掃除を終えると、私たちはカメラを持った大学生の部屋へ向かった。
「あっ、やばい――」
その途中で、よそ見をしていたせいか、何もない廊下の真ん中で体勢を崩してしまう。これは確実に転んでしまう。前には何もないものの、昨日転んだ時よりも勢いが大きい。
「あ、雫、大丈夫?」
もう地面に衝突する寸前、香澄の心配する声が聞こえた。しかし、その声もむなしく、私は床に叩きつけられる寸前まで来ていた。そう思った刹那、視界に大きな手が滑り込んできた。私の手より、ずっと大きな手だった。
「大丈夫か?」
その手に、私の全体重が預けられる。温かくて、頼もしい。ゆっくりと、元の体勢に戻されていく。この手は、迅くんのものだった。2日前、私が2人に対してやろうと思っていたことが、ここで私と迅くんとで実現してしまった。私とではなく、香澄とやってほしかったのにという気持ちを抑えながらも「ありがとう」とお礼を言う。なぜか、小さなハグに、心の動きが鮮明になっているかのように感じた。
大学生のお兄さんの部屋に入ると「よう!」と歓迎してくれた。床には、この温泉街を写した写真が何十枚も並べられている。お兄さんだけでなく、彼のお父さんが撮ったものもあるようで、そこにはこの街の歴史が色濃く刻まれていた。
「いわれた通りに探してみたけど、ヒントになりそうなものあるか? 日記を探してるんだったけ」
「はい。こんなにも……。あの、7年前の写真、ありますか?」
「7年前か……」
私たちも一緒に、7年前の写真を探す。これは去年お兄さんが初めてこの旅館に泊まってくれた時のもの。これは、隣の旅館の最終営業日を写したもの。そしてこれは、温泉街を一望できる丘からの景色。4人総出で探した結果、十枚ほどの写真が見つかった。
「懐かしい……。この端っこにいるの私かな。そして、この端っこにいるのは、雫じゃない?」
「たぶん、それ私たちだね」
香澄が手に取った写真には、旅館の正面の写真が撮られていた。彼のお父さんがこの旅館に宿泊したときのものらしく、当時小学生だった私にも、そのお客様の顔がぼんやりと記憶に残っていた。どうやら、昨日夢で見た迅くんたちが泊まった一か月後に撮られた写真らしい。その端っこには、どこかに行った帰りだったのか私たちの姿が端っこにほんの一部だけ映っていた。顔ははっきりとは見えないもののたぶん私たちだ。そして、その着物は、私が夢で見た模様とまったくもって同じだった。やはり、昨日の夢はまったくもって過去の現実を描いたものだったのだろうか。
私も一枚、写真を手に取る。これは、この旅館の客室へと通じる長い廊下を取ったものだ。写真の表現方法がうまいのか、どこまでも続いていきそうだ。
「これも一部だけ私みたいな人が映ってる。でも、なんで仮眠室なんかお物寂しそうに見てるんだろう?」
「何か、その部屋に思い出でもできたんじゃない?」
「仮眠室に思い出? ……んー、そんなのあるかな?」
この写真にもほんの一部だけ、香澄のような人が映っていた。彼女の言うように、写真の片隅に、香澄に似た人物が写っている。彼そして、何かを失ったかのように寂しげな雰囲気を漂わせ、仮眠室のドアに手を伸ばしている。やっぱり覚えていないのだろうか。きっと、このようにしたのは、迅くんとの思い出を名残惜しいと感じているからだと思うのに。このことについて、迅くんは香澄に何かヒントを出すのだろうかと思い、彼の表情をうかがってみるも、そのようなことを言う雰囲気ではなかった。
「……ん? これ、どこですか?」
迅くんが次に手に取ったのは、小さな中庭の写真だった。小さな花壇があるだけの場所。特に用途もないので、私自身もほとんど足を踏み入れない。
「えっと、これは僕が撮ったのじゃないから詳しくはわからないけど……裏口の方だっけ? 雫ちゃん?」
「はい、そうですね。裏口の方です」
