二分の一の当たりくじ

 コンビニに入って飲み物の棚に向かう。アイスの話をしていたからか、真冬だと言うのについアイスケースに視線が向かった。
「あっ、はちみつレモン味。懐かしい」
 思わず口をついて出た言葉に、玉城が振り返る。
「マジっすか? 復刻したんすかね? 中学の時以来?」
 当たりつき棒アイスのはちみつレモン味。中学の時好きだった限定フレーバーだ。当時はこればかり食べていた。
「たぶん」
「いやー、懐かしい。俺の青春っすわ。部活帰りこればっかり買い食いしてましたもん」
「私も。玉城さん何部でした?」
「陸上っす」
「え、私も! 短距離です」
 まさか、こんなところまで同じだとは。ついにやけそうになる。
「マジっすか? 俺、長距離っす。部活後のアイス、マジで格別っすよね」
「そうそう、本当は校則違反なんですけど、疲れた体と渇いた喉に冷たくてあまーいアイスがしみわたるって感じで」
 アイスの食べすぎはいけません、買い食いをしてはいけません、親や学校に対する小さな反抗。小学生の頃より増えたおこづかいで起こす、大人たちへの小さな革命。背徳感もあいまって、特別においしかった。あの頃の私は全能感に満ち溢れていた。
「常盤さんわかってるじゃないっすかー。俺、これにしよ」
 玉城がアイスケースを開けて、思い出のアイスキャンディーを手に取る。
「私もそれにする」
 私がそう言うと、玉城はにこっと笑ってもう一つ同じものをとってケースを閉めた。
「常盤さん、粋っすね」
 目の前の玉城はスーツの上にコートを着ているのに、一瞬私の通っていた中学校の夏服姿の玉城の幻が見えた気がした。
 玉城が会計を済ませたあと店を出て、コンビニの軒下で壁にもたれかかった。アイスを手渡される。
「どうぞ」
「ありがとう、いただきます」
 私がアイスを受け取ると、玉城は自分のアイスを開け始めた。私も壁にもたれかかろうかと思ったが、ポニーテールが邪魔なので髪をほどいた。玉城からワンテンポ遅れて、私も壁にもたれかかってアイスの袋を開ける。
 はちみつレモンのフレーバーのアイスの黄色に、コンビニの外灯が反射する。真夏の太陽のようにきらりと光った。一口齧ると、歯と舌が凍ったかのように冷たくなって頭がキーンと痛くなった。少し遅れて、あの頃の青春の甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。
「うっひゃ、冷てっ」
 玉城の声に反応して彼の方を見る。彼もこめかみを押さえていた。目が合う。一瞬の間の後、どちらからともなく笑みがこぼれた。
「そうそう、さっき話してた宝くじの話だけどさ」
 また一口追加でアイスを口にした後、玉城が話し出す。いつの間にか敬語が抜けていて、距離が縮まったようで嬉しかった。
「当時はさ、宝くじで一億円当たったら馬鹿でかい花火大会やりたいなって思ってたんだよね。日本一でかい花火大会」
「えっ、すごい!」
 私が思わずこぼすと、玉城は照れくさそうに笑った。栴檀は双葉より芳しとはよく言ったもので、やっぱり玉城は子供のころからスケールが大きい。
「当時日本で一番打ち上げてる花火大会が四万発とかだったから、だったら俺は十万発打ち上げてやるぜって思ってた。宝くじ当たってもないのにさ」
「四万発って諏訪湖の花火大会?」
「そうそう! よく知ってんね。行ったことあんの?」
「ううん。行きたいって言ったんだけど、連れて行ってもらえなかった」
 テレビで見たフィナーレの映像。湖上で次々と花火が弾け、それが湖面に反射する。最後にはナイアガラの滝のように光の粒が連なって湖に落ちる。きらきらしたそれに魅入られて、行きたいと親に駄々をこねたものだ。
「うちも遠いからダメってさ。だったら自分で開いてやんよってのが、宝くじ計画のきっかけ。でも、花火って安いやつでも一発五千円するし、高いやつだと二十万オーバーだから、一億じゃ全然足りねーのな。子供の金銭感覚ってテキトーだから」
「なんかわかるかも。お母さんが連れて行ってくれないなら自分で行くって、勝手に行こうとしたんだけどその時の所持金千円だったの。馬鹿でしょ?」
