「じゃあ、気をつけてな」
「やめてよ、そんなにしんみりとした声で言われると、なんか永遠の別れみたいじゃない」
 美琴は、浪人生活にピリオドをつけ、東京の大学に行くことになった。僕は、彼女を見送るため、駅の改札口まで来ていた。
「ホテルの手伝いで定期的に帰ってくることになるし、また会えるんだから」
 美琴はどこか寂しそうな顔をしていたが、それも当然のことだろう。世界中の誰もがその名前を知っている大都会、東京に行くわけだが、彼女にしてみれば、ほとんど見知らぬ土地に一人で旅立つようなものなのだから。
「あれ、美琴の両親は?」
 周りを見渡しても、美琴を見送りに来ているであろう人は誰もいなかった。ただでさえ、閑散とした駅には、彼女と僕の二人しかいなかった。
「ウチの親なら来ないよ。私が東京の大学に行くの、反対してたから。ずっと地元の大学受けるって嘘ついてたんだもん、そりゃ怒っちゃうのも当然だよね」
 つい先日、僕も美琴が東京に行ってしまうことを知らされたばかりだった。どうやら、そのことを誰にも相談せずに、受験勉強を続けていたらしい。
 周りの誰もが地元の大学に進学するものだと思い込んでいたが、彼女には向こうの大学でやりたいことがあるようだった。
「そういえば、アイツも来ないのか?」
 美琴の両親と僕以外で、ここに来るはずの人物の姿も見当たらなかった。
「彼なら、きっと今頃……」
「今頃……?」
「ううん、何でもない。実家の手伝いで忙しいんじゃないかな」
 彼女が言いかけたことが気になったが、深く問いただすことなく、話を続けた。
「鷲翔、あの約束忘れてないよね?」
「七夕クリスマス、だろ?」
 忘れるわけないさ。だって、あのとき僕は……。
「そろそろ時間だから、行くね」
「うん、向こうでも頑張って」
 電車のドアが閉まった。彼女はドア越しに笑顔を見せていたが、どこか無理して、顔を作っているように見えた。
 美琴を乗せた電車が、ゆっくりと走り出した。僕は、彼女の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

「相変わらず、でっけータワーだな」
 二十歳を迎える年の夏。僕は白瀬グループの七夕パーティーに呼ばれた。
 ホテル白瀬のシンボルとも言える、地上三十階建てのタワーを見上げつつ、パーティー会場である大ホールへと向かった。
 毎年開催されている恒例行事だが、今年は雰囲気が違った。何せ、今回の招待状には「皆様に重要なお知らせがありますので、是非多くの方々に参加していただきたく存じます」の文言があり、例年以上に数多くの関係者が集まっていたのだから。
「それでは、まもなくパーティーの方を開会させていただきます」
 司会者の挨拶とともに、壇上に飛鳥が上がり、美琴も姿を現した。
「本日は皆様に大事なご報告があります」
 マイクを手にした飛鳥が話し始めた。
「私たち白瀬グループは、天宮ホテルと合併し、聖川ホテルとして生まれ変わります。そして私、白瀬飛鳥は、ここにいる天宮美琴さんと婚約することとなりました」
 発表と同時に、会場全体が大きな歓声と拍手に包まれる。
 どうやら正式な合併も、二人の結婚も、四年後に行われるらしく、この段階から発表がされるというのは、かなり異例のことであるように感じた。
 僕は、持参していたカメラのシャッターを切りながら、二人の姿を写真に収めた。
「あの二人、お似合いだねぇ。ホテルも一つになるし、聖川の街にとって明るい希望の光だよ」
どこからともなく、そんな声が聞こえてくる。
 美琴と飛鳥が一緒になることは、僕にも分かっていた。きっと、去年のクリスマスイブに、彼が美琴の家に来たのも、今年の春に美琴の見送りに来られなかったのも、今回の婚約発表の準備が影響していたからなのだろうということも、何となく察していた。
 僕たち三人は、幼い頃から何をするにしてもずっと一緒だった。だから、二人はそういう運命にあるのだろうとずっと思っていたし、それが理由で、毎年彼女と会うことに対して少し後ろ向きだった。
 高校に進学してから、飛鳥は僕たちと異なり、理系のクラスを選択したため、それ以来僕と飛鳥が顔を合わせることはなくなった。一方で、美琴と飛鳥は親どうしの繋がりも強かったし、頻繁に会っていたことだろう。けど、美琴が二十歳になるタイミングに、このような形で自分の予想していた結果が知らされることになるとは、想像もしていなかった。
「それでは、式典の方は以上となります。残りのお時間は、ごゆるりとディナーをお楽しみください」
 多くの人々が華やかなドレスを身にまとい、優雅にディナーショーを楽しむ中、完全に僕だけが場違いである気がしていた。
