──うわ、こういうの無理。パッと見ただけでそう思った。
ネクタイからズボンの裾まで見事に着崩されたブレザータイプの制服、細いウェーブがかかった焦げ茶色の髪。そして極めつけは、ド派手なショッキングピンクの自転車。
昔から、こいつみたいな男が嫌いだった。特に何をされたというわけではないが、口を開けたら「ダリィ」だの「ウゼェ」だの、この世で最も必要のない言葉を並べ、外見だけ気にして威張っているのがアホらしい。
自分たちが勝手に設けたくだらないルールに縛られ、窮屈そうに生きているこういう奴らに、心底腹が立つ。
「あっ」
チャラ男が突然、焦ったような声を出した。自転車を引き出すときに、隣に置いてある自転車にぶつけてしまったらしい。
勢いよく振り返ったそいつが、後ろで待機していた俺に向かって、意外にも深々と頭を下げた。
「す、すみません」
「……いえ」
(ちょっとぶつけただけなのに、そんなに謝ることか?)
不思議に思いながら、センスの欠片もない自転車に乗って行った男の後ろ姿を見る。
駐輪場を出てからもあいつのことが頭から離れなかった。
あの制服は、ここから電車で数分のところにある公立高校のものだ。男女共に見た目がチャラい生徒が多いと聞くが、腹立つことに偏差値は俺の高校よりも高い。
妙に鼻につくのは、恐らくあいつの容姿のせいだろう。平均身長より十センチは高い身長と、制服の上からでも分かるほど筋肉がついた身体。そして手足が長く、全身のバランスもいい。
それだけじゃない。高い鼻梁はすらっと真っ直ぐで、蒲鉾のように整った目と、そのすぐ下にある泣き黒子が、強く印象に残る。
いくら身だしなみが整っていないとはいえ、容姿だけ見ればそこら辺の芸能人を上回っている。もしかしたら、俺が疎いだけで雑誌のモデルでもやっているのかもしれない。
──まあ、どうせああいう人間とは今後も関わることはないだろう。
翌日の朝、いつもと同じ時間に自転車を停めた。荷物を取って振り返ると、すぐ後ろにチャラ男が立っていたことに気がついて肩を震わせる。
(びっくりした……)
なんでそんな近くにいるんだ、驚かすな、と内心苛つきながら睨んだら、がっつり目が合ってしまった。こんな至近距離で目を合わせてしまうとは──、何をやっているんだ俺は。
すぐに逸らせばいい。そんなの分かりきってるし、逸らしたいとも思う。なのに目が離せない。
こいつの、一度見たら相手を深いところに引きずり込んでしまう瞳のせいだ。髪色と同じで、かなり明るい色に見える。駐輪場に差し込む太陽の光がそれを余計に強調させ、目の奥まで薄茶色に透き通っている。
相手がどう思ったのかは知らないが、俺たちは互いを見つめたまま、しばらくその場で動かずにいた。
「……っす」
結局、何も言えずに軽く会釈する。特に挨拶をするような仲でもないし、かといって目が合ったのに無視をするのはなんとなく気が引けた。
「あ、あのっ」
「え?」
「すごく……綺麗な人ですね!」
「……は?」
男が目を輝かせながら手を握ってきた。驚きのあまり後ろに下がると、思い切り足に自転車のペダルがぶつかった。途端にじんじん痛みが広がっていく。
「いっ……」
なんだこいつ。というかなんで、こんな場所でそんな言葉を言われなきゃいけないんだ。
男の突拍子もない行動に急に腹が立ってきた。手を振り払い、目を細めて睨む。
「触んなよ」
朝から最悪だ。もし俺が女子だったら、ときめいていただろうか?
