母親は最後まで茜の名前しか呼ばなかった。それが最後になるかもしれないのに。
 結羅の心は悲しさでいっぱいだった。
 そのまま荷物を置いたままだったが、黒色の高級車に乗り込んだ。運転席以外は、向かい側同士で座る形で広い。
 車を走らせながら伊織は運転している小柄の男性は匠(たくみ)というらしい。

「匠。後でいい、この2人の荷物を引き上げてこい」
「分かりました」

 どうやら、持って来られなかった荷物を後で持ってきてくれるらしい。
 ありがたいが、申し訳ない気持ちになってくる。

「あの……龍崎さん、ありがとうございます。荷物もですが、助けていただいて」

 結羅は改めてお礼を言う。しかし伊織は無表情で足を組んで座っていた。

「伊織でいい。俺は契約として、約束を守っただけだが?」
「そうですけど……お陰で助かりましたので」

 伊織自身は、あくまでも契約上のことかもしれないが、あと少し遅かったら危ない状況だった。心強かったのは確かだ。
 まだ恐怖で身体が震えている。無理もない、実の両親に殺されるかと思ったのだから。
 チラッと隣り座っている茜の方を見る。同じように怖がっているかと思ったら、ジッと伊織の方を睨みつけるように見ていた。腕と足を組みながら。
 そうしたら茜は意外な一言を言ってくる。

「伊織さんでしたっけ? あなたはお姉ちゃんのことをどう思っているの?」
「茜? 急に何を言い出すのよ!?」

 結羅は慌てて止めようとする。そんなことを聞いたら困らせるだけなのに。
 伊織はそれを聞いて「はっ?」と、不服そうな顔をしてきた。

「……そんな無意味なことを聞いて、どうする?」
「別に、気になっただけ。お姉ちゃんに何の感情も持たないの? 恋愛感情とか」