何週間ぶりの登校だろう。


久しく着ていなかった制服のブレザーが、仕事の衣装のような感覚。


僕の横を通り過ぎる人たちは、僕なんかよりテレビで活躍している人ばかりなのに、〝光くんだ…〟なんて言葉を溢して行く。


芸能の学校は、仕事が入るとそちらを優先することを簡単に許してもらえるので、仕事に集中できて有難い。


本当は地元の高校に進学希望を出していたけど、これからのことを考えて、地元の高校はやめた方が良いと森下さんに言われた。

勧められたのは、今通う芸能の学校で、地元の友達と会えなくなるのが寂しくて納得行かなかったけど、今はこれで良かったと感謝している。




「光くん!CM見たよ!」


「雑誌買ったよ!ついに表紙デビューだね!おめでとう!」




クラスに着くまでに何度も呼び止められて、危うく遅刻しそうになるほど。それくらい認知度が上がったことを自覚させられて、嬉しい。


ようやく来れた学校だけど、授業は当たり前についていけず、1日オフだから来たけど、早速帰りたい。

ようやく長い4時間が終わって、お昼ご飯の時間、仕事で忙しいとご飯の時間もバラバラで、食べない日もあるからお腹も空いてないし、中庭のベンチで寝ることにした。




「ゆっくりし過ぎて、気持ち悪いな」



仕事をしていると、休むのが怖くなる。それだけ忙しくさせてもらっているわけで有難いんだけど、授業も頭に入ってこないし、もう帰ろうか。


ベンチに寝そべって、昼からの授業をどうしようか悩んでいると、僕の目の前に立ちはだかる何かが影を作った。




「ん?」


「君、奥永 光だよね」


「…はい」




僕の名前を聞いておいて、名乗ってこない男子生徒。




「君は?」


「俺の事は良い。今は君の話だから」




顔も見たことないけど、僕だけ名前知られてるの、不公平で失礼。


体を起こして畏って膝をくっつけて座り直すと、名乗らない男子生徒は、空いた席に大きく足を開いて座った。



「奥永くんって呼ばせてもらうけど」


「あ、どうぞ」


「奥永くんって演技、下手だよね。前から言いたかったんだけどさ、勘違いだと良いんだけど仕事だけは多いから、売れっ子だとか思ってないよね?」


「……は?あの、初対面ですよね?」


「ええ」



そういう君は、売れっ子なのかな?僕の演技を評価してもらえるのは、貴重なこと。でも、正体も分からない人に突然酷評を受けるのは、さすがに眉間に皺が寄る。



「別に売れっ子だとか、調子に乗ってるとかはないです。頂ける仕事があれば、一生懸命こなしてるだけなんで。名前を名乗りもしない、礼儀のない失礼な人には言われたくないです」


「名乗るほどのものじゃないから、名乗らないだけ。それに俺は、仕事のあるなしの話をしてるんじゃなくて、演技が下手っていう話をしてるんです」


「演技が…、下手……。そういうあなたは、」




芸能の学校に在籍しているのに仕事がない人で、僕に嫉妬しているのかも。そう思って、言い返そうとした。でも、ここで言い返したら惨めな言い合いになってしまうかも。


言い返す言葉の続きは出ることなく、首を折って下を向くと、鼻の先でフンッと笑う声が聞こえた。



「テレビで奥永くんを見るたびに、気分が重くなるの。あんな演技で、よく賞なんて獲れたよね」




ドラマ自体も評価されて、僕自身も評価されたはずなのに、久しぶりに来た学校で、話しかけられた見知らぬ人に演技を酷評され、言い返すこともできずに中庭のベンチで1人考え込む。