 ふと視線を投げた方向には、大きなケーキが置かれていた。そういえば、今日は美琴の誕生日パーティーも兼ねているんだったな。
 天宮ホテルでは、毎年クリスマスだけでなく、七夕の夜にもケーキが作られ、彼女の誕生日が盛大に祝われる。ケーキの上に乗っているイチゴは、去年彼女とのケーキ作りにも使ったものと同じように、今回も屋上菜園から採ったものを使っているのだろう。
 さてと、「重要なお知らせ」も終わったことだし、もうそろそろ帰ろうかな。そう思った矢先、美琴と目が合った。
「なぁーに、しょげた顔してんのよ」
 彼女がこちらに近づきながら、声を掛けてきた。
「もともとこういう顔だっつーの。でも、まさか二人の婚約が今日この場で発表されるなんてな。夏休み前なのに、急に美琴が聖川に帰ってくるって言ってたから、何かあるのかなとは思ってたけど」
「うん……」
 美琴がどこか寂しそうな声で返事をした。
「どうした、大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ」
 普段の元気ハツラツな感じとは程遠い、暗い声がまた返ってきた。
「こうなった以上はもう、定期的に美琴とも会えないな」
「え?」
 か細いままの、彼女の声に気づかず、僕は話を続けた。
「毎年ずっと、美琴に振り回されてばっかりだったけど、何だかんだ言って結構楽しかったから、ちょっと残念だけど」
「今年のクリスマスイブも、また鷲翔に会いたい!」
 急に美琴が大きな声で、僕に訴えてきた。周囲の人たちの視線が、僕たちに集まっている。このままでは、毎年二人で会っていることがバレてしまう……。
「バカ、声がデカい」
 美琴も、ハッとしたように我に返った。注目を集めてしまっている状況に気づき、僕の腕を取って、外へと連れ出した。
「もし仮に、今年も僕たちが二人きりで会ったりなんかしたら、美琴の立場が……」
「大丈夫よ、さっきの婚約発表は、世間へのパフォーマンスに過ぎないから。それに、私だって本当に飛鳥と結婚するかどうかわからないし」
 本気で言っているのか……? 僕は、美琴の言葉に戸惑いを隠せなかった。
「このままだと、あと四年でホテルは合併し、私は彼と結婚することになる。でも、それまでに何とかするから。それに、私たちがいつも待ち合わせをしている時計台って、市の中心地から割と離れてるから、誰にも見つからないって」
 僕は何も返事をしなかった。
 美琴を止めるべきだと、きっと誰もがそう言うだろう。でも、なぜか僕には彼女を止めることもできなかった。
 きっとこのままでは、また今年のクリスマスも彼女から連絡が来て、会うことになる……。僕も心のどこかでそれを望んでいるのかもしれない。一年に一度だけ、彼女と待ち合わせることを。

「じゃあ、帰るわ」
 そう言って、僕は会場を出ていった。ホテルのロビーを出て、自動扉が閉まると、僕の目からは自然と涙が出てきていた。
 やっぱり、七夕を好きにはなれないな。
 僕の脳裏に、あのときのことがフラッシュバックしてきた。
「七夕クリスマスの会と命名します!」
「でも……」
 本当は、「じゃあ、美琴の誕生日にも会おう」って、言いたかった。
 けど、僕にはそれができない。彼女の誕生日には、盛大なパーティーが開かれて、たくさんの人が彼女のことを祝福して……。僕一人だけが彼女を祝うわけにはいかないから。
 あれ、何で泣いてんだ……。僕は必死に、涙を拭った。
「鷲翔、忘れ物……って、大丈夫? 何か目が赤くなってない?」
 声の聞こえた方向を振り返ると、僕が忘れていたカメラを手に持った美琴が、後を追いかけてきていた。
「何でもないよ。カメラ、持って来てくれてありがとう。じゃあ、また」
 彼女の心配そうな顔をよそ目に、僕は走り去るようにして、その場を後にした。

「ふぅ」
 近くの公園まで走ってきて、ベンチに座った。
 僕は美琴から渡された、自分のカメラに保存されていた写真を見返し始めた。
 そこには、綺麗なドレスを身に纏った美琴の姿が写っていた。
「ふっ、そういうことか。僕って本当にバカだな……」
 拭いたはずの涙が、また頬を伝っていた。
今頃気づいても、どうにもならないという現実を受け入れなければならないことは、よくわかっている。きっとこの涙は、そのことに対する本能的な抗いの証なのだろう。頭ではわかっていても、心はそう簡単に納得などしてはくれない。
「大人になる、というのは結構難しいことだろう?」
「え?」
 突然、横から声が聞こえてきた。気づけば、初めて見かける初老の男性が、隣に座っていた。
