これもまた夢の中だろうか?
 いや、ひょっとしたらこれこそが現実なのかもしれない。もはや区別がつかなくなってしまっている。
 目の前にはただ暗闇が広がっていた。その闇の彼方から、また光に包まれた女性が現れ、甲高い声で話しかけてくる。

「時空をさすらいし旅人よ。人は誰も一瞬の過ちすら運命として受け入れる。例え、それが悲しい結末でも。一瞬の惨劇、一瞬の事故、一瞬の出会い、一瞬の夢……。この世を支配するものは全て、ほんの一瞬のうちに起こり、人はそれを運命だと信じ、従うのだ。今更、彼女に会っても何も変わらない。それが運命だ」
「別に何も変わらなくてもいい! ただ僕は、今のこの思いを届けたい」
 僕は女性に向って叫んだ。
「この世は無常なもの。お前の今のこの思いもいずれ色あせ移ろいゆく。ほんのひとときの情熱は、後で虚しくなるだけだ」
「いや、違う。この一瞬の僕の想いは永遠のものだ。諦めたら、想いは伝わらない」
「時空をさすらいし旅人よ。この旅路の果てに見る現実は、むしろ今より不幸になるかもしれない。受け入れられるのか?」
「もちろんだ」

 女性が発する光が、やがて闇を消滅させ、僕を包み込んだ。
 無重力空間の中で体が浮かぶかのような軽い感覚がしたかと思うと、今度はそのまま風に勢いよく流されていくかのようだ。意識がどんどん遠のいていく。
 そして気が付くと、僕は夜の名古屋駅の待ち合わせスポット、「金時計」前にいた。急いで腕時計を見て、日付けと時間を確認する。

 2024年10月29日、午後11時59分。
 これは、ちょうど1年前の今日だ。つまり僕が聖奈と別れた日。
 タイムスリップしたというのか……?
 状況が掴めないで戸惑っていたその時、駅のアナウンスが耳に入ってきた。
「まもなく午前0時発、横浜行き、最終列車が発車いたします」

 そうだ。
 1年前の今日、この列車で実家の横浜へと帰っていく聖奈を、僕は引き止めることができなかったのだ。
 記憶が鮮明に蘇ってくる。

 もし1年前をリプレイしているのだったら、聖奈は今、プラットホームにいるはずだ。
 発車まで、あと1分。僕はあの時の過ちをリセットしたい。
 腕時計を見ながら、全力で走った。
 確か2番線の先頭に彼女はいた。走りながら聖奈との思い出が頭の中でフラッシュバックしていく。

 ────あなたは淋しい人ね。誰にも頼ろうともしないし、自分しか信じていない。なんで私に心を開いて、気持ちをぶつけてくれないの?

 午後11時59分48秒。
 腕時計を見ながら階段を駆け下りていくと、これまで聖奈に言われたことが次々と思い浮かんでくる。

 ────私、実家の横浜に戻ることにしたの。横浜の専門学校に通って将来は、デザイナーになりたいって思ってる。もうこんな馴れ合いの関係いつまでも続けられないよ。

 午後11時59分54秒。
 間に合ってくれ。
 2番線のこのあたり、……この人だかりの確か向こうに、……いた!
 聖奈はもう電車に乗り込んでいた。電車の乗降口近くに立ったまま、走り寄ってくる僕をじっと見ている。

 午後11時59分57秒。
 今にもドアが閉まろうとする瞬間に、聖奈は涙を流しながら、僕に向って言った。
「さよなら」

 去年と全く同じ状況だ。そのまま僕はリプレイをしているのだ。このままでは、同じ過ちを犯してしまう。
 あの時僕は、銀行員として出世のためにがむしゃらだった。だから、泣いたり笑ったり、感情を素直に出して人としっかり向き合うことが出来ないでいたのだ。
 ……それに、気持ちをぶつけて人に裏切られるのが怖かった。

 しかしもう今更、何も恐れるものなどないし、失うものもないじゃないか。
 発車を知らせるチャイムが駅構内に響き渡る。
 その時、午後11時59分59秒。
 手を振る聖奈の手前をドアがスローモーションで閉まっていく。

 それは、聖奈と別れる1秒前。
 そして未来が閉ざされる1秒前。
 去年の僕は、この瞬間、去っていく聖奈を黙って見送ることしかできなかった。

 もう後悔なんてしたくない。
 僕は時空を切り裂くような速さで手を伸ばし、聖奈を連れ去る列車から無理矢理引き戻した。
 そして羞恥心など金繰り捨てて、泣きじゃくりながら大声で叫ぶ。

「どこにも行かないで欲しい! もう、どこへも。僕が悪かった。だから、もう一度やり直してくれないか?」
 その時、時間が止まった。