「もしかしたら、日記、ここにあるかも!」
「えっ?」
「ねえ、雫、案内して」
「そうなの? わかった」
事態が急展開したようだが、どうしてそんなところに日記なんてものがあるのだろう。とりあえず、迅くんが言った通り、中庭へ連れて行った。中庭には、朝顔の花が咲いている。おばあちゃんがいつも手入れをしているのか、ほとんどの人が見ないにもかかわらず、存在感を示すかのように小さいながらも咲き誇っていた。
「日記、ここに埋めたかも……」
「ということは、タイムカプセルみたいに?」
「うん。確かそうだった気がする。掘ってもいいかな?」
「うん、いいけど……」
中庭に日記を埋めたという展開は、昨日の夢には出てきていない。これが夢の延長線上にあった、香澄との思い出なのだろうか。私は中庭にある物置きからスコップを出す。人数分はなく2つのみであったので、力のありそうな迅くんと大学生のお兄さんが土を掘り返していく。掘ると同時に、私の記憶も掘り返されていくような感じがした。そこで、昨日の夢には、1つ間違えがあるかもしれないとこに気づいた。
昨日の夢――迅くんたちが旅館を後にしていくところ。私は仮眠室の隣にある10号室に行くために、廊下を渡っていた。そんな中、仮眠室から迅くんたちが出てくる。私と迅くんは、すれ違う。お互い、一瞬だけ目が合う。ただ、そんな瞬間もほんの少しだけ。何もなかったかのように、それぞれが別々の方向へと進む。ただ、迅くんは何を思ったのか、一瞬立ち止まってしまう。でも、お父さんに促されて、再び歩く。
そんなような描写があった。しかし、正しくは少し違う気がした。
前半は同じだ。ただ、一瞬目が合っただけではない。そこで私は、その人たちが、香澄が言っていた特別に仮眠室に泊まったお客様だと思い「またのお越しをお待ちしております」とお客様対応をしたのだった。そして、彼からも「着物かわいいですね。また、来ます」とほんの一瞬だけれど、言葉を交わしたのだった。小学生とはいえ、同じ年代の男の子に「かわいい」と言われた私が何も感じないはずはなく、その後ろ姿を数秒間、じっと眺めていたんだ。
香澄ほどの関わりもなく、私とのかかわりはほんの一握り。でも、私たちは――。私にとっては大切な出来事だったにしても、そんな些細なことを迅くんが覚えているはずもない。迅くんにとって、香澄は昔からの友人とするのならば、私はここ最近知り合った友人ということになるだろう。
二人は、太陽に照らされながら、黙々と土を掘り続ける。額に汗が吹き出し、地面にぽたりと落ちる。
「あ、何かあったみたい」
「お、ついに迅の日記が!?」
迅くんのスコップに何かが当たったようだ。その近辺を慎重に掘り進める。すると、土の中からブリキ製の箱が姿を現した。箱をゆっくりと取り出し、これで間違いないと確信したような顔で、土をできるだけ払った後に部屋へと戻っていく。
この箱が登場してから、香澄は足をもじもじさせているようだった。まさか、真実にようやく気付いたのだろうか。ただ、私から言うのは流石にに気が引けるのでここは見守るしかない。
「じゃあ、開けるよ」
迅くん以外の3人も急に緊張感が走る。まるで玉手箱のような箱が開けられる。中には、色褪せた文字で「日記帳」と書かれたノートが一冊入っていた。
「これで間違いない! まさか、本当に見つかるなんて。というか、地面に埋めてたなんて……」
「迅くんの探し物が見つかったようでよかった。写真がこんな形で役に立つとは」
「迅くん、よかったね」
迅くんは日記の中身をぺらぺらとめくる。その中には文字がびっしりと書かれていた。「恥ずかしいから」と言ってはっきりとは見せてもらえなかったけれど、きっと彼の人生の一部がその中に刻み込まれているのだろう。その中には紙もいくつか挟まれていた。