「君の涙は、単純に悲しいからという理由だけではなく、大人への階段を駆け上がっていく葛藤から来ているように思えたものでね。つい、声を掛けてしまったんだよ。気に障ったのなら、申し訳ない」
「いえ……。それよりも、大人への階段を駆け上がる際の葛藤って?」
 前を向いていたその男性は、僕の方に目を向け、再び話し始めた。
「見たところ、君はまだ二十歳そこそこの青年だろう。徐々に、社会の現実を知るようになって、自分の力だけでは、どうしようもできないことばかりであることに気づき始める頃だ。君は今、まさにその大きな渦の中にいて、何とか見出した着地点を、自らの意思に反して受け入れようとしている。理想とは全く異なる現実に抗いたくても抗えない、そんな葛藤の涙のように見えてね」
 その人は、僕の心を何もかも見透かしているかのようだった。
「でも、受け入れるしか、ないんですよね……」
 僕はか細い声で呟いた。
 すると、その男性はベンチから立ち上がり、遠くを見つめながら、僕に言った。
「この世の中の人たちは、あまりにも早く結果を求めすぎてしまっている。それゆえ、今の子どもたちは、異常なほど早いスピードで大人になろうとしすぎているのではないか。私にはそう思えて仕方がない」
 確かに言われてみれば、成人年齢引き下げの話が出てきたときよりも前から、人々は子どもの自立を早くから促し、そして子どもたちも、早く一人前の大人になりたいという風潮が、強くなっていた気がする。
「君も焦る必要性は全くないんだ。受け入れがたい現実を今すぐ受け入れてしまえば、きっと必ず後悔することになるだろう。焦らずに、ゆっくりとその答えを見つければいい」
 その言葉を残して、男性は僕の元を去っていった。誰かは知らないが、その人は、複雑だった僕の心を少しだけほぐしてくれた。
 だが、子どもから大人への過渡期にいる僕たちは、どのようにして、つらい現実と向き合えばよいのだろうか。
 周囲の子どもたちは皆、次々にその壁をクリアして、立派な大人へと成長している。そんな中、僕一人だけが取り残されているのではないかと感じてしまい、それでも焦らずにその問いに対する答えを見つけることはできるのだろうか。
 今はまだ、理想と現実の狭間で、ただひたすらに闘い続けるしかないのかもしれない。

 コンコン。病室のドアをノックする。
「入るで?」
 病院のベッドで寝たきりになっている母の見舞いにやってきた。
「こんな遠いとこまで、もう来んでええ言うたのに」
「そんなわけにはいかんよて」
 夏の暑さで枯れ気味となっている花瓶の花を、持ってきた花と取り替える。
「体調はどうや?」
「別に、相も変わらずやで」
 そうは言うものの、また少し母の顔がやつれてしまっている気がする。
 かつて僕の両親は、二人で料亭を営んでいた。僕がまだ幼かった頃は、ウチの料理が聖川の街を支えている、そう思えるほどの賑わいっぷりを見せていた。だが、十三年前、父がこの世を去ると、その状況は一変した。
 元々、父は聖川市役所で働いていたが、あることをきっかけに、仕事を辞めて母の料亭を手伝い始めた。それは、二人が結婚して間もないときであり、また、市役所から料亭という、全く畑違いの仕事への転職だったため、相当大変だっただろうということは、想像に難くない。
 そして、僕が小学校に入学した年に、とある事故が起き、父が他界した。残された母は、僕を育てながら、なんとか料亭をやり繰りしていたが、相当の無理がたたり、今はもう到底仕事ができるような身体ではなくなってしまっている。
「さっきテレビで見たけど、美琴ちゃん、飛鳥くんと婚約したんやってな。久しぶりにあの二人の姿も見たけど、えらい立派になって……」
 この街のローカルテレビ局にとって、美琴の婚約は、非常に大きなネタだったようで、ほぼ一日中、先日の婚約発表について報道していた。
「うん、そうやな。けど、やっぱり時が経っていくんも、物凄い早いな。気付けば十代が終わってしもてたわ。もう僕らも結婚を発表するような年齢になってしもて、このままおじいちゃんになるんも、あっちゅう間やろうな」
「何言うてんの、アンタはまだまだこれからや。母さんの分までちゃんと長生きしんさいよ」
 母が、僕の背中を叩いてきた。
「イテッ。母さんも、まだまだ長生きしろよ」
 もう父がいないこの世界で、母にだけはこれからも生き続けて欲しい。僕は、ずっと心の中でそう思っていた。でも、そんな願いとは裏腹に、医師からはすでに、余命いくばくもないだろうと告げられている。
 とは言っても、せめて一日でも長く、他愛もない話をしながら元気に笑っていて欲しい。母ももう、自らの運命が分かっていて、それを受け入れる覚悟をしているようにも見えるが、本当は怖くて仕方がないのだと思う。