 一億円あったら世界征服だってできると信じていて当然だ。子供の私は馬鹿だから、お盆で祖父にもらった千円札があれば日本中どこにだっていけると信じていた。意気揚々と駅まで向かい、長野まで千円で行くのは無理だと諭されてとぼとぼと家まで帰った。
「いやいや、小学生なんて冒険してなんぼっしょ。ナイスチャレンジ!」
 大学の頃、私の周りにはこんな経験をした人はいなかった。昔のあるある話として話しても、「女の子がそんな無茶なことしちゃだめだよ」と窘められた。ナイスチャレンジなんて肯定してくれる人はいなかった。
「馬鹿って言えばさ、俺も歩いて本州行ってみようって挑戦したよ。夜になっても帰ってこないからって騒ぎになって、もう大目玉! 親父にゲンコツくらった!」
 蛮勇だったかもしれないけれど、かつての無敵感を共有できる人がほしかったのかもしれない。アイスを食べるのも忘れて、話に夢中になった。カップラーメンじゃなくてアイスを選んでよかった。ラーメンはすぐに伸びてしまうけれど、この寒さならアイスはそうそう溶けない。二月の夜の凍えるほどに冷たい空気も今だけは私の味方だ。玉城と笑い合える楽しい時間を終わらせたくない。
 この時間をかみしめるように、アイスをまた一口だけ大事に食べる。冬空の下、夏を思い出させる甘酸っぱさが口の中に広がる。
「でも実際、無敵感って大事だよな」
「うん、あの頃の私は無敵“だった”」
 少ししんみりした言い方になってしまった。仕事で億単位のお金を動かして、どこにでも行けるチケットだったはずの千円札を飲み会で湯水のごとく消費して、タクシー移動に一万円使うことが選択肢に入ってくる。あの頃よりお金の面で自由になったはずなのに、あの頃より全然楽しくない。気合を入れるときに髪を結びなおすルーティーンも形骸化ししてしまった。私はもう無敵じゃない。
「常盤さん、なんかあった?」
 一瞬の間のあと、玉城が心配そうに顔を覗き込んでくる。もう何があったかどうしてこうなっちゃったのかなんてわからないほどに疲れちゃったんだよ、なんて言えない。これで最後なんだから、やっぱり楽しい空気を壊したくない。私はわざと明るい声を出した。
「なーんもないよ! ただ、本当に私高校生まで無敵だったんだよって自慢したくて。玉城さんにも見せてあげたいよ、私のJK時代! 高校生で音ゲーはじめて、あっという間に近所のゲーセンの記録ばんばん塗り替えたんだから!」
 嘘を飲み込むようにもう一口アイスを食べた。ほんの少し、レモンのほろ苦さを感じた。
「それはマジで見たいな」
 うまくごまかせた。私はもう無敵じゃないけれど、無敵のふりはできる。だって、大人は嘘をつけるから。
「常盤さんさ、明日……いや、もう今日か。予定ある?」
 いつの間にか玉城はアイスをほとんど食べ終えていた。
「ないよ」
「じゃあさ、ちょっと暖かいところで休憩しない? それでさ……」
 そのあとの言葉は耳に入らなかった。まったく同じフレーズを、飲み会帰りに大学の先輩に言われたことがある。それが何を意味してるのかが分からないほどもう子供じゃない。私を弄ぼうとしていた先輩が「光莉ちゃんってチョロそうだよな」と悪友に言っていたことも知っている。
 いくら子供時代の純粋な話で盛り上がったって、私たちは子供には戻れない。すっと体の芯が冷えていく。玉城も結局は男なんだ。
 悲しい。私は玉城とホテルに行きたいわけじゃない。ワンナイト・ラブがしたかったわけじゃない。ただ、こんなに気が合って話していて楽しい人なんて今までいなかった。だから、この時間が終わらなければいいなって思っただけ。それが幼い願いだとわかっていても。
 ついていっても傷つくだけ。だって、私と玉城じゃどう考えたって釣り合わない。このシチュエーションでほいほいついていくような軽い女が本命になれるわけがない。だから、この場の正解は「そんな軽い女じゃない」ってひっぱたいてタクシーに飛び乗って帰ること。真冬の冷たい空気を吸い込んで、口を開く。
「今、私が食べてるアイス、当たりだったらね」
 拒絶できなかった。私はずるくて汚い大人だ。自分で決められなかった。確率は四パーセントとはいえ、最後の決断は自分じゃない何かにゆだねた。私は自分じゃ何も決められない。部長は本当に人のことよく見ているんだな、と改めて思う。私は決断力が欠片もない。
