ニワトリ首から崇矢さんに呼び方が変わり、僕と崇矢さんに何か進展があると、ほんの少し期待をしていた。
でもあのライブ配信から1ヶ月、何の進展もなく、崇矢さんに全く会えていない。あの人、忙しいからな。
ドラマ主演が続くと、バラエティに呼ばれる機会も増えるし、とにかく休む暇がない。
それは、同時に凛ちゃんも忙しくなるという意味も含んでいて。
「奥永さん!お久しぶりです!私のこと、忘れてないですよね?」
「もちろん。僕の〝サブマネージャー〟ね」
「サブはやめてください!芳賀さんがメインですか?元々は私がメインだったんですよ?」
移動車に乗り込んできた途端これだから、耳を塞ぎたくなる。うん、今日もうるさい。
凛ちゃんが忙しくなって、別の俳優にメインで付いていたはずの、元のメインマネージャーの森下さんが戻ってきた。
「今付いてる子は、大丈夫なの?」
「しばらくは、お偉いさんが代わってくれてます」
「じゃあ僕に、そのお偉いさん付けてよ」
「もう代えられません!私で我慢してください」
「…仕方ないか!じゃあ我慢します(笑)」
一先ず冗談の会話をしてから、今日のスケジュール確認をする。いつもの僕たちの流れ。
「奥永さん、疲れてます?」
「そんなことないと思うけど…」
「顔色があんまり良くない気がします。休めてますか?」
森下さん、本当によく気づくな。
実は、休めてない。でもその理由は、森下さんには言えない。理由は崇矢さんだから。
ライブ配信以来会えなくて、寂しいのかもしれない。
布団に入っても崇矢さんのことを考えてしまって、僕の頭の上に置かれた手の暖かみが忘れられない。
「仕事のこと考えると、時々眠れなくなるんだよね。それかな?」
「休む時は、仕事のことは忘れて。仕事に来た時に考えれば良いんですから」
「うん。ありがとね」
森下さんの言う通り、切り替えないと。仕事に集中して、今の忙しさを楽しめば、自然と忘れられる。
「今日は僕、忙しい?」
「めっちゃ忙しいですよ。朝から夜まで、みっちりなんです…。私が倒れそう」
「倒れたら、放っておいてあげる」
「いやいや、助けてくださいよー!」
また冗談を言って森下さんを弄んで、あっという間に目的地に到着した。
「あざっした!」
「ありがとうございます」
移動車を降りて目の前の建物を見上げると、最上階が見えないほど一際高いビルが立ちはだかる。
2人して首が取れそうになるほど上を向いて、呆気に取られた。
「森下さん…、僕ここで仕事するの?1日?」
「そうです…。芸能人にとって夢の舞台、御殿ですよ」
テレビドラマや映画の表彰式に使われる、名の知れたホテル。
今日は、僕が主演の弟役で出演したドラマがノミネートされていて、監督はもちろん、主演の女優さん、僕、その他主要な俳優陣が出席する。
デビューして初めての憧れの舞台。
表彰されたとしてもされなかったとしても、神聖な場の空気を吸えるだけで誇らしい。
朝早くから始まるリハーサルに、夕方からの本番。このホテルに集まる芸能人は大御所ばかりで、緊張の1日になる。
「奥永さんは初めてだと思いますけど、私もここ来るの初めてなんですよ」
「あ、そうなの?じゃあ緊張だね」
「大御所の方への挨拶が、一番緊張します…」
マネージャーは忙しく動かないといけないけど、その中でも俳優とすれ違う時は、仕事の手を止めて挨拶をしている。
ただ挨拶をするだけだけど、挨拶の仕方でもお辞儀の角度に気を遣うから、緊張するらしい。
「僕もちゃんと挨拶しないといけないね」
「本当ですよ!共演オファーのチャンスです!行きましょう!」
深呼吸をして緊張を解き、いかにも高そうなカーペットに足をつけた。
こういうビルに入る時は、大抵裏口から忍ぶように入るけど、今日このビルに居るのは芸能人だらけ。
堂々と正面玄関から入り、カウンターで森下さんが受付をしてくれる。
「奥永 光とマネージャーの森下です」
その間僕は、周りを見ていた。
家が1軒買えそうなほど高級なカメラを抱えた報道陣も居れば、その中に紛れた煌びやかな服を着た芸能人も居る。
もうインタビューを受けている人も居て、その人は表彰の最有力候補と言われている大御所俳優だ。