一体なんのつもりで、あんなことを──。チャラ男が考えていることはまったく分からない。
その日、学校が終わってから急いで駐輪場に向かった。ラックの場所を変えてもらうためだ。
あいつにもう会いたくない。その一心で受付まで走る。早くしないと、もうすぐ窓が閉まる時間になってしまう。
「すみません!」
焦りながら受付の窓を開ける。椅子に座って呆けていたじいさんが、驚いた顔でこちらを見た。
いつも適当な挨拶しかしない俺が訪ねて来たのが珍しかったのか、嬉々とした表情で駆け寄ってくる。
「どうしたの」
「あ、あの……俺の隣のラック、どんな人が使ってるか知りたいんですけど」
「ええ? なんかあったのかい」
「あーっと、いえ……ただ、以前はサラリーマンぽい人が使ってた気がして。最近変わったんですか」
「そうだったかなあ。ちょっと調べてみるよ。番号は?」
親切な管理人だ。話が早くて助かる……と思いながらも番号を伝えると、すぐに奥の棚からファイルを取り出して調べ始めた。紙を一枚一枚ゆっくりめくる動作に、頭を抱えたくなる。
そんなんじゃ調べ終わる頃には夜になってしまう。こうしている間にも、受付が閉まる時刻はとっくに過ぎている。
じいさんに迷惑をかけていないだろうかと考えたら、途端に申し訳ない気持ちになってきた。
「あの……やっぱり」
「あ、昨日の!」
いきなり後ろから声がした。あまりの近さにびくりと震えて振り返ると、今まさに調べてもらっている例の男が至近距離に立っていた。
「……お、まえ」
男は目尻にくしゃっと皺を寄せて笑った。口角がしっかりと上がった、まさに陽キャっぽい笑顔だ。
「俺、高松翔平っていいます」
「は?」
そんな勝手に自己紹介されても困る。というか、名前なんか聞いてない。
「えっと……君の名前は?」
突然のことに固まっていると、上から伺うように顔を覗き込まれた。
(やめろ、そんな整った顔を近づけるな! ただでさえ圧が強いのに)
しかしまあ、こんな距離で見ても溜め息が出るほど欠点のない顔をしている。女子にモテすぎて困るほどだろう。
チャラ男は、何も言わない俺に焦れったく思ったようだった。今度は肩を掴まれて同じ質問をされ、反射的に返事をしてしまう。
「あ……おれは、穂乃田碧……だけど」
触られているところが熱い。答えたのになんで離してくれないんだ。
「碧くんかあ……高校は? それ、どこの制服だろう」
いきなり名前呼びすんなよ。これは新手のカツアゲか、もしくは喧嘩を売られてるのか?
(……まさか、友達になりたいとか馬鹿なこと言わないよな)
なぜ絡まれているのか、さっぱり分からない。とにかくここから逃げたい。どんな理由にしろ、チャラい陽キャと関わるなんて御免だ。
手を離せと藻掻いてみたが、まったく力が緩まない。そりゃあこんなに体格差があれば当然だ。殴られたら一発で伸びるだろう。
「高校は、峰ヶ埼……。もう手離せよ」
圧に負けて、とうとう言ってしまった。いや、別に知られたからといってなんてことはない。
高松と名乗った男は満足したらしく、やっと肩から手を離してくれた。
「電車、反対側ですよね? そんなに離れてなかった気がする……」
そうだ。お前の高校とは反対側だ。たった数駅の距離でも、同じ電車の方向じゃないだけマシ。
胸を撫で下ろした瞬間、奥からじいさんが戻ってきた。男を見るや否や、「おお~!」と笑顔になる。
「高松くん、今日は部活は?」
「こんにちは〜鈴木さん。部活は休みになりました。体育館の工事があるみたいで」
「そうか。ああそうそう、昨日は饅頭ありがとね」
「あっ、食べてくれたんですか」
「みんなに配ったよ。いやあ美味くて大人気」
じいさんの名前は鈴木というらしい。受付で挨拶する程度の人と交流して、お菓子まで渡すとは、並外れたコミュ力を持っている。人見知りの俺には到底マネできない。
こんな見た目なのに、意外にも思いやりがあるようだ。随分とギャップが激しいなと思った。
「良かった。また持ってきますね」
「そんな、気遣わなくていいんだよ」
「いえいえ。俺、鈴木さん達が喜んでくれたら嬉しいので」
へへっとまた高松が目尻を下げて笑う。じいさんも釣られてさらに笑顔になった。まるで孫を見ているかのような眼差しだ。
「今どき高松くんみたいな優しい男はおらんよ。いつもありがとう」
なんだか、この空間にいる自分がひどく場違いな気がしてきた。俺だけ気が利かない人間で、ましてや今日は面倒なこともお願いしてしまった。
