展示会まで、残り二週間。
桜月庵では、朝から桜薫の試作が繰り返された。銅鍋をかき混ぜる木べらの音、蒸し器から立ち上る湯気、そして佐々木の「もう少し火を弱めろ」という低い声が、作業場に溶け込んでいく。

美咲は、春香の手帳に書かれていた小さなメモを何度も読み返していた。
──“桜の香りは、餡に混ぜる前に一度蒸気で目を覚まさせる”──
試してみると、餡の甘みの奥に、やわらかな花の香りがふんわりと広がった。

「これ、いい香りだな」
悠人が試食用に切り分けた桜薫を口に入れ、目を細める。
「でも、展示会は見た目も勝負だ。どう飾るかも考えよう」

梢は「春らしくするなら、淡い緑の羊羹を合わせても面白いかも」と提案し、塔子は包装の試作品を持ってきた。桜色の和紙に金の箔押しで“桜月庵”の文字が浮かび上がる。

椿は皆の意見を静かに聞いていたが、最後に口を開いた。
「春香が初めて桜薫を作った時も、皆で知恵を出し合ったもんだよ。あんたも遠慮せず、やりたい形を出しな」

美咲は頷き、心の奥で決意が固まっていくのを感じた。
──母の想いを受け継ぎ、自分らしい桜薫を届けたい。

そんなある日、展示会の出品者リストが届いた。
そこに、一人の名前を見つけて美咲は息を呑む。
「……藤崎蓮」
梢が覗き込み、「知ってるの?」と問う。

藤崎蓮──母・春香と同じ時期に修業をしていたという若き菓子職人。
彼が母の過去を知っているかもしれないという予感が、美咲の胸に淡く灯った。