 人には、自ら決められるものと、決められないことの二つが存在している。自分は、人生のこの時点で、こういうことをしようと決めていて、その意思通りに進んでいく場合もあるだろうが、大抵は社会や周りの状況などによって、自らの思い通りにはいかないケースがほとんどだろう。
「死」というものに対しては、おそらく誰もが怖いものであると思っていて、けれど、今の世の中を生きていくことがつらかったり、もう無理だと思ってしまったりすることで、自ら命を絶ってしまう者も少なくない。そうした人たちにとっては、結果として自ら「死」という選択をした、ということになるが、ほとんどの場合は、不可抗力的に、自らの意思ではなく、生けとし生ける者の定めの下で、人生の最期を迎えるだろう。
 僕は、そうした定めを素直に受け入れるというのが嫌いな性分であると自覚している。だからこそ、母には少しでも長く生きて、誰かが勝手に決めたかもしれない定めに最期まで抗って欲しい、そういう思いで、母が長生きすることを望んでいるのかもしれない。「死」が人生のあらゆる出来事の中で唯一、人間自らの意思で決められない部分であったとしても、最大限の抵抗ができる、いやしなければならない場所なのではないかと思っている。

 季節が変わって、冬。今年もクリスマスイブの日が近づいていた。
「流石にもう、僕たちが会うのは、辞めた方がいいんじゃないかな……」
 僕は、美琴にメッセージを送った。七夕パーティーの際にも言ったが、彼女は婚約を発表した身であり、その相手ではない僕と二人だけで会うということは、常識的にあってはならない。
「私との約束、そう簡単に裏切らないでよね」
 すぐに返信が届いた。きっと彼女もダメなことであるとわかってはいるだろうけれど、どうしても『七夕クリスマスの会』を辞める気はないようだった。
「じゃあ、せめて会うのは二十歳を祝う会にしよう。それなら誰にも怪しまれることはないだろうから」
「ごめん。私は、あの式典には出ないつもりだから」
 そうか、美琴は年明けの成人の日に行われる、二十歳を祝う会には来ないのか。せっかく同級生にも再会できる機会だし、美琴ならいの一番に行くと言うものだと思っていたが……。

 でも、こんなことをして、本当にいいのだろうか。
 クリスマス当日になっても、僕はソワソワしていた。罪悪感に駆られ、気持ちも身体も落ち着かないまま、美琴が来るのを待った。
「ねぇ、やっぱりダメだよ」
 彼女と合流して早々に、僕が言った。
「大丈夫だって。言ったでしょ、あれは世間への単なるパフォーマンスだって。この時代に政略結婚なんて、私受け入れるつもりないし。婚約発表のときは、まあ色々とあって仕方なかったけど、結婚のときは、親の言いなりになるつもりなんて全くないから。それに、これから鷲翔と会うときは、あまり人目に付かないところに行く予定だから」
 美琴の言葉を信じ切れていない自分だったが、今日の待ち合わせを断らなかった僕自身もある意味共犯だし、このまま最後まで彼女のワガママに付き合うしかない。
「で、今日は何をするの? いつもと違う待ち合わせ場所だけど」
 いつも、美琴と会うときは、街の外れにある時計台の前で集合していたが、今日は聖川駅の真ん前だった。先ほどの「人目に付かないところに行く」という彼女の言葉を、早速怪しく感じ始めている。
「まずは、電車に乗ります。レッツゴー」
 どこに向かうのか見当もついていなかったが、電車に乗り始めてから数十分たって、ようやく僕は気づいてしまった。
「まさか……」
「ウフフ。そう、ここで降りまーす」
「人目に付かない場所って言ったよね? ここ、人ばっかりじゃん!」
 僕たちの目の前には、市内で一番大きいテーマパークの景色が広がっていた。
「それに、何か人だかりができてるし……」
 入口を潜り抜けた先に、人がたくさん集まっているのが確認できた。
「よし、じゃあ何があったのか、見に行こっか」
 彼女は、ひたすら無邪気な笑顔で僕の手を引っ張り、二人で中へと入っていった。

 テーマパークの中は全体的に人が多かったが、モニュメントの前は、他の場所と比べて、かなり人口密度が高くなっていた。
「どうしたんだろうね」
 僕たちは人混みを掻き分けて、前へと進んでいく。視界が開けると、そこには一人の男性が立っていた。
「金沢令央じゃん」
 多くの人が集まっていた原因は、この人がいたからだったのか……。しかし、人気俳優が変装もせずに目の前で立っていたら、そりゃこんな人だかりもできるよなぁ。
「キャー、令央くん!」
 歓声が聞こえてきたな、と思ったら、美琴が大興奮しながら声を上げていた。
「この年齢にもなって、何浮かれてんだか……」