 だって、仕方ないじゃないか。玉城のことを好きになってしまったんだから。きっと、玉城ほど波長の合う人なんてもう現れない。そう思ったら、遊ばれて傷つくだけだとしても私から終わらせるなんてできなかった。
 ほんの少し話しただけなのに、なんで好きになってしまったんだろう。今までろくに絡みもなかったのに。たった数時間話して、一緒にアイスを食べただけで好きになるなんて、軽い女を通り越して頭空っぽだ。こんなんじゃ破滅まっしぐらだ。
 悔しくて悲しくて泣きそうだ。涙を飲み込むためにアイスを齧った。当たりと外れの結論を先送りにしたくて、棒の部分を避けて食べた。骨の髄までしみ込んだ自分の姑息さに心底嫌気がさした。今までお互いの咀嚼音なんて気にならなかったのに、沈黙の中場違いにシャリっという音が響いた。砂のようにざらついた氷の粒の感触だけが異様に舌に残った。
「四パーセントか。実質ふられちったな」
 玉城が小声で呟いた。しかし、そのあとすぐに深呼吸をした。白い吐息が肉眼で見えるほど、大きく息を吐いた。
「まだアイス残ってるっしょ? 食べ終わるまで、花火しない? 当たりか外れか結論出るまでの時間、俺にくれませんか?」
「へ?」
 何を言っているんだろうこの人は。怒りや悲しみよりも先に困惑がわいてきた。
「真冬に花火なんて売ってるわけないじゃん」
 現にガラス張りの壁から覗くかぎり、このコンビニのホビーコーナーには花火のはの字もない。
「確かに、この店に花火はない。じゃあ、次入った店に売ってたら一緒に花火するってことでいい?」
「何そのギャンブル……」
「こちとら宝くじを軍資金に花火大会しようとしてた身なんで。人間そうそう変わんないっしょ。それに……」
 玉城がにやりと笑った。
「“ある”か“ない”かの五十パーセントなんだから、二店舗回れば必ずあるってこと。ここになかったんだから、次の店には必ずある」
 馬鹿だ、この人。本物の馬鹿だ。小学生の時に否定された理論を今更持ち出して、本当に何を言っているんだろう。
「じゃ、行こうか」
 一口だけ残したアイスを持ったまま、玉城が一歩踏み出して振り返る。嫌ならこのまま帰ればいい。こんな馬鹿なことを言う人についていく必要なんてない。なのに、この馬鹿さは悪い大人の軽薄さではなく、少年ゆえの無敵感のように感じられた。根拠はなく、直感としかいいようがなかった。もうどうにでもなれ。私は黙って玉城の後をついていった。

 玉城は次のコンビニをスルーした。いつの間にか彼はアイスを食べ終わっていた。
「あ、外れ」
 そう呟くと、袋に入れてコートのポケットにしまった。
 頭が混乱したまま、ディスカウントストアに到着した。食べかけのアイスを急いで食べようとして、玉城に制止される。
「焦らなくていいよ。買ってくるから、ゆっくり食べて待ってて」
 そう言うと店の中に消えていった。黙って帰ればいいのに、律義にアイスを食べて待っている私は馬鹿だ。口の中にレモンの味が広がる。「初恋はレモン味」なんて使い古されたフレーズが唐突に頭の中に降ってきた。初恋がどんなだったかなんて、とっくに忘れてしまった。
 玉城が初恋だったらよかったのに。こんな形じゃなくて、違う形でもっと早く出会いたかった。お互い純粋な子供のまま出会いたかった。ワンナイトとか駆け引きなんて大人の単語を知る前に好きになりたかった。憧れるのも好きになるのも全部、玉城だけがよかった。
 食べ終わったアイス。残された棒は外れだった。アイスが入っていた袋に入れてポケットにしまった。

「常盤さん、お待たせ。大丈夫? 寒くなかった?」
 黄色い袋を持った玉城が店から出てきた。
「別に」
「よかった。あったよ、花火」
 玉城がドヤ顔で袋から一つケースを取り出した。よくお洒落なカフェで誰かのバースで―プレートに刺さっているケーキ用の細い花火がたくさん入っていた。なるほど、花火は花火でも、これなら季節を問わず売っている。一休さんの頓智みたいだけれど、約束は約束だ。
 そのまま花火ができる公園へ向かった。玉城はその間、私のアイスが当たりだったか外れだったか聞かなかった。