春の陽射しが柔らかく差し込む庭先に、桜月庵の大きな桜が咲き誇っていた。
 満開の花びらは、まるで空から舞い降りる祝福のようだった。

 店先では、大女将・椿と若女将・梢が笑顔で客を迎えている。
 佐々木や塔子も忙しそうに動きながらも、どこか誇らしげだ。

 そして厨房の奥で、新しい菓子が丁寧に仕上げられていた。
 それは、美咲が悠人と共に改良を重ねてきた「桜薫」。
 春香の手帳に残された想いと、美咲自身の感性が織り込まれた、まさに“桜月庵の新しい顔”ともいえる菓子だった。

「今年の桜薫は、一段と香りがいいね」
 椿が目を細めると、梢がにこやかにうなずく。
「ええ。きっと、美咲さんの気持ちが込められているからでしょう」

 美咲は少し照れながら、悠人と目を合わせた。
 悠人も穏やかな笑みを返す。互いに心の奥を確かめ合ったあの日から、二人はもう迷ってはいなかった。

 仕事を終えた夕暮れ、二人は桜の木の下に並んで腰を下ろした。
 花びらが舞い落ち、二人の肩にそっと触れる。

「美咲さん……これからも一緒に、この桜を見ていこう」
 悠人の声は、どこまでも優しく響いた。

「はい。私も……ずっとそばにいます」

 美咲は静かに応え、寄り添うように悠人の肩に身を預けた。
 失われた記憶、過去の痛み、そして数々の葛藤──それらすべてを越えた先に、ようやく辿り着いた“今”がある。

 夜が訪れるころ、桜は淡く照らされ、まるで未来を示す灯火のように輝いていた。

 「桜の記憶」──それは過去の悲しみではなく、新しい愛と希望を刻むために咲き続ける。