 僕は美琴の姿を見て、半ば呆れたようにそう呟くと、彼女の視線が少しずつ僕の方に向いてきた。気がつくと、僕の真正面まで金沢令央が近づいてきていた。
「君、名前は?」
 僕に話しかけている、のか? まさか僕に声を掛けてくるとは思わず、慌てて答える。
「あ、えっと、夜野ですけど……」
「夜野くん、君は今の自分の気持ちを大切にした方がいい。でないと、いつか絶対後悔することになる」
 突然よくわからないことを言い出した金沢さんに、僕は呆気に取られていた。
「人の気持ちを動かすことは難しい。でも、自分の気持ちを変えることは、それ以上に困難で、どんなことよりも耐えがたい苦行でしかない。だから、目の前の現実や周囲の誰かに遠慮する必要なんてない。自らの心に正直に生きられれば、それが正解なんだ」
「あ、あの……。どうして初対面の僕に、いきなりそんな話を?」
 大勢のギャラリーがいる中で、なぜ金沢さんが僕のところへ来て、そんなことを言ったのか不思議で仕方がなかった。
「あぁ、これは失敬。いや、君の表情があまりにも昔の自分に似ていたから……。無理に自らの気持ちを捻じ曲げようとしていた、あの頃の僕にね」
「はぁ……」
「とにかく、君には僕と同じような運命を辿って欲しくない。だから、迷ったときは、自分の気持ちに従うこと。それだけは、君に伝えておかなければならない、僕の直感がそう訴えて来たから、声を掛けさせてもらったんだ。いきなり話しかけて、悪かったね」
 彼は最後にそう言い残すと、僕の手をとり、お礼を言ってからその場を立ち去っていった。
「何だったんだ、アレは……」
 ポカンとしていた僕に、美琴が興奮気味に話しかけてきた。
「凄いじゃん、鷲翔! こんなにたくさん人がいる中で、鷲翔が声を掛けられるなんて。ねぇ、手を触らせてよ」
「はぁ?」
 彼女はそう言うとすぐに、金沢令央と握手をした僕の手を握ってきた。
「この手、洗っちゃダメだよ?」
「いや、きたねぇだろ」
 でも、結局彼が僕に声を掛けてきた理由は、はっきりとはわからなかったな。過去の自分と同じような表情だった、と言っていたが、彼の目に僕の顔はどのように映ったのだろうか。心の迷い、葛藤、不安。そういった気持ちが、自分でも気づかないうちに、表情に滲み出ていたのかもしれない。
 迷ったときは、自分の気持ちに従う、か……。彼の残した言葉が、しばらく脳裏から離れなかった。

「ハァハァ……」
 遊園地のアトラクションに乗ってから、僕はベンチでうなだれていた。
「ったく、ジェットコースターは無理って、初めから言ってくれればよかったのに」
 美琴は、買ってきたドリンクを僕に渡してくれた。
「だって、美琴が乗りたそうにしてたから……」
「そっか、ありがとね」
「お、おう」
 彼女のお礼の言葉に何だか照れ臭くなった僕は、飲み物を口にして、落ち着きを取り戻そうとした。
「そういえば、どうして来年の二十歳を祝う会には出ないの?」
 僕は、ずっと気になっていたことを彼女に聞いてみた。
「私にとって、二十歳はそんなに特別じゃないから」
「え?」
 テーマパーク内のはしゃぎ声が聞こえなくなるくらい、彼女の言葉が、僕の脳内に直接届いた気がした。
「二十歳になると、お酒やタバコがオッケーになるし、成人は十八歳に変わっちゃったけど、やっぱりその辺りの年齢になると、世間の人たちからは大人として認識されるよね。でも、十八歳や二十歳になったからといって、それを境に『子どもと大人』って、ハッキリと分かれる訳じゃないと思う」
「確かに、大人になる、ってどういうことなんだろうね……。なんか、自分がもう法律上は成人なんだっていう、ハッキリとした自覚は、まだ湧いてないような気がするし。学生という身分を卒業して、これから社会に出ると、そういう感覚がハッキリと芽生えてくるのかな……?」
 前に、公園で見知らぬ男性と話したときのことを思い出した。
「今の子どもたちは、あまりにも早く大人になろうとしすぎている」
 どこか生き急いでしまっている若者が増加している今、僕たちはどうあるべきなのだろうか。成人年齢が引き下げられ、子供と大人の境界線が曖昧になっていく中で、もう一度考えた方がいいのかもしれない。大人になるということが、一体どういうことなのかを。
「私としては、死ぬときに少しは大人になれたかも、って思えるくらいが一番理想的なんじゃないかなって。だから、二十歳を祝うことに完全に賛同はできないかな。もちろん、二十年間無事に生きてこられたのは、めでたいことではあるんだけどね」
 そっか、美琴はそういう風に考えていたのか。今まで、大人になるということをそういうふうに考えたこと、なかったな……。
