二分の一の当たりくじ

 公園は街中よりも綺麗に雪が残っていた。スマホのライトで少し探せば、誰にも踏み荒らされていない綺麗な雪面はすぐに見つかった。
 しゃがんで雪に花火を刺す。雪は少し硬くなっていたからか、ちゃんと安定した。玉城はしっかりライターも買っていて、「スリー、ツー、ワン」のカウントダウンのあとに点火した。
 光が、弾けた。星の欠片が音を立てて空中を舞う。無数の光の粒が、真っ白な雪を照らした。目の前の空間がただひたすらに煌めいていた。夏の夜の線香花火よりも激しく、今が冬であることを忘れるくらいに火花が躍っていた。夜空の星々を凝縮したような世界がそこにあった。
 金色の光が静かに消えるまで、私は声を出すことも忘れてただ花火に見とれていた。
 玉城もまた、何も言わずに次の花火を雪に刺して火をつけた。その瞬間、目の前が煌めく。パチパチという音だけが静かな夜の公園に鳴っては雪に吸い込まれる。まるで命を持ったかのように躍動する光たちは、やがて煙も残さずふっと消えた。
「綺麗だな」
 三本目の花火に火をつけた時、ようやく玉城が口を開いた。
「うん、綺麗」
 友達の誕生日パーティーのたびに見てきたはずなのに目の前の花火は今まで見た花火の中で一番美しかった。子供の頃テレビで見た日本最大の湖上スターマインよりも、地元の花火大会よりもずっと。スーパーで売っている花火セットよりもずっと小さな花火なのに、とても特別なものに思えた。
「常盤さん、好きだよ」
 唐突に玉城が言った。口説けば行けるって思われてるのかな。やめてよ、舞い上がっちゃうじゃん。
「本当は明日……もう今日か。デートOKしてくれたらその時に言おうかと思ってたけど、今しか言えないなって思って」
「デート?」
「え、もう誘ったことすら忘れられてんの? マジで脈ナシじゃん」
 話がいまいち見えなかった。
「いや、マックかファミレスで始発まで時間つぶして、そのあとどこでもいいから常盤さんの行きたいところでデートできたらいいなって思ってたんだけど」
 嘘でしょ。あの文脈で休憩って言って、本当に休憩って意味ってことある? 言葉選び終わってるでしょ。大体オール明けで一日デートってどういう体力してんの。体力お化けですか。文句の一つや二つ言ってやりたくなったが、一番罵倒したいのは私自身だ。
 勝手に変な勘違いをするくらいにはすっかり大人の世界に染まり切ってしまった。そんな私はやっぱり玉城みたいに清らかでまっすぐな人にはふさわしくない。汚れる前に玉城と出会いたかった。やっぱり玉城が初恋だったらよかった。全部、玉城だけがよかった。
「私じゃ玉城には釣り合わないよ」
 冷静に考えて玉城が私を好きになる理由なんてない。きっとお酒の勢いだ。そうだ、私の感情もきっと酔っ払いのまやかしだ。ちょっと話が盛り上がっただけで好きになるなんてありえない。そう自分に言い聞かせる。
「それに私たち、お互いのこと全然知らないし」
 傷つきたくない、傷つくのが怖い。アイスは外れだった。だから、そういう運命なんだ。
 いつの間にか花火は消えていた。夜の暗闇に灯りをともすように、玉城が四本目の花火に火をつけた。
「色々言いたいことはあるけどさ、恋愛ってそう言うもんじゃないっしょ」
 玉城の顔が直視できなくて、花火を見つめ続ける。
「釣り合うとか釣り合わないとか、好きになるまでに何回会話しなきゃダメとか、そういう理屈でするもんじゃなくね?」
 玉城の声は怒っているようには聞こえなかった。落ち着いた調子で話してはいたけれど、少年時代の思い出を語る無邪気な玉城と同じ、まっすぐな声だった。
「でも私、玉城さんが誘ってくれたのOKするのかどうかもアイスの当たりくじに任せちゃうようなずるい人間だし、玉城さんが好きになってくれるような人じゃないよ」
「そうかな。常盤さんいつも一生懸命だし、人のいいところ見つけるの得意だし、すげーいい人だと思うけど」
 その言葉に思わず玉城の顔を見る。玉城は真剣な顔をしていた。
「ちょっとしたきっかけで気になって、目で追うようになって少しずつ常盤さんのこと知って、もっと仲良くなりたいって思って、初めてちゃんと話してみたら想像以上に気が合ったから好きになった。それってそんなにおかしなこと?」
 別世界の人だと思っていた玉城が私を見てくれていた。信じられない。
「小学生の頃の恋愛なんて、足が速いから好き、とか、みんなあの子のこと可愛いって言ってるから好きとかそんなのばっかりで、でも何の疑問も感じてなかったじゃん? それに比べたらよっぽど真面目に恋愛してると思うけど」
 少し強い風が吹いて花火を吹き消した。灯りがなくなって、玉城の顔がよく見えない。
「常盤さんが俺のこと男として見られないとか生理的に無理って言うなら諦めもつくけど、理屈で振られるのは悲しいなって。常盤さんは昔の自分は無敵で今の自分は大したことないって言うけど、俺が好きになったのは今の常盤さんだよ。もちろん、常盤さんの全部を知ってるわけじゃないけど、お互いのことを知らないならこれから知っていけばいい。俺は今の常盤さん自身の気持ちが知りたい」
 玉城の言っていることは、全部正しい。私は自分が傷つくことから逃げているだけだ。恋愛をしないためのそれらしい理由を探している。私は弱い人間だ。
「あと、常盤さんは自分のことずるいって言うけど、俺だってずるいよ」
 玉城はそういうと新しい花火を手に取って火をつけた。
