私もお腹がすいてしまい、急いでシュークリームを取りに行って戻ってきた。眠る迅くんの横に腰を下ろし、包みを開けてかぶりつく。甘さはいつもと変わらないはずなのに、口の中でクリームが妙に重たくまとわりつき、喉を通るのにも時間がかかった。そのようなので、水で流しこむ。
食べ終えてしまえば、もうやることがない。仕事に戻るわけにもいかず、ただ待つしかない時間が続く。迅くんの夢を覗いて暇をつぶすこともできるけれど、この能力を娯楽目的で使うのは気が引ける。かといって、何もしないでいるのも干からびてしまいそうだ。
とりあえず、顔を洗って気分を切り替えようと思い、そっと立ち上がった。音をできるだけ立てないようにしながら、顔を洗う。そういえば、タオルを持ってきていなかったと思い、戻るときに、私たちは致命的なことをしたことに気づく。シュークリームの袋を捨て忘れていたことだ。しかも、その袋を踏んでしまい、足元を取られる。
「あっ――」
体勢が崩れ、視界が傾く。距離を考えると、このままでは迅くんに覆いかぶさってしまう。最悪、唇が触れてしまうかもしれない。そんな展開、少女漫画じゃあるまいし――。私の名誉のためにも避けなければ。
「あ、ダメだ」
このままでは、阻止することはできそうにない。そこで私は体を縮める作戦に出ることにした。どうか、迅くんのところには――。
なんとか、私の作戦が功を奏したようで、ほんの数センチのところで迅くんとの衝突は免れた。迅くんもぐっすりと眠っていて、気づいている様子はなかった。それでも心臓は小太鼓のように打ち鳴らされ、息が詰まりそうになる。
ただ、問題はすぐには片付かないようで、私の瞳には今、はっきりととらえているものがある。迅くんの寝顔だ。ほんのまつげの一本分の距離に迅くんの寝顔がある。息を呑んだ瞬間、もう遅かった。視界が揺れ、私は連れていかれる。迅くんの夢の中へ。
――ここはどこ?
目に映るのは見慣れた温泉街。けれど、人の数が今よりも断然多く、にぎわいに満ちている。私たちの旅館の隣に別の宿があるところを見ると、いくらか前の光景に違いない。
私の旅館から、菊の花模様の着物を着た少女が出てくる。かわいい少女だなとみとれていると、あれは昔の私だということに気づいた。 自画自賛に気づいて赤面する。見た目からして小学生の頃だ。やはり過去の温泉街に間違いない。でも、迅くんがこの景色を知っているということは、この頃にここに来たという証拠だろうか。
『ここもダメだったか。流石にお盆の時期に予約なしはきついよな』
野太い声が耳に響く。スーツケースを片手にした男性が、幼い男の子の手を引いて歩いている。どうやら、宿を探しているようだった。その子の顔立ちに目を凝らしたとき、胸の奥がざわついた。
――あの子、まさか、迅くん?