 でも、彼女の言う通りなのかもしれない。これを達成したから君はもう大人だ、ということもないし、逆に君はまだまだ子どもだ、と言われる理由もないんだから、むしろ最後になってから、これまでの人生を振り返ってそう思えたら、それこそ本当の幸せと言えるのではないだろうか。
「なーんて、ちょっとカッコいいこと言ってみたけど、本当の理由はさ、そんな式に出ちゃうと、私も少しずつ大人になれていってるのかなって、不安になっちゃうから行くのが怖いだけなんだよね。鷲翔とか周りのみんなを見ていると、私だけずっと子どものまま、年だけとっているような気がしちゃって」
「そんなことないよ。美琴は僕と違って、色々なことに対して自分なりの意見をしっかりと持っているし、ちゃんと芯が強いっていうか。今のその、大人になるっていうことに対する考え方もそうだし、大学を選んだときとかも、テキトーな道しか選んでいない僕からしたら、美琴はもう立派な大人だと思う」
 そう、いつだって美琴は、僕の何十歩、いや何百歩も先を歩んでいて、だからこそ僕は焦りを感じてしまっている。どうすれば、僕は彼女に追いつけるのだろう、って。
「そんなことないよ。私だって、東京の大学に行ったのは、やりたいことがあるわけじゃなくて、本当は親から離れたかったからだし。フフッ」
 美琴は、冗談っぽくそう言ったが、きっと彼女には強い意志があって、その道を選んだのだと思う。
「でも、ホントに僕はどこに向かっているんだろうって思うんだよね。もう気が付けば、大学生活も折り返しだし、来年になれば就活も始まるけど、まだ自分がこれからどんな道に進んでいきたいのか全くわかってないし」
「そういうときはさ、誰かの言葉を思い出したらいいんじゃない?」
「誰かの言葉、かぁ……」
 僕の脳裏に、ある記憶が蘇ってきた。

 あれは、まだ僕が小学校低学年のとき、だっただろうか。美琴の家族と川辺でバーベキューをしていたときだった。
「鷲翔~、川は危ないから気をつけるのよ」
「はーい」
 僕と美琴が川で泳いでいたときだった。突然、水の流れが早くなったかと思えば、美琴が溺れているのが目に入った。
「美琴! 大丈夫?」
 自分も溺れそうになっているが関係ない、とにかく美琴を助けなきゃ。
 近くに両親がいることはわかっていたのに、自分が助けなければならないという思いに駆られ、より流れの早い場所にいた彼女の元へと進んでいってしまった。
「鷲翔、それ以上進んだらダメや! お父さんが助けるから」
 僕たちが溺れているのに気がついた父が、川に飛び込んできた。
「で、でも……」
 このままだと美琴が危ない。父の制止も聞かずに、僕は彼女の方へと歩みを進めていった。美琴を助けなきゃ、美琴を……。
 そして、そのまま僕は意識を失った。
「んんっ……」
「鷲翔、気がついたか?」
 目を覚ますと、僕は病院のベッドの上にいた。
「美琴は?」
 僕は起き上がって、隣にいた父に聞いた。
「無事や。今はまだ目覚めてへんけど、そのうち気がつくと思うって、病院の先生も言ってたから」
「美琴のとこ、行きたい」
「ダメや」
 まだ目が覚めていない美琴のことが気になり、ベッドから飛び出したが、父に行く手を阻まれてしまった。
「今はまだ安静にしとき。鷲翔やって溺れかけたんやから」
「でも……」
 父は、膝を曲げて僕と視線の高さを合わせてから、話を続けた。
「なぁ、鷲翔。お前が美琴ちゃんのことを心配する気持ちは、よーわかる。あのとき、自分が助けなあかんって思ったんも、立派なことや。けどな、全部自分が解決せなあかんって、何でもかんでも背負う必要はないんやで。人は一人じゃ生きられん。この聖川の街だって、お互いに助け合って、支え合うことで成り立ってるんや」
「聖川も?」
「そうや。お父さんもな、この街の人たちには、たくさん助けてもらってるんや。だから、その恩を返さなあかんと思って、今はこの街のために働いてる。いつか聖川を世界一の街にするんや、ってな。鷲翔も大きくなったら、みんなに恩返しせなあかんけど、今は、もっと周りの人たちを頼るんやで」
「う、うん……、わかった」
「よっしゃ。じゃあ、ベッドの中に戻って、またゆっくり寝ときな」

 あのとき父が言っていた、人は助け合うことで生きている、という意味の言葉が、妙に強く、脳裏に残っている。
 これまで学生だった自分は、ずっと周囲の人たちの助けがあって、生きてくることができた。でも、これから社会人になって、今度は僕が誰かのために働いて、みんなの生活を少しでも良いものにするために、汗水を流していかなければならない。
