その夜、久々に同僚からSNSでメッセージが入った。
 内容は「元気?」から始まり、嫌いな先輩のこと、けんかしている彼氏のことについて書かれていた。
 相変わらずだなと思っていると、最後の一文に、高坂さんが心配していたよと一言あった。


 高坂さんは会社の上司にあたる。
 私が好きだった人、そして失恋した人。


 私より八つ年上で、だけど無邪気な少年の瞳を持っている人だ。
 いつも気遣ってくれて、私はいつも甘えていた。奥さんがいることを知ってはいたが、否応なく、惹かれた。
 私は性格上、あまり人を好きにならない。だから自分を止めることなど出来なかった。
 久しぶりに人を好きになり、相手のことなんておかまいなしで、気持ちだけが先へ行って。



 それから、失恋したのだ。



 休職した原因の一つだと、一応は認識している。
 一変に色んなことがふりかかったのだと私は思っている。

 私は縁側に出て、夜空を見上げてみた。
 都会の空とは違い、いつか落ちてくるんじゃないかと思ってしまうほど、まばゆい光が一面に瞬いていた。






 しばらく雨の日が続いていた。
 今日は結構な大降りで、祖母と二人、何をするでもなく過ごしていた。

 庭の花たちに水を与える必要はなく、なんとなく縁側で雨に打たれている花たちを見ていた。
 葉から葉へ落ちる雫をみていると、みんなでバケツリレーをしているように見える。


「ここの生活は慣れた?」


 居間で、テレビを見ていた祖母が私に声をかけた。


「うん」

「そう」


 祖母は、祖父に先立たれてから、一人でこの家に住んでいる。
 私が幼い時に亡くなったため、私は祖父の顔がわからない。

 祖母は南国特有の浅黒い肌をしていた。花柄の、少し派手なブラウスと布の動きやすいズボンを好んで着る。
 祖母は太陽の匂いのする人だと、私は昔から思っている。


「……ねえ、おばあ。私ってどんな子に見える? 会社の人に言われる私と、学生時代の友人に言われる私では、イメージが違うみたいだから」

「昔と今が違うってことよねぇ」

「うん」


 祖母が私の話を聞きたそうにしていたので、私はそれについて話してみた。

 学生時代、私はかなりの行動派で、自分が決めたことは突き通さないと納得できなかったので、すぐに怒るし気が短かった。
 キツイ女だとみんなは笑って言った。それから、意志の強さは並々ならぬものがあったと言う。

 一方、現在会社を中心に過ごしていた私は、愛想のいい、気の優しい人だと思われ、キツイ女なんて言われたことがなかった。
 ただ、私は優柔不断になり、自分の意志が分からなくなってしまっているように感じるのだ。


 私は疑問に思っている。
 今の私になって良かったのかと。



「そうねぇ。若いときはたくさん悩むもんよねぇ。今のあなたは、昔、あなたがなりたいと願った姿なのかもしれないわねぇ。あなたは手に入れた。それはすごいことよ、努力をちゃんとしたから。でも、自然が一番よねぇ」


 雨は、私の思考を中断させる。
 昔からそうだ。ただ祖母の言葉が流れてくる。


「世の中に飲み込まれそうになる。世の中は広いからねぇ。でも大丈夫。あなたが自然にしていれば。大丈夫さぁ……」


 祖母はいつの間にか、私の隣に座って、そっと手を握ってくれた。
 しわくちゃの骨ばった手。温かい手。
 辺りは雨の音だけに支配されていて、しばらく二人で佇んでいた。






 雨が上がった次の日、学校が休みだと言っていた太助がやってきた。
 今日はどうやら秘密の場所へ連れて行ってくれるらしい。
 私はデニムのパンツを穿き、上着を羽織って、動きやすい格好で外へ出た。

 今日はいい天気だ。やさしく風が吹いていた。
 太助は久々の快晴にはしゃぎ、早く早くと私を急かした。
 そこへは歩いて行けるらしかった。太助は海と反対の方向に、つまり山側へと足を向けた。

 まず、山の入り口に着くと、猟をする人や、山菜なんかを取りに行く人しか使わないような獣道の方へ、彼は進んでいった。
 土は、ここを使用する人間が踏みしめ続けていたことがわかるように、固まっていて、自然の道が出来上がっていたが、周りを覆う、木々や雑草がすごかった。
 都会ではけして見ることが出来ないくらい、頑丈で丈夫な葉が生い茂っていて、もちろん色んな虫も飛んでいた。

 時折、刺されたんじゃないかと思う感触があったりする。
 しかし、雨の後だからといって、じめじめしている訳じゃない。昔から感じているこの島の不思議だ。

 先頭に立って歩いている太助は、そんな山の自然をものともせず、頭上を覆っている、歩くのに邪魔な木の枝や、下から生えている雑草を、手にしている木の枝でなぎ払っていた。

 子供は元気だ。体をいっぱいに使って歩いている。その姿はとてもエネルギッシュだ。
 私は会社と家との往復で、普段歩く事が少なかったため、この道は結構堪える。
 前にいる太助はずんずん山道を歩いてゆく。
 自分の行きたい場所へ向かって、ただひたすら向かっていく。

 私は小さな太助になかなか追いつく事ができず、どんどん離されていった。
 頑張ってついて行こうとしているのだが、息が上がって、もう苦しかった。
 木々に覆われた山道、日中なのに光は半分程度しかない。
 聞えてくるのは自分の弾む息と、遠くから聞える鳥の鳴き声だけだった。

 私はそれに気がつくと、とたんに背筋からぞわぞわっとした感覚に支配された。
 それはひやっとした冷たい感覚。


「太助!」


 私は幼い背中へ向かって叫んでいた。
 いてもたってもいられなかった。
 太助はびっくりした顔でこちらを振り向いていた。