母さんの夢はやはり、この旅館に関することだった。
その夢でわかったことがある。私が一度も言ったことのなかったテディベアを作っていることも、それに関わる仕事に就きたいと密かに調べていたことも、お母さんは薄々気づいていたらしい。女将さんとして接する時間が長くなるにつれ、お母さんであることを忘れそうになっていたけれど、やっぱり私のお母さんなんだと胸の奥で思わされた。
そして、小さな頃のお母さんは、この旅館を継ぐこと自体にに迷いはなかったそうだ。ただ、高校卒業後の第一希望には「短期大学」と書かれていた。あの頃は短期大学にいく学生が今よりも多かったはず。けれど、お母さんは――
「……まあ、お母さんには認めてもらえないか。女将になるのに短大は必要ないって言われそう。もし私が子供を産んだら、仮に行きたいって言ったら応援するのにな。こういうのって、親になってみないとわからないのかもな」
そうつぶやいて、第一進路希望の「短期大学」を跡が残らないように消しゴムで消して「家業を継ぐ」に書き直した。
お母さんの過去を覗いて、私は痛感した。自分がどれほど恵まれた環境に生まれてきたのかを。そして私は、お母さんのためにも専門学校に無事に進学し、学生を終える。そのこと夢の中でお母さんと約束をした。
朝起きると、1週間続いた孤立状態は解除されて、仮設の橋での通行が可能となった。けが人もなく、事態は終幕を迎えた。
――でも私は思う。この出来事があったから、私は成長できたのだと。迅くんが一週間そばにいてくれたから、私は変われたのだと。課題はまだ山積みかもしれないけれど、それはこれから考えていけばいい。
最後にお客様やもちろん香澄も含めた私たち家族で旅館をバックに写真を撮った。小さい頃はお父さんの背の半分にも届かなかったのに、いつの間にか成長していたことを知らされた。
お客様がチェックアウトする前、大学生のお兄さんからは「立派な写真家になれるよう俺も頑張るから、雫ちゃんも自分の夢に向かって頑張れ」と。老夫婦からは「まだまだ若いんだから、次来る時までにいろんな経験をしなさいよ」と。そして、先生からは「どこか雫ちゃん、変わったね。雫ちゃんのやりたいこと、先生も応援するから」とそれぞれ声をかけていただいた。
お客様がいなくなると、旅館は急に静かになった。本来であれば客室のお掃除が待ち構えていた。ただ、最後の日だからと、私と香澄の仕事は全てなしとなった。しいて言えば、夏祭りを最後に迅くんと一度お別れすることが私たちの仕事だ。けれど恋人なのだから、また必ず会える。
花火大会まで、あと2時間。私たちは迅くんの日記を読み返しながら、笑い合った。まだまだ知らない迅くんがここに書かれた文字からしぜんと吸収されていく。
「あ、これは迅くんの写真!? えっ、かわいい!」
日記の途中のページには、迅くんの小学生時代の写真が挟まれていた。
「そうでしょ。小学生の頃はかわいかったんだよ」
「……ちょっと待って、この後ろは私? 迅、盗撮したね?」
そして、他にもあった写真には、小学生時代にこの旅館に来た時に撮ったと思われる、着物を着た香澄の写真もあった。もちろん、香澄が迅くんに渡した月と星空が描かれた小さな絵も大事に挟まれていた。
「迅くんは、美しいものを写真に撮りたかっただけだよ。香澄、むしろ喜びな」
ここは彼女としての役割を果たそうと、私がフォローした。
「まあ、そうだね。ありがとう」
「そうだ、雫、次、いつ会えるかわからないからこれ、渡しておく。1つが過去に書いた記録。雫に読んでほしくて。そして、2つ目が昨日書いた雫へ向けて書いた手紙。よければお守り代わりにでも持ってて」
「うん、わかった。ありがとう」
過去の記録が私とどう結びつくのかはわからなかったけれど、私はその2つの紙を貰った。過去を乗り越えてきた迅くんが書いた文章はどれも儚く、気づけば時間を吸い込むかのように夏祭り開始の時間が迫っていた。私たちはこれから浴衣を着る。
やがて夕暮れが群青色へと変わり、浴衣姿で夏祭りへ。元々着慣れている私たちの方が、早く外へ出た。賑わいは数時間の準備しかなかったこともあり、いつもより少し控えめだったけれど、提灯の灯りが温泉街を赤く染め、屋台の匂いが心を弾ませる。
数分遅れで、迅くんも合流する。迅くんは私たちの着物姿を何度も見ているからか、浴衣姿も大体想像はついたはずだろうけれど、迅くんの浴衣姿はなんだか似合ってなかった。
「おお、2人ともかわいいね」
「はは、褒めるの下手だな。『月明かりにそっと現れた妖精みたいにきれいだね』とか言わなきゃ。彼女に捨てられるぞ。まあ、その時は、血のつながった私がなんとかしてやるよ!」
「大丈夫! 私は捨てたりしないから! ……迅くんはそうだね、少しにあってないかも!」
「雫、そういうところは嘘でもいいから誉めるところだぞ! 男でも一緒」
「はーい」
