会計をしに店の奥のレジへ進むと、レジの隣の壁に黒板が飾られていた。
無人駅の寂れた黒板の伝言板とはまるで違う。ナチュラルテイストなお店に馴染む可愛らしい黒板だ。その黒板には夜カフェに来たお客さんたちが思い思いの言葉を連ねていた。レジから店員さんが顔を出した。
「良かったら店に来た記念に、その黒板にスープの感想でも書いて行ってね!ぜひぜひ!」
並んで立っていた新見駅長と顔を見合わせた。
「私たち、黒板に縁がありますね」
「そうですね。何か書きますか」
「もちろんです」
会計を終えてから、私は黒板にじっくりとミネストローネの感想を書いた。熱が入り過ぎて勢いの良い文章になってしまったのを見ながら、新見駅長は小さく笑った。
「そうやってあの文字たちは書かれていたのですね」
「は、恥ずかしいのでじろじろ見ないでください……」
じっとり視線を送ると新見駅長はすみませんとまた微笑んだ。
黒板にはミネストローネを褒めちぎった感想を書いた。すると喜んでくれた店員さんが私を奥へ引っ張って行った。
「感想いっぱい書いてくれてありがとう!サービス券あげちゃう!こっちきて!」
奥でしばらく店員さんと話してから、ふと気がつくと、新見駅長の姿がなかった。店内を見回しても背の高い男性はいない。
「先に帰っちゃった……?」
もうここまで来れば、私はどうとでも家に帰れる。私はきょろきょろしながら足早に店を出ようとした。
だが、私の視界にふと、見慣れた文字が入った。
まるで字に呼ばれたかのように、先ほど書き込んだ黒板に目が留まる。
黒板には几帳面で、角張っていてハネが強い筆跡。
文字を見ればわかる、新見駅長の書き込みがあった。
『次は、朝食をご一緒していただけませんか』
私は綴られた言葉を読んで、とっさに駆けだした。店のドアを勢いよく開けてしまったので店員さんが何事かと見つめていた。だが構っていられず飛び出す。
小雪が止んだ深夜はまだまだ寒いが、雲の合間から月が光り始めていた。薄い月明かりの下、私はマフラーも巻かずに新見駅長の車を目指した。
街灯に淡く照らされた車の前で、新見駅長が待っていた。私は走って荒くなった白い息をつきながら、一歩一歩と新見駅長に近づく。
伝言板を挟まずに、彼の真正面に立った。新見駅長の切れ長の瞳に街灯の灯が映って揺れる。私は彼に向かってゆっくり口を開いた。
「もう一つ、どうしても聞きたかったことがあります」
彼は低い声でどうぞ、と短く言った。私は白い息とともに問う。
「新見駅長が伝言板に書き残した電話番号は、仕事用ですか」
新見駅長は首を横に振った。
「いえ、プライベートのものです。凛子さんの声を聞いてみたくて……書いてしまいました」
私は胸の高鳴りを抑えきれず、笑みがほろりとあふれ出た。
「また電話してもいいですか。朝食の予定を決めたいので」
新見駅長は私と同じようにあふれ出た笑みを噛みしめて、頷いた。
深夜の三月の風が私の頬を撫でる。
凛と冷たいはずなのに、なぜかほのかに春の気配がする風を招くように、彼が助手席のドアを開けてくれた。
〈了〉
無人駅の寂れた黒板の伝言板とはまるで違う。ナチュラルテイストなお店に馴染む可愛らしい黒板だ。その黒板には夜カフェに来たお客さんたちが思い思いの言葉を連ねていた。レジから店員さんが顔を出した。
「良かったら店に来た記念に、その黒板にスープの感想でも書いて行ってね!ぜひぜひ!」
並んで立っていた新見駅長と顔を見合わせた。
「私たち、黒板に縁がありますね」
「そうですね。何か書きますか」
「もちろんです」
会計を終えてから、私は黒板にじっくりとミネストローネの感想を書いた。熱が入り過ぎて勢いの良い文章になってしまったのを見ながら、新見駅長は小さく笑った。
「そうやってあの文字たちは書かれていたのですね」
「は、恥ずかしいのでじろじろ見ないでください……」
じっとり視線を送ると新見駅長はすみませんとまた微笑んだ。
黒板にはミネストローネを褒めちぎった感想を書いた。すると喜んでくれた店員さんが私を奥へ引っ張って行った。
「感想いっぱい書いてくれてありがとう!サービス券あげちゃう!こっちきて!」
奥でしばらく店員さんと話してから、ふと気がつくと、新見駅長の姿がなかった。店内を見回しても背の高い男性はいない。
「先に帰っちゃった……?」
もうここまで来れば、私はどうとでも家に帰れる。私はきょろきょろしながら足早に店を出ようとした。
だが、私の視界にふと、見慣れた文字が入った。
まるで字に呼ばれたかのように、先ほど書き込んだ黒板に目が留まる。
黒板には几帳面で、角張っていてハネが強い筆跡。
文字を見ればわかる、新見駅長の書き込みがあった。
『次は、朝食をご一緒していただけませんか』
私は綴られた言葉を読んで、とっさに駆けだした。店のドアを勢いよく開けてしまったので店員さんが何事かと見つめていた。だが構っていられず飛び出す。
小雪が止んだ深夜はまだまだ寒いが、雲の合間から月が光り始めていた。薄い月明かりの下、私はマフラーも巻かずに新見駅長の車を目指した。
街灯に淡く照らされた車の前で、新見駅長が待っていた。私は走って荒くなった白い息をつきながら、一歩一歩と新見駅長に近づく。
伝言板を挟まずに、彼の真正面に立った。新見駅長の切れ長の瞳に街灯の灯が映って揺れる。私は彼に向かってゆっくり口を開いた。
「もう一つ、どうしても聞きたかったことがあります」
彼は低い声でどうぞ、と短く言った。私は白い息とともに問う。
「新見駅長が伝言板に書き残した電話番号は、仕事用ですか」
新見駅長は首を横に振った。
「いえ、プライベートのものです。凛子さんの声を聞いてみたくて……書いてしまいました」
私は胸の高鳴りを抑えきれず、笑みがほろりとあふれ出た。
「また電話してもいいですか。朝食の予定を決めたいので」
新見駅長は私と同じようにあふれ出た笑みを噛みしめて、頷いた。
深夜の三月の風が私の頬を撫でる。
凛と冷たいはずなのに、なぜかほのかに春の気配がする風を招くように、彼が助手席のドアを開けてくれた。
〈了〉