「あっ俺、急いで帰らないと。鈴木さんと碧くん、また!」
男は爽やかな笑顔で手を上げたあと、小走りで駐輪場の奥へ走って行った。あれは完全にスポーツができる人の走り方だ。何もかも完璧で、もはやちょっと恐ろしい。今のところ、あいつの欠点はチャラい見た目をしているということだけ。
「そうそう。君の隣は高松くんだろう? 前から契約はしてたんだけどねえ、そこのラックが壊れちゃって。そしたらちょうど隣が空いたから、場所を変えたんだ」
「そう、だったんですか」
月極契約者一覧と書かれたファイルを目の前に広げられる。以前から契約していたらしいが、見かけた記憶がないのは、ラックの場所が遠かったからだろうか。
「とってもいい子だよ。必ず挨拶してくれるし、よくお菓子を持ってきてくれる」
「……そっすか」
一応相槌を打っておいたが、納得はしていない。ただ挨拶してお菓子を渡しただけで良い子と判断するのはどうなんだ。
年寄りは、ああいうチャラい服装の若者を煙たがるイメージがある。けど、マイナスポイントになってないということは、これまであいつがちゃんと関わってきた証拠だ。
口元を緩めたまま、高松の話を続けようとするじいさんに礼を言って切り上げ、自転車を取りに行った。──なんだか釈然としない。
あいつのせいで、朝から怯えながら駐輪場に行く羽目になった。幸いにも会わなくて済んだが、今日も会ったらどうしようかと不安だった。
名前と学校名。一方的にではないにしろ、個人情報を握られている。なんだかそわそわして落ち着かない。
「なんだ? そんな顔して」
前の席の中村真人が不思議そうな顔で首をかしげた。相変わらず芸術的なうねり方をしている天然パーマ、もとい鳥の巣に指を突っ込む。
「おいやめろって。セットしてきてんだから」
ふさふさして面白い。なんだかこれを触ると、癒される気がする。動物と触れ合っているときのように。
「これが完成形?」
「お前……どうしたんだよ。憂鬱そうな顔してると思ったら、俺にダル絡みなんかして」
「はあ。ちょっと色々……あったんだよ」
「なになに」
真人が目を輝かせて体を前のめりにする。
こいつとは中学一年から高校二年の今まで、ほとんど同じクラスで常に席も近かった。家も歩いて行ける距離だし、何かと縁がある。そして俺の片手で足りる程度しかいない友達の一人だ。
「いや」
「なんだよ、言えって。そんな顔してると唯一の武器が台無しになるぞ」
「うるさい。頭を撫でるな」
「碧が先に俺の髪ボサボサにしたんじゃん!」
「元からだろ」
「ひどい!」
昔から、顔が綺麗だの可愛いだの言われることが多かった。原因は分かっている。肌が焼けない体質で、周りの男子に比べるとかなり色白に見える。しかも顔のパーツが母親似だから、そう言われるのだと思う。だが──、そのせいで今まで後輩にも何度も舐めた態度を取られてきた。
この自分の容姿が気に食わないし、舐められたくないと思って、初対面の人と接するときも壁を作ってしまう。あいつのように誰とでもフランクに接することができたら、どれほど楽しいだろう。
「で、何があった?」
「……嫌いな系統の男に名前と学校を知られた」
思い出したらまた腹が立ってきた。名前だけならまだしも、学校まで教えてしまった自分に。
「なにそれ。嫌いな系統の男? 高校知られたってことは、他校の人と話したのか」
「ああ。駐輪場で話しかけられた」
「やっぱ碧はモテモテだなあ、特に男に」
「殴っていい?」
真人は俺がチャラい男を毛嫌いしていて、この学校のそういう奴らとも関わらないように心掛けていることを知っている。
笑い事じゃない、と眉間に皺を寄せると、再び頭を撫でられた。馬鹿にしやがって。
「まあ、いいじゃん。連絡先は教えてないんだろ」
「いやそうだけど……」
そんなもの、聞かれても絶対に答えないつもりだが、次に会ったら聞かれそうで怖い。
「前にいただろ? お前にストーカーしてた男」
「思い出させるなよ」
去年──、同じクラスの男に告白されて、きっぱり断ったのにしつこく迫られたことがある。
勝手に連絡先を追加され、メッセージが届いたり電話を何度もかけられてさすがに対応に困った。すべて無視してブロックしたが、しばらくは怯えながら生活する羽目になったのだ。
「碧にゾッコンラブだったもんな。鞄からお前の写真が大量に出てきた時はどうしようかと思った」
「まじで……警察いけばよかった」