花火打ち上げまではあと数十分。花火が打ちあがるまでは、数件ある屋台を見て回る。りんご飴やたこ焼きなどの食べ物の他に、くじや射的などの遊びがある。ただ、この温泉街の人は多くの人は顔見知りなので「いつの間に彼氏できたの?」「お2人さん似合うから、これおまけ」などと祝福され、私たちは確かに「恋人」としてそこにいた。
「ねえ、迅くん、ちょこばなな奢ってよ!」
「おお、いいよ。でも、雫、奢ってとかいうタイプじゃないだろ」
「そうだね。でも、迅くんが変えたんじゃん」
「そうだな」
無事にチョコバナナを奢ってもらった私は、迅くんたちと笑い合いながら食べ歩く。そして、射的では、迅くんが驚異的な上手さを見せて屋台のおじさんを驚かせていた。景品として、迅くんからテディベアを貰った。
花火が打ち上がるまであと10分。香澄が見つけてくれた特等席のような場所に腰を下ろした。2人はトイレに行ってくると言い残し、私は1人になってしまった。1人になった私は、そういえば、彼から過去の記録と手紙をもらったんだと思い、それを読んで待つことにした。まずは、過去の記録から。
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旅行での記録――若女将さん
旅館では1人の少女と出会い、僕と遊んでくれた。でも、この旅館にはもう一人同じ歳の子がいるようだ。その子は若女将さんのようで、おそらく本人は気づいていなかっただろうけれど、働いている姿を何度か見かけた。小さな体で大人に混じり、懸命にお客さんに向き合っていた。
彼女が自分で進んでやりたいと思っているのか、ただこの環境に生まれてきたらやっているのか僕にはわからない。けれどひとつだけ確かに感じた。お客さんへの思いが中途半端ではない、ということだ。遊んでくれた子が教えてくれたのだけど、その日の夕飯に出たお握りは、急きょ若女将さんが握ったものらしい。その温かさを、まだ子供の僕ですらはっきりと感じ取れた。どんな事情であれ、どんなお客さんであれ、大切にできる人なんだと思った。
僕はそんな彼女に憧れてしまったのかもしれない。だから、勇気を出して、一言だけ彼女に声をかけた。「この旅館、とても素敵でした。次は、もっと君の仕事を見てみたいです」と。彼女は忙しそうだったから「はい、ありがとうございました」とだけ言って立ち去ってしまったけれど、僕はこれだけで十分だと感じた。
遊んでくれた子へのお礼と同時に、どうしても彼女にも何かを渡したいと思った僕は、お父さんとチェックアウトした後、一度温泉街を出て小さなお土産を選んだ。僕が選んだのはシュークリーム。再び旅館に戻ってその子に渡した。もしあのお菓子を、若女将さんも口にしてくれたなら――僕はそれだけで嬉しい。
おそらくこの胸のドキドキは初恋かもしれない。もし、そうだとしたら、いつか実りますように。
この記録はここまで。
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そして、彼からの手紙。
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雫へ
君が覚えているかどうかはわからない。けれど、僕はかつてほんの少しだけ君と出会い、その後ろ姿を見て憧れていた。僕はいつの間にかそれに惹かれ、確かにここに来る目的はいくつかあったけれど、それがなくとも気づけばここにたどり着いてきたんだと思う。
最初は、きっと僕みたいな人間は苦手だっただろうな。でも、案外悪くなかっただろう?
昨日のこと、香澄から聞いたよ。お母さんと向き合って、自分の夢をちゃんと口にしたって。よくやったな。本当に。我慢しなくていいんだ。無理に押し殺した雫よりも、自分のやりたいことを見つけて、そこで輝いている雫の方が、僕はずっと好きだから。会ったばかりの頃の君より、今の君の方が、何倍も好きだ。
次にいつ会えるのかはわからない。でも、また必ず会おう。
大好きだ。
最後にこんな言葉で締めるのを許してくれ。
迅より
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手紙をちょうど読み終わった時「遅くなってごめん」と言いながら2人が戻ってきた。花火はまだ大丈夫。でも、もうすぐ夜空に上がる。今か今かと待ちきれない。
私たちが見上げていた夜空に突如、
――どん、
と夜空を突き破る音がした。
静けさを破るように、夜空に一発目の大きな花火が打ち上がったのだ。その瞬間、周囲の暗闇が一瞬にして明るく照らされる。まるで星々が舞い降りたように、空を彩る。
「きれいだね」
「そうだね。……まあ、雫の方がきれいだけどね」
「私もそう思う! 雫の方がきれいだよ」
「もう、2人とも」
花火は途切れることなく、さまざまな形に変化しながら次々に上がっていく。私たちの青春の一ページが追加されていく。親友と恋人がすぐ隣にいる。そんな奇跡のような今を、私は決して忘れないだろう。
最後の花火が大輪を描いたその瞬間。私は生まれて初めて、誰かと唇を重ねた。
――夜空に咲いた火花のように私の心は鮮やかに燃えていた。