最近ハリウッドに進出しているらしいし、確実に表彰されるよな。
他にどこを見ても、テレビで見ない日はない著名な顔ぶれで、僕くらいの新人は居ない。仲間外れのクラス会に来た気分。
「すみません、お待たせしました…。奥永さん、どうかしました?」
「うん…。何か、僕がここに来て良かったのかなってくらい、敷居が高い気がするんだけど」
「大丈夫です。堂々としてて下さい」
堂々とね。…できるかな。
この賑わいで、まだリハーサルも始まってないんだから、本番が始まったらどうなるんだと、体が固まる。
「会場に行きましょう。リハーサルが…、芳賀さんだ」
「え、凛ちゃん?どこ?」
森下さんの言葉に瞬時に反応して、〝あそこです〟という人差し指の先を辿る。
白Tシャツにジャケットとフォーマル寄りの服装で、背中を見せる誰かと話し込んでいた。
凛ちゃん、久しぶりに見た。
いつもにこやかで、ほんわかしていて、居てくれるだけで安心する存在。でも今日は、何だか表情が固い。
凛ちゃんもこういう場は初めてで緊張しているのか、いつもの凛ちゃんと違う。
そして背中を向けている人物。
予想はできている。というより、1人しかいない。
「五十嵐さんも一緒ですよ。五十嵐さんの出てたドラマも、ノミネートしてるんですね」
「うん、そうみたい。でも忙しそうだし、声かけるのはやめておこうか」
「奥永さん、喋らなくて良いんですか?念願の芳賀さんですよ?」
「僕にだって、気遣いの気持ちくらいはあるからね」
向こうは2人とも気づいていなかったみたいだし、声をかけづらい緊張感が漂っていた。
凛ちゃんの違和感が、何もなく終われば良いけど。
会場はリハーサルの準備のため、スタッフだらけ。
スタッフをかき分けて僕が座る席まで進むと、会場全体の飾り付けが派手で、どこを見てもキラキラと眩しい光が目に入ってくる。
「もう座るね」
「扉の近くにいますから、何かあったら教えてください」
所々席に着いている人も居て、森下さんに声をかけて僕も席に着いた。
共演した主演の女優さんも席に着いていて、挨拶をすると〝久しぶりね〟と腕に手が触れる。
この女優さんのボディタッチ、苦手なんだった。
気持ちを読まれそうな鋭い目つきをして、口元しか笑わずに体に触ってくる、自分のガードは崩さずに仕掛けてくるタイプ。
近くで挨拶しようと隣に座ったけど、失敗した。
ここで席を離れて、誰かが女優さんの隣に座ってくれるのを待つか。
と思ったけど、ガッチリ腕を掴まれてしまい、逃げ場もなく話し続けられた。
「奥永くんは、付き合ってる人とか好きな人とか居ないの?」
質問が直球だな。デリカシーがない。
「僕はそういうのは…、〝今は〟仕事が面白くて」
「恋は、しとかなきゃダメだよ。そういう経験が演技に活きるって言うし」
「考えときます。アドバイス、ありがとうございます」
〝今は〟って言ったけど、まず恋愛に興味がないのに、好きも付き合ってるもない。
ベタベタと触ってくる人は特に嫌いだし、寒気がする。
手を振り払うわけにもいかず耐えるしかなかったけど、監督が来てくれたおかげで、僕から監督にシフトして寒気はおさまった。
男なら女の子に触られて嬉しくなる人が多い中、僕はその場から逃げ出したくなるほど、人に触られるのが怖い。
正確には、女の人に触られるのが怖いのかもしれない。
崇矢さんは、嫌じゃなかったし。肩を組まれても頭を撫でられても嬉しくて。でも仕事に対する姿勢は、嫌い。
「僕って、ただの我儘なのか…?」
自分の性格の悩みで頭がいっぱいで、気づいたらリハーサルが始まろうとしていた。
「光くん、久しぶりやね」
「お久しぶりです。お疲れ様です」
「最近いろんなとこで光くん見るから、誇らしいわ」
「そんなそんな…、ありがとうございます」
共演した先輩の俳優さんにも挨拶を軽くして、椅子に座り直して気を引き締める。
本番でも司会をするアナウンサーが話し出して、ディレクターやプロデューサーが慌ただしく動きの確認をしていく。
僕たちは、どのドラマや映画が入賞するか知らされていないため、ノミネートされた全部の作品が呼ばれた設定で、ステージに順番に上がる。
「ステージに上がっていただいて、みなさんの入りと捌けを確認したら、本番までは控え室での待機をお願いいたします」