がむしゃらに頑張っていたけど、それだけでは報われないんだろうか。怒りや憎しみではなく、自分に対する悲哀感だけが湧いてきた。



〝演技が下手〟〝あんな演技でよく賞なんて獲れたよね〟



僕に向けられた棘がどんどん体を巡り、息もできなくなるほど染み渡る。


昼休憩も体感一瞬で、チャイムが鳴っても立てる気力もなかった。



〝凛ちゃん、今どこ?〟



学校に1日滞在できず、凛ちゃんに迎えにきてもらうことにした。先生には、急な仕事が入ったといえば帰らせてくれる。



〝着きました。校門前に停めてます。校門まで来れますか?道分かります?〟


今はそんな凛ちゃんの冗談にも、付き合うほどの余裕はない。



停まっていた車に乗り込み、無表情でドサっと座り込むと、助手席に居た凛ちゃんはそんな僕に気づき、誰かと電話しながらチョコを渡してくれた。



「ありがと…」



事務所まで30分。着くまで電話が耳から離れなかった凛ちゃん。話を聞いてもらおうと思ったけど、そんな時間もなかった。


事務所にはいつものように誰も居なくて、静かな空間があるだけ。



廊下も広場も当然のように静かで、今の僕には辛い。誰か1人でも居て騒いでいてくれると、気が紛れるのに。




暇つぶしにもならないけど、広場で凛ちゃんの電話が終わるまで待つことにして、さっきもらったチョコを口に入れる。


甘くて落ち着く味。ピリピリしていても落ち込んでいても、チョコを食べると和らいで、心にほんの少しの余裕ができる。


今日はその余裕もできないほど落ち込んでいるからか、チョコを食べても何も変わらなかった。




「しんどいって…」




他人にあそこまで言われると、傷つく。賞をもらったから、演技は下手ではないと思い上がっていたのかもしれない。


事実を指摘されて、現実に戻されただけ。そう思うほど、傷がえぐられるように辛く、頬を温かいものが伝った。



やっぱり森下さんの反対を押し切って、地元の高校でのんびりすれば良かった。


今後悔しても、できた傷は戻らない。受けた言葉も心に刺さったまま。




「あ、光じゃん!」




かけられた声に、涙を流していたことも忘れて顔を上げると、マネージャーと歩く崇矢さんが居た。




「…え、泣いてる?」




聞き慣れた、低いとも高いとも言えない、でも男の人にしては高めの陽気な声。聞きたい声が聞けて、何も考えずに顔を向けてしまった。


指摘されて、泣いていたことを思い出し、隠れようと広場を離れる。でも広場から事務所に向かう廊下に居たから、逃げる隙もなく。



「おい!逃げんなって」



振り解くも、しっかりと腕を掴まれてしまった。


足を止めるけど、崇矢さんの目は見れなくて床を見る。見られてしまった涙を今さら隠そうとしてるけど、下を向くから溢れてきてしまう。




「何があったか、お兄さんが聞くから。とりあえず座ろ」



隣に居た崇矢さんのマネージャーも、涙を拭っている間に居なくなり、僕と崇矢さんだけがこの広場に居る。



「マネージャーさんは」


「別のやつの仕事についてくからって、どっか行った」


「崇矢さん、仕事は…」


「他人の心配してないで、自分の心配しろよ」




確かに。こういう時って自分のことでいっぱいなはずなのに、何故か周りがよく見えるようになる。


崇矢さんに頭を小突かれ、〝すいません〟と小さく溢すと、小突かれたところを軽く撫でられた。痛くないから、いいのに。



「で、どうした?」



また泣いてしまいそうな、優しく包み込まれるような柔らかい声に聞かれる。


学校での一連の記憶が呼び起こされるのは苦しいけど、僕が泣いていた理由を話さないといけない。


時々詰まってしまい、崇矢さんに背中を摩ってもらいながら、何故僕がここで泣いていたのかを話した。



「なるほどな…」



崇矢さんも、名前も知らない男子生徒と同じ意見なのかもしれない。


頑張ってるなんて、もう自信を持って言えないし。



崇矢さんの次の言葉を聞くのが怖い。強く目を瞑って、衝撃に耐えようとした。




「俺もそうだったわ」



遠い過去のように、どこかを見つめて懐かしむ崇矢さん。違う衝撃だった。




「崇矢さんも?」


「CMとかドラマの脇役とかで出してもらえるようになった頃って、ちょっと自信がついてくる頃なんだけど、それと同時に蹴り落とされやすい時期なわけよ」


「蹴り落とされる…」




ドラマの撮影中に、先輩に指摘を受けるのは、何ともない。むしろ指導してもらえて有り難いくらいだ。


蹴り落とされるっていう表現は、多分視聴者や俳優仲間、身近な人間のことだろう。



「馬鹿にされて悔しかったな。自信なくしたけど、俺の場合はドラマに参加できることが楽しかったし、がむしゃらに頑張るっていうよりは、毎回ウキウキしてた」



ウキウキ。僕にはない感情だ。がむしゃらに頑張って、その場を楽しむっていう考えはなかった。


僕が、崇矢さんの仕事の時の姿勢が苦手なのは、僕と仕事の仕方が違うから。楽しんでいる姿が、僕には浮かれているように映って、苛立ったんだ。



「あの時、俺のことを罵倒してきたやつは、今でも許せないけど、それがあるから這い上がって来れて、今ドラマの主演を沢山させてもらえてる。そういう壁はきつくて辛いけど、乗り越えられそうなら、踏ん張ってみたら?新しい景色が待ってるかも」



僕も、がむしゃらよりウキウキを優先させたら、乗り越えられるだろうか。結果がついてくるだろうか。




「僕には…。あの言葉が棘で、」


「そう言うやつは、どうなんだと思う?あいつの単なる僻みだとしたら?」


「僻み…」


「何を言われようと、受け取り方は自分次第だし。僻みだって思えば?まぁ事実なこともあるから、少し立ち止まって見直してみるのも、ありだと思うけど。ちなみに俺は光の演技、結構好き」



耳を赤くしてはにかみ、〝俺で良かったら話くらいは聞くから。〟と付け足されると、崇矢さんに褒められたのが小っ恥ずかしくて、僕まで耳と顔を赤くした。




「ありがとうございます。恥ずかしいところを見せちゃいましたね」


「良いじゃん。頑張ってるってことだろ?」




言われたことが事実かどうかは、見知らぬ男子生徒しか知らないこと。でも崇矢さんは、僕の演技が好きだと言ってくれた。


それだけで、棘は薄くなった。



思い上がらずに、日々勉強をして演技力は磨いていきたい。今の僕には、その思いだけで十分なのかもしれない。


そう思うことにした。




「あんま思いつめんなよ。光らしく居れば良いから」




腕あたりの服をギュッと掴まれると、そのまま引き寄せられて体がふらつき、顎が崇矢さんの肩にスポンとハマる。


崇矢さんに抱き締められてる。慰めとは知っていても、その温もりが嬉しくて心地よかった。



控えめに背中に手を回すと、髪の毛をわしゃわしゃと乱されて、それが嬉しくて強く抱きつく。




「泣け泣け。いっぱい泣け。俺の前だけで泣いたら良い」


「もう泣いてないんですけど…」


「…泣け!」


「泣けません(笑)」




広場の隅で凛ちゃんに見られていたことにも気づかず、崇矢さんに相談して良かったと抱き締められながら、そんなことを考えていた。



僻みを言われても、僕の演技が下手であっても、僕が楽しんで仕事をできたら、きっと結果がついてくる。


そう信じて、崇矢さんの腕の中で感謝を伝えると、〝いつか俺の腕の中で思いっきり泣け〟と僕を泣き止ませたかったようで、まだ引きずっていた。