「その、名前聞いてきた人もお前のこと好きだったりして」
「いやいや。あり得ないだろ、告られたわけでもないし」
告白は何度かされたことがあるが、その中でも男はストーカー野郎だけだった。
そもそも、同性愛者はそんな大勢はいないはず。いや、居たとしてもそう簡単に打ち明けられないのだろうけど。
もうこの話はいい、と俺の頭の上に置かれた真人の手を振り払う。
「進展あったら教えてくれよな! 応援するから」
「応援するなよ」
こういうとき、友達って慰めたりしてくれるものじゃないんだろうか。
朝に会わなかったのだから、帰りも会うことはないはず。そう気を抜いていた放課後──、校門を出てすぐ、それは間違いだったことを知った。
「あ、碧くん!」
「う……うそだろ」
校門の前に設置された白いガードレールに体を寄せるようにして、高松が立っている。
俺を見た途端に笑顔になり、犬の如く見えない尻尾を振って駆け寄ってきた。まるで親しい友達に会ったかのように。
「帰り、早いんだね。部活入ってないの?」
「え? あ、ああ……そうだけど」
いやいや、ちょっと待て俺。呑気に返事してる場合じゃないだろ。こんなのストーカーと同じじゃないか。
「お前なんでここに……」
「碧くんに会いたくて、待ってたんだ」
「は?」
「あの、もし良かったらインスタ教えてもらえないかな?」
「……やってない」
「じ、じゃあラインでもいいから」
ヤバい奴とは関わらないほうが良い。俺はそれを、身をもって知っている。
無言で首をぶんぶん横に振ったあと、早足で駅に向かって歩く。こんな校門の前で、しかもこんな特級イケメンと話していたら目立ってしまう。
しかし、高松は一向に食い下がろうとしなかった。かなり急いで歩いたのにいつの間にか距離が縮まっていて、後ろから腕を掴まれる。
(くそ、身長差のせいで……っ)
「ちょっと碧くん、待って!」
「離せよ。知らない奴に連絡先なんて教えたくない」
「わ、わかった。じゃあ、お昼ごはん一緒に食べない?」
思ってもみなかった提案に、思わず足を止める。
連絡先の代わりに飯だと? 一体なにがしたいんだこいつは。なんで他校の、しかもよく知らないチャラい男と一緒に飯を食べなきゃいけないんだ。
ドン引きしてる俺に気づく様子もなく、男は必死な形相で話を続けた。
「碧くんともっと話してみたい。お昼の時間だけでいいから! ……だめかな」
もう一度断ろうと口を開くも、目の前にぴったりと合わさった両手が突き出されて何も言えなくなる。
通りすがりの人達が俺らを見ながら、声を潜めて話しているのが気になって仕方ない。こんなイケメンと一緒にいるせいだ。
もういいや。いっそ早く切り上げてしまおう。たかが昼の時間。連絡先を教えてストーカー行為されるよりはマシだろう。
「……昼、食べるだけなら」
告げる意欲もなかった言葉なのに、男にはしっかりと伝わったらしい。大きな目がさらに見開かれ、ハの字だった眉毛が上にあがる。
「ほんとに!? やった……じ、じゃあ俺、明日のお昼ここに来るね」
「ちょっと待て。どこで食べんの? うち、他校の生徒は入れないけど」
「あー……そっか。それなら、学校の前の公園はどうかな」
諦めさせるのに成功したかと思ったが、そう甘くはなかった。
うちの校則は緩いから、休憩時間に外に出てコンビニに行っても特に何も言われない。真面目な生徒が多いおかげで、校則が緩くても問題が起きないからだ。
学校の前にある公園はそこそこ広く、ベンチが二箇所設置されている。だから、たしかにあそこで昼飯を食べるのは難しくない。
「……昼休みの時間、同じなのかよ」
「こっちは十二時半から。碧くんは?」
「同じだ……」
時間も場所の問題もクリアしてしまったとなると、もう他に言い訳は思い浮かばない。
「よかった。じゃあ明日、絶対に来るから忘れないでね」
「もうわかったって。うるさいな」
それから、俺達は二人で駐輪場まで一緒に行動した。というより──高松が勝手に後ろをついてきただけだが。
困ったのは、電車の中でも話しかけられたことだ。出会って間もないというのに、初対面の相手とここまで会話したのは人生で初めてだった。
まるで本当の友達みたいに、隣同士に置いてある自転車を同時に引き出す。
「明日また会おうね」
「何回言うんだよ」
「へへっ。碧くん、ばいばい。またね!」
「ああ……」
一軍の陽キャなのに、俺と仲良くなろうと必死な姿がひどく滑稽に思えて、少し面白かった。