面影は確かにある。今とは違い坊主に近い髪型に、だいぶやせ型なところが彼なのか断定づけるのか怪しい要素だが、彼の夢の中なのだから、きっとそうだ。だが、私はこの光景を覚えていない。私の記憶にはいない、幼い頃の迅くん。
その人たちは、私たちの旅館にも来るが、同じような結果になったのか、数分経つと、すぐに出てきた。
『全滅か……。お父さん、トイレにて来るから、少しここで待っててくれるか?』
『うん、なるべく早く帰ってきてね』
彼のお父さんは、そう言い残し公衆トイレに行く。父親が離れたその隙に、私の旅館からもうひとり少女が姿を現す。桜の模様の着物を着た子。おそらく、香澄だ。彼女はあたりを見回し、迅くんを見つけると、急いで駆け寄っていった。香澄は、1人でいる迅くんに声をかける。
『お父さんは?』
『……今、トイレに行っちゃった』
『そうなんだ。なにか困ってそうな顔をしてたから来ちゃった』
『……ありがとう』
ここで2人は初めて出会ったのだろうか。ただ、迅くんの様子が今とはだいぶ違う。声が小さいし、常に心細そうだ。今のはっきりという性格からはどこかほど遠い。この数年後、どこかで、性格が変わったというパターンだろうか。自分の手を合わせながら急に話しかけてきた、香澄をどこか警戒しているようだった。
『なにかあったような顔してるけど大丈夫?』
そんな様子の迅くんに、香澄はそっと手を握る。手を握ったことで相手の体温からまるで全てを読み取ったかったかのように、迅くんは「はっ」とした顔をする。人の手の温かさに、そこまでの要素があるとは思えないけれど、彼にとっては安心できる何かがあったのだろう。
『実は急遽この辺りに引っ越すことにしたんだけど、いろいろあって、今日は家に入れないんだって。だから、今日、泊まるところを探してるの。ただ、どこも開いてなくて』
『そうなんだ……』
おそらく手違いか何かで、引っ越し先の家に入れない状態なのだろう。確かに、元の家にも帰れないとなると、この辺りで泊るしかない。ただ、温泉街はお盆ということもあり予約なしの飛び入りではかなり厳しい。このままでは、2人は路頭に迷ってしまう。このあたりには宿泊施設はここ以外ないことを考えるとかなり切羽詰まった状態だ。
『よし、お待たせ。その子は……?』
そんな中、彼のお父さんが返ってきた。さっき旅館で見た子だとわかると、彼のお父さんはぺこりと頭を下げた。
『先ほどは急にもかかわらず、ありがとう』
『ごめんなさい、お宿、空いてなくて』
この頃からちゃんとスキルを身に着けていた香澄は、丁寧に宿が空いていなかったことをお詫びする。
『話は聞きました。女将さんたちに相談する必要はあるのですが、当旅館には仮眠室があるので、そこを使えないか聞いてみましょうか? あくまでお客様用の部屋ではないので、居心地は保証できませんが……』
『えっ、いいのかい? じゃあ、ダメ元でお願いしてみようかな』
香澄は『はい』と言うと、旅館の中に駆け込んだ。そして、女将さんたちに相談した後、1泊なら対応できるということなので、無事に2人は今日泊る場所を確保できたことになる。
そんなことがあったのかと思い直してみるが、思い出すことができなかった。ただ、仮眠室に泊ってるとなると、私が対応していなくても不思議ではないのかもしれない。
そういえば、香澄にこんなことを言われたのを思い出した。
『今日、訳あって仮眠室の部屋にお客様がお泊りになっているんだけど、私たちと同じぐらいの小学生の子もいるからよかったら遊びに行かない?』
と。ただ、私は、その当時は今よりも何倍も人見知りであったため、恥ずかしいという理由をつけて断ったのだ。だから、私は見覚えがまったくなかったのだ。
じゃあ、なんで香澄は、迅くんのことを覚えていないのだろうか。そう思うけれど、確かに面影はあれど今とは姿も声も違う。それに、彼女の性格からしたらなんも不思議ではないのかもしれない。彼女は覚えることは苦手だし、思い出のある友人も山ほどいる。この前も、小中学校の同窓会に参加したとき、私に「あの子って誰だっけ?」と何人も名前を聞いてきた。それを考慮すれば、過去のことを忘れていてもなんら不思議はない。
私は泊ってくれたお客様1人1人のことをできるだけ覚えようとしているが、香澄にとって泊ったお客様は過去の一部にすぎないはずだ。だからもう、忘れてしまったのだろう。