僕らの席は最前。席順でリハーサルをすると言っていたから、僕らからだ。
案内をしてくれるディレクターに連れられてステージに上がり、横1列にどういう順番で並ぶか、代表で誰が話すのか、確認を素早く行う。
僕が立つ場所は上座から4番目。主演の女優さんから並び、両親役の女優さんと俳優さん、そして僕だ。
「ありがとうございました。ではそちらから降りていただいて…」
ステージを降りるとみんな好きな場所に散り、タバコを吸いに行く人も居れば、ご飯を食べに行く人も居る。
僕は、凛ちゃんに構いに行こうかな。
扉の近くに居る森下さんを遠くに見つけると、携帯を耳に当てていて、真剣な表情で誰かと電話している。
森下さんは仕事の電話に出ると、分かりやすく表情が険しくなる。
電話の相手が苦手なのか、そもそも電話が苦手なのか、理由は分からないけど、電話の直後に話しかけると不機嫌に僕を突き放すので、森下さんはそっとしておこう。
ふらふらと会場を歩き回り、凛ちゃんを探す。
崇矢さんを待っているだろうから、会場には居るはずなのに、全然見つからない。
まだ電話をしている森下さんの横を通り過ぎ、会場を出ると、すぐの廊下で壁に手をついて俯いている凛ちゃんを見つけた。
「凛ちゃん!…大丈夫?」
あの時の違和感は当たっていて、僕の声に反応して真っ青の顔を向けた。
目も虚ろで、返事をするのも辛そう。
「光さん…」
「歩ける?肩貸すから、」
ここは返事を待っている場合じゃない。有無を言わさず凛ちゃんの腕を僕の肩にまわし、救護室に急いだ。
廊下ですれ違う人は、凛ちゃんの体調不良に気づかずに走っていたり、時々僕と凛ちゃんの顔をチラッと見るだけの人もいる。
みんな自分のことで精一杯だよな。
あんな大人数の芸能人に対して、それを支えるスタッフは倍以上居るのに、まだ人が足りないって言うんだもん。
バタバタと走り回るのは、当たり前だ。
「ごめんなさい…。私なら、大丈夫、なので」
「大丈夫じゃないでしょ?歩けてないじゃん。リハーサル終わって自由時間だから、気にしないで甘えてよ」
「でも、森下さん…、きっと探してます」
「あ、忘れてた。…あとで電話する。今、機嫌悪いから」
今頃、会場に僕の姿がなくて焦ってるかもしれない。でも森下さんなら、話せば分かってくれる。
救護室に急ぎたい焦る気持ちを抑えて、時々足をもたつかせながら歩く凛ちゃんの歩幅に合わせる。
「もうすぐだからね」
「はい…」
もうすぐ救護室に着く頃、窓を開けてタバコの煙を吐き出している、白衣を着た白髪の男性を見つけた。
「先生!」
「はいはい、中入って」
暇そうに目の焦点を合わせずに吸っていたから、治療も中途半端な人ならどうしようと思っていたけど、まだ半分以上残っていたタバコを吸い殻入れに捨てて、すぐに部屋に入ってくれた。
目つきもタバコを吸っていた時のトロンとした目から、キリッとした目つきに変わっている。
「お願いします」
「顔真っ白だねー。はい、そこのベッドに寝転んで」
凛ちゃんをベッドに寝かせ、僕も近くにあったソファに腰掛ける。
先生は血圧と脈拍を測り出し、〝違うか…。貧血か?脱水か?〟と独り言を連発させている。
「君はここに居ても大丈夫なの?今リハーサル中でしょ」
「いえ、僕は終わったんで。近くに居ます。でも電話だけ…」
森下さんに何も言わずに出てきてしまったので、電話を入れておかないと。
「…あ、森下さん?今リハーサル終わって、救護室に居るんだけど…。あー、僕じゃないから、大丈夫。悪いんだけど、崇矢さんのリハーサルが終わったら、救護室に来るように伝えてくれない?…森下さんはそこで待ってて」
電話越しに聞こえる叫び声に、周りに迷惑かけてるなと後悔しながら、でも森下さんに伝えないとどうしようもなかったし、落ち着かせて電話を切った。
「凛ちゃん、崇矢さん呼んだから。リハーサル終わったら来るからね」
「来なくて良いのに…。すぐに行かないと、」
「ダメだよ。今は凛ちゃんが動くと、僕が困る」
先生が、凛ちゃんが青ざめている原因を全部調べてくれて、熱だと分かった。
微熱で断定はできないけど、多分数日続いているのではないかという。凛ちゃんに聞くと、頷いた。