「ケーキ用の花火なら、冬でも売ってるって知ってた。友達の誕生会用に買ったことあったから。ギャンブラーのふりして賭け持ちかけたけど、本当は絶対花火売ってるって知ってた。これが最後になるなら、どうしても常盤さんと今日花火したかったんだよ」
 玉城は嘘をついていた。でも、不思議と騙されたとは思わなかった。大人は汚い嘘をつく。でも、玉城の嘘はそう言った類の物とは違うように思えた。だって、今目の前にある輝きはこんなにも綺麗だ。
 短い命を燃やし尽くすように、花火が消えた。玉城は次の花火に火をつけたが、視線は花火ではなく私に向いていた。灯りとしてそこに存在する花火は、暗闇の中玉城の顔を時に強く、時にほのかに照らす。
「常盤さん」
 一言私を呼んだだけ。それ以上何も言わなかった。
「さっきの返事だけど」
 私も、花火ではなく玉城の目をまっすぐに見つめた。
「私のアイスが当たりだったらデートしようって、私言ったよね。」
「俺にチャンスくれるなら、アイスが理由でもいいよ」
「玉城さんのアイス、外れだったんだよね?」
「うん」
「じゃあ、私のアイスは当たり。アイスは当たりと外れの二種類しかないんだから、片方が外れならもう片方は必ず当たりって、決まってるの」
 玉城も大概誤解を招く口下手だけれど、私はそれ以上に口下手で、そんな私の精一杯。
「私がそういうことにしたいの。誰が何と言おうと、アイスは二本買ったら必ず一本当たるんだから、私のアイスは当たりだったの。ダメ、かな?」
 私はもう純真無垢でも最強無敵でもない。平凡な大人だ。でも、大人は嘘をつける。ずるくたって、嘘で運命を都合のいい方に捻じ曲げる。純粋でも無敵でもなくたって恋をしたっていいじゃないか。そう信じて、少しだけ勇気を出す。そうしないと何も始まらない。宝くじだって、買わなければ当たらない。
「全然だめじゃない。すげー嬉しい」
 いつの間にか花火は消えていたけれど、暗闇でもわかるくらいの満面の笑みを玉城は浮かべていた。
「常盤さんの行きたいとこ、どこでもいいよ。スカイツリーでも諏訪湖でも、海外でも」
「私の近所でデートしたい。無敵のJK時代を見せてあげたいって、さっき言ったのは嘘じゃないよ。私が青春時代を過ごした街で、一緒にゲーセンで遊んで、商店街で食べ歩きして、夜は今みたいに公園で花火したい。まだ、花火残ってるよね?」
 時間は不可逆だ。私は無敵の女子高生には戻れないし、玉城と一緒に学生時代をやり直すことはできない。でも、同じ時代に、遠くの街の同じ空の下ので青春を駆け抜けた玉城とこれから青春の続きをすることはできる。大人が青春してはいけない理由なんてない。花火は夏にやるものだけれど、冬の花火だって美しいのだから。
「いいね、それ。最高」
 明日のデートプランも決まったところで、今度は私が花火を手に取った。雪に花火を刺して、ライターで火をつける。
 火花がバチッと弾けた。世界が変わる音がした。花火の熱に当てられ続けた雪は表面がとけて浅いくぼみを作り、水たまりのようになっていた。弾けた光の粒が水面に向かって落ちていく。いつしかテレビで見た、湖の上に咲いた無数の花火たちのように。
「綺麗だね」
「うん、すごく綺麗だ」
 今日の花火が特別なのは、隣に好きな人がいるからだ。それはきっと明日もそうで。願わくばこれからもずっと。
「好きだよ、“玉城君”」
 だから、ほんの少しだけ勇気を出して言葉にした。
「俺も好きだよ、“光莉さん”」
 花火が消える瞬間、やっぱり玉城は一枚上手だなと思った。

 花火の後始末をして静かに立ち上がる。
「光莉さんの家の近くで会うなら、今から一回帰って仮眠とった方がいいかな? 昼過ぎ集合とかにする? 光莉さんのタクシー代くらいなら、俺出すけど」
 ここから家まで大体一万六千円。でも、千円で鳥取から長野まで行けると信じていたあの頃の話をした後でお金をそう言う使い方をするのはひどく無粋な気がした。それだけのお金があったら、今度こそここから二人であの日憧れた花火大会に行けるというのに。
「いいよ、もったいないし。始発まで歩こう。行けるとこまで」
 我ながら馬鹿な提案だ。朝までに大宮にたどりつくことはできないと思う。結局途中で電車に乗ることになるだろう。でも、私は朝日が昇るまで玉城と冒険がしたかった。
「やっぱり光莉さん、粋だわ。そういうとこ好き」
 ああ、幸せだ。今なら何だってできる気がする。道が続く限りどこまでだって歩いて行ける。
 何キロの道を歩くことになるのかはわからない。気合を入れるために髪を結ぼう。手首のヘアゴムを外して咥え、髪を一つにまとめていると視線を感じた。気になってささっと髪を結び終える。
「どうしたの?」
「いや、やっぱりいいなって思って。光莉さんが髪結んでるとこ」
「え?」
「実は前から思ってた。光莉さんが髪結ぶ仕草、可愛いなって」
 同世代の誰もがうらやむエリートも案外中学生マインドのようだ。それにしても、形骸化したルーティーンがめぐりめぐってこうなるとは、人生は本当にどうなるのかわからない。わからないからこそ、今は明日が楽しみだ。それはきっと、玉城がいるから。
「ねえ、今年の夏は一緒に諏訪湖の花火見に行こうよ」
「賛成」
 二人で手を繋いで歩き出す。一際強い風が吹いて、背中越しに木々がさざめく音を聞いた。
 風の名前は春一番、春はもうすぐそこまで来ている。