「けど、自分がちゃんと社会人になれるのか、本当に不安なんだよね。いつまで経ってもガキのままで、誰かに助けてもらってばかりだったな、ってなりそうでさ。自分が死ぬときに、大人になれたーって思うことなんて、絶対無理な気しかしないよ……」
「フフッ、それもいいんじゃない。純粋な心のまま、生きてこられたっていう証かもしれないし」
 やっぱり、美琴はもう立派な大人だな。僕がどんなに真面目な話やつまらない冗談を呟いたとしても、常に彼女はポジティブに返してくれて、明るい気持ちにさせてくれる。いつも僕は、美琴の言葉と笑顔に助けられていて、この楽しい時間が永遠に続いてほしい、そう思うんだ。
 でも、そんな幸せな時間は、あっという間に過ぎていってしまうもので、気づけば日が暮れかかっていた。
「って、ヤバい、もうこんな時間じゃん!」
 美琴の言う通り、時計の針は、すでに夕方五時を指していた。いつもなら、街のチャイムで「あぁ、もうこんな時間か」となるけれど、この場所では、そんな音色が聞こえてくることはない。かと言って、そこまで慌てる理由もないはずだが……。
「何かあるの?」
「鷲翔、走るよ」
 美琴は、僕の手を握って、走り出した。
「ちょ、ちょっと、一体何があるっていうんだよ……」

「ふぅ、間に合ったね」
 走って息が切れそうになりながら、美琴が僕を連れてきたのは、アニマルショーの会場だった。立て看板を見ると、本日最後のショーがもうすぐ始まるらしく、どうやら美琴はこれを見たかったらしい。
「あれ、あの子、迷子じゃない?」
 美琴が指を差した方向を見ると、小さな子どもが一人、泣きそうな顔をしながら突っ立っていた。と思ったら、その場にしゃがみ込み、泣き始めた。
「大丈夫? もしかして、迷子になっちゃった?」
 僕と美琴は慌てて、その子に駆け寄り、声を掛けた。
「お父さんかお母さんは、どこかに行っちゃったのかな?」
 美琴が、その場に膝をついて、話しかけたのが功を奏したのか、男の子は首を縦に振って答えた。
「この子の両親が、まだ近くにいるかもしれないから、一緒に探そう」
 美琴の言葉に、僕は頷いた。
「ここに、迷子のお子さんがいらっしゃるのですが、お連れの方はいらっしゃいませんかー?」
 声を張って、その子の両親を探したが、なかなか見つからない。
「なぁ美琴、やっぱり迷子センターに連れて行くしかないんじゃないか」
「確かに、館内放送で探してもらった方が早いかもね」
 僕たちがそう思った矢先のことだった。
「もう、こんなところにいたの」
 迷子の子のお母さんらしき人が現れた。
「お母さーん」
 その子どもは、すぐに母親の元へ駆け寄っていった。
「はぁ、よかった」
 美琴の口から安堵の声が漏れた。
「うちの子を探していただき、ありがとうございました」
「いえ、私たちはたまたま声をかけただけなので」
「お兄ちゃんとお姉ちゃん、ありがと」
 その子が両手を差し出してきたので、僕たちはハイタッチを交わした。
「あのー、もしかして天宮ホテルの方ですか?」
 ふと、お母さんが美琴に聞いた。
「え? まあ、そうですけど……」
「やっぱり、そうですよね。前に宿泊させていただいたときに、お見かけしたことがあるんですよ。婚約されたってお聞きしましたけど、お隣にいらっしゃるのがお相手の方ですか?」
 テレビで飛鳥のことも報道されていたけれど、彼の顔までは知らなかったのだろう。僕が美琴の婚約者だと勘違いしている。
 どう、答えたらいいものか……。返事に窮してしまった僕だったが、美琴がすぐに答えた。
「そうです」
「あらー、とてもめでたいお二人に出会えて、私たちも本当に嬉しいです。末永くお幸せに」
 その親子が去っていく姿を見ながら、僕は胸が痛くなったのを感じた。

「アニマルショー、楽しかったね。特にアシカの演技が圧巻だったな~」
 僕たちは、なんとかショーの開始時刻に間に合い、無事に鑑賞することができた。
「さっきの、本当によかったのかな。あの親子にウソついちゃったよね」
 胸につかえていた痛みを抑えきれず、僕は美琴に呟いてしまった。
「鷲翔は優しい心の持ち主なんだね。私はもう、ああいうウソには慣れちゃってるから」
「ダメだよ、ウソに慣れてしまったら。いつか引き返せなくなって、気づいたら戻れなくなっちゃうんだから」
「でも、いくら鷲翔が正直に生きていたいと思ったとしても、この世界はウソで溢れかえっているよ」
 幼い頃からホテル業界という厳しい世界で生きてきた美琴は、僕よりも圧倒的に複雑で、難しい人生を乗り越えてきて、綺麗ごとだけで済ますということができなくなってしまっているのかもしれない。
「けど、せめて僕の前では、何があっても絶対にウソをつかないって約束して欲しい」
「わかった、じゃあ……」
 彼女が小指を差し出してきた。