「点滴するから。それできっと良くなるよ」
「すみません…」
「仕事が忙しくても、自分の体は大事にしないと」
「はい…」
怒られているわけでもないのに、やけに拗ねる凛ちゃん。
仕事を抜けているのが、そんなに後ろめたいんだろうか。
「そんなにマネージャーって、忙しい?」
「崇矢さんが大事な時だから、ちゃんとサポートしないとって思ってて…」
「でも凛ちゃんが元気じゃなかったら、サポートできないじゃん。しんどいならしんどいって言ってよ」
「言えるわけないです。私たちより大変なのに」
「僕も崇矢さんも、凛ちゃんが元気じゃないと心配で、仕事、手につかないよ?」
「…じゃあ、元気になります」
仕事が大変でも、体が元気じゃないと何もこなせない。
マネージャーが居なくても仕事はできるかもしれないけど、陰で支えてくれている存在は、大事にしないと。
どうにか納得してくれた凛ちゃんに、僕もほっと胸を撫で下ろしてソファにまた座ると、廊下から誰かがこちらに走ってくる足音が聞こえた。
きっと崇矢さんだ。
入ってくるであろう扉を見ていると、勢い余って前に転けそうになりながら、崇矢さんが息を切らせて部屋に入ってきた。
「静かに入ってきなさいな」
「凛…!」
先生の注意も無視して、視線は凛ちゃんにだけ向いている。
こういうとこ、嫌い。
まずは、先生に感謝でしょ。診てくれて治療してくれてるんだから。
「崇矢さん…、ごめんなさい。迷惑かけて」
「凛が救護室に居るっていうから、何事かと思ったよ…」
「光さんが、連れてきてくれて」
「光が?…光。ありがとな」
「お礼なら、僕じゃなくて先生に…」
先生にお礼を言わないのが気に入らなくて僕が謙遜すると、僕から先生に目線が移って、〝あざます〟とニワトリ首でお礼を言った。
ここでもニワトリ首は、変わらないんだな。
「微熱があるみたいだから、点滴してます。終わったら帰って良いからね」
寝ている凛ちゃんの肩に優しく触れると、〝じゃあ私はタバコに…〟と、先ほど半分以上残したタバコの続きを吸いに、部屋を出て行った。
崇矢さんは、凛ちゃんと一言二言会話をすると、僕が座っているソファに腰掛けてきた。
点滴が終わるまでだいぶ時間がかかるけど、それまで3人で居るの?
チラッと崇矢さんを見ると、腕を組んで眉間に皺を寄せていた。
「崇矢さん?どうかしました?」
「うん…。凛が体調悪いの、知らなくて」
「それは仕方ないです。崇矢さんも忙しいんだし」
「忙しいを理由にしたくないんだよ。そんなこと言ったら、凛だって忙しいだろ?それでも、俺のちょっとしたことも気づいてくれる」
確かに。マネージャーはスケジュール管理から、俳優の身の回りの世話から、やることは沢山。そんな中でも小さな変化に気づいて、適切な対処をしてくれる。
でも、マネージャー自身の自己管理に自分たちは関与しない。
崇矢さんの言うように、俳優が忙しいならマネージャーも忙しいのは当然。そこをお互いがどう支え合えるかで、仕事の質が決まる。
「光はすげぇな。凛のこと気づけて。俺なんて、今日ずっと居たのに全然気づけなかった」
「……」
かける言葉が見つからない。
忙しかったのは事実だし、崇矢さんほど忙しい人に周りを気にする余裕がないのは分かってる。崇矢さんもそれは分かってるはず。
だからこそ、下手な言葉はかけられない。
庇うことも責めることもなく、黙ってしまった。
「光?」
崇矢さんに何か言わなきゃ。労いの言葉とか。
これ以上落ち込まないように、何か…。
「おい、光。大丈夫か?」
「大丈夫、です…、」
「…本当に大丈夫か?目、合ってないぞ」
言われてみれば、崇矢さんを見てるのにぼやけてる。瞼が思うように上がらないし、体の力も抜けてきた。
自分の意識とは違う方に体が動き、崇矢さんの肩に頭を預けるようにして、体が着地する。
香水はつけていない、服から香るフローラルな柔軟剤だけが鼻を通り抜け、肩から腕のしっかりとした肉付きさも相まって、妙に落ち着いた。
「光?…光。なぁ、」
「崇矢さん…」
「ん?どうした?」
「肩、借ります…」
崇矢さんの返事を聞く前に、視界は真っ暗になり、心地良い夢へと入ってしまった。