逆に、迅くんはどうなのだろうか。彼は、もしかしたらあえて隠しているのかもしれない。最初に前に来ていたことを告白してはいたが、旅館名までは明かしていない。ただ、この旅館にわざわざ泊まったということは会いに来たという目的もあるのだろう。彼がそのことを明かさない理由は分からないが、かといって相手が忘れられていたりすることを考えると、自分が彼の立場にいたとして、明かすかは確かに微妙だ。
彼の夢は続いた。香澄が2人の泊っている仮眠室に遊びに行くと、迅くんと一緒に折り紙で鶴や手裏剣を折ったり、すごろくをして楽しんでいた。先ほどまでは心細そうな様子だった彼も、打ち解けたかのように、時折笑顔を見せながら、香澄と時間を共有していた。
『香澄ちゃん、遊んでくれてありがとう! 普段はこんな顔しないのに。よほど楽しいんだよ』
『うん、僕、香澄ちゃんと遊べて楽しいよ。ありがとう!』
『私も遊ぶことができて、楽しいよ! ……そうだ、夜は一緒に外に出てみよう!』
『うん、いいよ。夜は怖いけど、一緒なら大丈夫』
少し暗い夜が怖いと言っていた迅くんも、香澄に手を握られて、夜の夜空を眺める。数えきれないほどの星と、綺麗な月が、まだ好奇心旺盛の2人の心をくすぐる。2人はその夜空を瞳に収めるだけは足りないと感じたのか、2人仲良くスケッチを始めた。
『すごくきれいだね。香澄ちゃんと、星と月。どれもきれい』
『……ありがとう。でも――いや、まあいいや。それより、どんな絵を描いたの?』
香澄は濁したようなことを言いながらも、話題を転換させる。2人の描いた絵は、まるでお互いの絵をまねたかのようにほとんど同じ絵だった。そんな絵を見て、顔を見合わせながら笑っていた。
『そうだ、この絵、あげるよ。思い出によかったら』
『えっ、いいの? ありがとう』
迅くんは貰った絵を何かに挟む。本のようなものだ。よく見ると『日記帳』と書かれていた。この日記帳こそが、彼の探していたものだろうか。
『日記帳って、迅くん、いつも書いてるの?』
『うん、最近はいつも書いてるよ。未来の自分にこの時の僕がどんなだったか、忘れないようにするためにもね。せっかくだし、今日の思い出についても書いておこう。ありがとう、楽しい思い出を作ってくれて』
『そんなことないよ、いつかまた会えたらいいね。でも、大きくなったらお互い、気づかないかもね』
『確かに、そうかもね。でも、いつか会いに行くから。仮にどこか遠くに引っ越してでも、時間がかかってでも。だから、待っててね!』
『うん、待ってる。でも、その時はちゃんと教えてよ。じゃあ、約束』
『うん、約束』
夜空の下で指切りげんまをする2人はどこかおとぎ話に出てくる主人公のように見えた。そんな大切な約束を交わした後は、迅くんたちは部屋に戻る。香澄は旅館のお手伝いを、迅くんは、今日あったことを、日記に文字として納めていく。
場面は変わり、迅くんたちが旅館を後にしていくところになった。
――あれは、私?
私は仮眠室の隣にある10号室に行くために、廊下を渡っていた。そんな中、仮眠室から迅くんたちが出てくる。私と迅くんは、すれ違う。お互い、一瞬だけ目がある。ただ、そんな瞬間もほんの少しだけ。何もなかったかのように、それぞれが別々の方向へと進む。ただ、迅くんは何を思ったのか、一瞬立ち止まってしまう。ただ、お父さんに促されて、再び歩く。
「私たち、一瞬だけ……」
知らなかった。ただ、私たちは初めてではなかったのだ。確かに私がそこまで把握するのは難しい。でも、確かにそんなことがあったような気がするかもしれない。ただ、彼が愛した人は私ではなく、香澄だ。2人の共有した時間は何にもならない。やっぱり私は、この2人を結ばなければいけない。強い糸で結ぶかのように。それが幸せを見つけ。幸せを叶える。ただ、なぜか前よりも乗り気にならないのは何かが邪魔をしているからだ。
「もしかしたら、私が彼を――。まさか、な」
気持ちが定まらないとは、私はなんていう人だ。ただ、邪魔をするということは私と香澄の友情を壊すことになるのか。でも、それとは違うのか――。これ以上考えるのはやめよう。ただ、私も私だな。それだけは分かる。自分がずるい。
この先の夢は、全く違うものとなっていた。彼がお父さんの定食屋を手伝っているシーンや、高校生の姿。そんな夢を何時間か見ていると彼はさっきよりもだいぶ顔がよくなった姿で目を覚ました。