「指切りげんまん、ウソついたらハリセンボン飲ます、指切った」
 僕たちは、指切りで約束を交わした。
「今度はまた別のショーも見に行きたいね。ライオンの火くぐりとか」
 美琴は、何事もなかったかのように、再び明るいテンションで、先ほどの話の続きをし始めた。
 そうして、僕たちはテーマパークを後にした。

 駅前に戻ってくると、辺りはすっかり暗くなり、人通りもまばらになっていた。
 大型ビジョンで流れていたニュースに、ふと目が留まる。
「本日、元アイドルで女優の澄川秋子(すみかわしゅうこ)さんが事実婚を発表しました。澄川さんの所属する事務所によりますと、お相手は……」
「やっぱり気になるんだ」
 ニュースに見入っていた僕の視界に、美琴が割り込んでくる。
「やっぱり?」
「鷲翔、高校生のときから、ずっとあの人のこと好きだったでしょ。そんな人が、熱愛報道とかもなく、いきなり事実婚を始めます、なんてニュース聞かされたら、そりゃショック受けちゃうよね」
「ふっ、あはは」
「何がおかしいのよ」
 彼女の勘違いに、僕は思わず笑ってしまった。
「いや、僕があの人のことを推していたのは確かだよ。でも、ショックとか、そんなことは思ってなくて、だって凄くめでたいことだし。もうそんな年になったのかって、ちょっとビックリしちゃってさ」
「そっか。私てっきり、鷲翔は、推しにガチ恋してる系なのかと思ってた」
「確かに、推しの結婚報道に打ちひしがれる人もいるけど、僕の彼女に対する感情はそういうのじゃないよ。でも……」
 僕はふと考え、また少しずつ言葉を紡ぎ始めた。
「人が人を推す理由って様々だよね。つらいときに勇気を貰ったから、だとか、ステージの上で輝いている姿に胸を打たれたから、とか。けど元々、僕は『推し』という文化に、反対だったんだけどね」
「どうして?」
「確かに、『推し』は尊い文化かもしれない。一昔前は、ファンとかオタクと言われる人たちが特に大した理由もなく、毛嫌いされていた傾向にあったけど、『推し』という文化の浸透によって、いまや多くの人たちがより低いハードルで、誰かのことを応援できるようになった。
 でも、それと同時に、『好き』という表現が失われつつあるように思えて仕方なかったんだ。何でもかんでも、推しという言葉で済ませてしまって、大切な人に直接、好きとか愛しているとか、そういう直接的な愛情表現をすることがより難しくなってしまったんじゃないかなって」
「じゃあ、どうして鷲翔は、あの人のことを推すようになったの?」
 画面に映る澄川秋子の写真を指差しながら、美琴が聞いてきた。
「んー、僕の場合は、彼女の生き様がカッコいいと思ったから、かな」
「生き様って?」
「僕たちが高校生のとき、当時はアイドルグループの一員だった彼女に、熱愛報道が出てしまって。結局それは誤報だったらしいけど、別の人に一方的な恋心を抱いているのは事実だって認めて、グループを脱退したんだよね。『みんなから愛される存在であるアイドルが、特定の相手を好きになってしまったら、それはアイドル失格だ』って。そうは言っても、彼女だって一人の人間なんだし、恋心を抱いているだけなら、アイドルのままで居続ける選択もできたはずなのに、それをしなかった」
 僕は、ビジョンに映る彼女の写真を、どこか懐かしい目で見ながら、過去を振り返った。
「そんな決断ができた彼女を、僕は凄いなって思ってる。もちろん、アイドルの立場で特定の人に恋愛感情を抱いてしまうのはよくないのかもしれない。けど、その事実をそんなに潔く認めて、アイドルを辞めるなんて、僕が彼女の立場だったら絶対にできなかったはずだから」
「続いてのニュースです。俳優の程梁但馬(ほどはりたんま)さんが初主演を務める映画のヒロイン役を、鳥矢咲和(とりやさわ)さんが務めることが発表されました。程梁さんにとっては、念願の初主演作であり長年の夢を叶える形となった今作において、新人俳優である鳥矢さんと、どのような物語を作っていくのか、注目が集まっています」
 ニュースが切り替わっても、僕はしばらく、ビジョンの画面を見続けていた。
「夢だってそう。まだまだ追いかける決断をしてもいいし、どこかで区切りをつけて別の道に進むことを選んでも構わない。大事なのは、目の前に分かれ道が現れて、どの方向に進むのか考える必要が出てきた、その分岐点に立たされたときに、自分なりの決断をできるかどうか、だと思う」
 自分でそう言いつつも、僕自身が一番、その決断をできていないということは痛いほどわかっていた。
 この気持ちの迷いに、どう向き合えばよいのだろうか。大切な人がまだ隣にいる状況で、僕はなかなか決意を固められずにいた。