20歳を過ぎたくらいから、街中を歩いている時のヘッドフォンの音が途切れる瞬間が好きになった。
 混雑するBluetoothが、孤独ではないことを教えてくれるから。
 その反対に、音量を耳が痛くなる手前まで上げて、一人の世界になることも好きになった。
 周りの音が聞こえない恐怖と、見えてくる人間の心理に、日々心を躍らせ、休みの日には一人散歩をするようになった。

 好きな食べ物はうどん。脂っこいものに弱くなり、ヘルシーな味を好むようになった。
 夏バテも昔より酷く、夏の間は必要最低限の外出しかしなくなった。体型は高校生の頃に比べると、妙に女性らしくなったし、肌荒れも治りにくい。一気に大人の扉を潜ってしまったような気がして、納得がいかない。

 私には昔から手放せないものがある。それは幼い頃に作った、母に褒めてもらったオルゴール。不器用な見た目に反して、音はしっかりしている。ネジを巻くと、いつでも同じ音で同じ時間が流れる。それがまるで古い記憶を辿っているようで心地いい。
 でも壊れてしまったら、もう二度と同じ音は聞けない。触れようとすると破片が刺さって傷つくだけだ。見た目だってオシャレではないし、部屋の中で浮いている存在なのに、どうしても手放せない。なぜなら、簡単に捨てれてしまったら、大切にしてきた頃の私自身が否定されていることになる気がするからだ。昔の物なんて、持っていても仕方がないのに。

 手放せない物と言えば、もう一つあった。昔の自分自身だ。
 手放す必要がないって?だって自分なのだからって?
 そんなの、綺麗事でしょ。
 私はあの頃の自分のまま、何も成長してないの。20歳を過ぎたのに子供のまま。まるで時が止まっているように感じる。外面だけ大人になって、態度だけ大人になって、本当は母に甘えていた頃のままなのに。必死にバレないように隠してる。大人じゃない私がバレたら、どうなるだろう。その恐怖といつも隣り合わせ。子供の自分なんて、1日でもはやく手放すべきなのよ。


 高校生一年生の頃、私は何者なのか。そう問いかける瞬間が多くなった。
 親しい人の前にいる時の末っ子気質な私が、本当の私なのか。
 みんなから『頼れるおねさん』と言われる私が、本当の私なのか。
 一人でいるときの、堕落した私が、本当の私なのか。

 中学の卒業式の後にみんなで書き合った寄せ書き。
 その中にいた私は、『頼れるお姉さん』だった。
 元気で人当たりが良くて、いつも明るくてクラスの中心。
 派手な見た目にしては学級委員をやったり、部活動では部長を務めた。
 でもそれが、本当に私がやりたかったことかは分からない。
 誰にも分からないし、私も分からない。
 決定的に覚えていることは、職員室でスカートの丈が短いと怒られていた時、「キャラと見た目が合ってないよ」と先生に言われたこと。
 確かに、しっかり者とみんなに思われている私が、スカートの丈を短くして、胸元のボタンを開けていたら変だ。
 「キャラと見た目が合っていない」
 この言葉は、先生が簡単に口にしたものだけれど、私の胸に重く落ちた。
 次の日から私はスカートの丈を長くして、ボタンを閉めた。
 その代わり、休日を過ごす私服が派手になった。

 高校生になっても、その問いは止まらなかった。
 成績が良いと真面目だと思われて、静かにしていると根暗だと思われる。
 私はいつから、真面目になったのだろう。
 私はいつから、派手なものが好きなだと言うことを、隠すようになったのだろう。
 身長が高いと、同学年の中では大人びて見えるのは理解できる。
 口数が少ないと、大人びて見えるのも理解できる。
 けれど私はいつから、『頼れるお姉さん』になったのだろうか。
 

 そんなことを思いながら過ごしていた私にも、唯一本当の自分になれる瞬間があった。
 それは、母の隣にいる時。
 私の母は、ふわふわの毛布を体の周りに纏っているような人で、隣にいるだけで包み込まれているような気分になった。くっつくと、心地よくて眠ってしまうくらいに。

 母親というのは偉大なものだと、大人になってみんなが気がつく。子供の頃の自分は、居て当たり前、やってもらって当たり前だから何かがないと中々気が付かない。
 私の母親も相当偉大なもので、破れたズボンに可愛いリンゴのアップリケを付けて履けるようにした時は、自分のお母さんは魔法使いなんだと、本気で思ったものだ。
 自転車の後ろに乗っていた時なんて、世界で1番自分が速いスピードで進んでいると思ったし、怪我をして「痛いの痛いの飛んでいけー!」と魔法をかけてきた時は、今度こそ本当の魔法使いかと思った。

 母がいた頃の私は、今よりずっと、世界を信じていたような気がする。
 純粋無垢で、ただ、母がいるということだけで強くなれていた。
 突然だけれど、そんな魔法使いであった母と、私の日々を少し振り返ってみようと思う。