新見駅長の別れの挨拶が書かれた伝言板の前で、私は冷たい風に震えた。
駅舎の中の公衆電話の前へ戻り、一度深く息をついてから受話器を手に、新見駅長が書き残した電話番号を一つずつ回す。
キャッシュレス決済に慣れた財布の中の小銭はまた心許なく、40円ほどだ。両替もできない。短い電話で的確に助けを求める必要がある。
耳元でコールが三回鳴り、相手が出た。
「はい、新見です」
初めて聞く新見駅長の低い声に、耳の奥が痺れた。彼の声にあまりに温度があって、頭の中で用意していた台本が真っ白になってしまう。喉に息が詰まって黙ったままいると、新見駅長が訊ねる。
「……もしかして、凛子さんですか」
思いがけない問いかけに驚いて、私の口が勝手に話し出した。
「そ、そうです。凛子です。あの」
もう口が先に話してしまっていて、何を話しているのか理解が追いついていない。
「私、いつも伝言板で。実は終電を逃して、今、駅にいて」
「今、駅に?」
新見駅長の声が途中でぶつりと切れた。事情を説明しようというところで、40円が尽きたのだ。
受話器はツーと無機質な音を立てる。額にかいた汗は高揚で熱くて、同時に失敗した気持ちで冷たかった。
なんて支離滅裂な伝言なのか。あれでは何も伝わらなかった。
新見駅長の声を聞いて、文字から現実になった彼に体全部が操作不能となってしまったのだ。私は受話器を戻し、駅舎の脆い壁にもたれてずるりと座り込んだ。
「何のために電話したんだか……」
駅舎の外では静かに雪が降り始めていた。私はもう、深々と降る雪を見上げることくらいしかできなかった。
