たった1秒。

 このたった1秒の心の迷いが気まぐれに人の運命を弄ぶ。時間は僕だけを置き去りにして、気がついたら取り返しのつかないまでに過ぎ去ってしまった。
 そして今、僕は真夜中の駅にいる。駅舎の真上で、人を見下しているかのような高圧的な時計の針は進み続け、着実にあの時から、自分は遠ざかっていった。
 切符の自動販売機前で駅の数を数えながら、僕は目的地までの遠さを改めて痛感し、立ち尽くすしかない。

 間もなく終電が出発するアナウンスが駅構内に流れた。
 くそッ。今日が祝日ダイヤなのを忘れていた。
 僕は、全力でプラットフォームに駆け込む。
 あと少し、あと……。
 しかし、あと数歩のところで、電車のドアは無情にも閉まった。
 
 どうしよう。
 明日が何も見えない僕ではあったが、それでも、すぐにでも行かなければならない事情がある。
 ……もう、僕に残されたのは、ヒッチハイクだけだ。
 今日、駅前のデパートで買ったばかりのスケッチブックに太いマジックで「横浜」と殊更大きく書きこんだ。そして、駅前の大通りを行くドライバーに見えるように、そのスケッチブックを掲げる。

 そんな僕を無視して、次々と車が素通りしていくが、それでも諦める訳にいかない。
 1時間程が過ぎ、まさに絶望に支配されようとしていたその時、クラクションを鳴らした大きなトラックが止まってくれた。

 たった1秒。
 そう、僕はこの1秒という時間を取り戻すためにヒッチハイクの旅に出たのだ。
 4トンの大きなトラックに乗ったのは、生まれて初めてだった。
 ドライバーは50歳前後の白髪混じりの男性で、これから神奈川県まで建材や小型の機器を運ぶらしい。僕の目的地である横浜までは行けないが、手前の鎌倉市まで乗せてくれることになった。
 見ず知らずの人とドライブすることに少なからず恐怖心を覚えていたが、そんな僕の気持ちを見透かしているかのように、道中、そのドライバーは優しく声をかけてくれる。

 ふと、カーラジオから最新ニュースが流れ、僕の心は引き裂かれる。
「この事件は中部東海銀行本店の24歳の行員が、去年一月から複数の顧客の預金を不正に流用していた疑いがもたれており、現在捜査当局では、家宅捜索する一方、この行員の行方を探しています」
 アナウンサーは、流れ作業のようにただ淡々と原稿を読み上げている。
「違う……。僕じゃない……」
 拳を握り締め、僕は呟いた。
「おう、どうかしたのかい、兄ちゃん?」
 ドライバーは僕の険しい表情に気付いて、心配そうに話しかけてきた。
「いえ、別に」
「兄ちゃん、きっと疲れてるんだろ? おう、ま、もう寝ろ、寝ろ。寝てる間に、着いちまうからさ」
「は、……い」
 体が眠りを欲している。
 目を閉じて、睡眠に入る朦朧とした状態の中、ラジオのアナウンスがまた耳に入ってきた。
「ただいま、午後11時59分。まもなく日付がかわり、10月30日、午前0時です」