「羽月優心(はづきゆうしん)さま、俺らと一緒に、動画配信しませんか?」
「だから、いやだってば」

 はらはらと桜が舞う季節の北の大地。僕と同じ二年三組のヤンキー桜塚とメガネの山田が放課後、校舎裏でじりじりと迫ってきた。じっとりとした視線に苛立ちながら、僕は一歩後ずさる。

「何回も断られてんだからしつこくするなよ。このままふたりで動画配信やり続けなよ」

 ふたりの後ろでそう言ったのは、同じく二年三組のイケメン永瀬翔(ながせかける)だ。容姿端麗で頭も良くて運動神経も抜群な男。ネットを中心にアイドル的な活動をし、北の大地で撮影される映画や雑誌にもよく出演している。とある理由で憎き男だ。今もアイドルの微笑みを保ちながらこの場にいるが、きっとこいつは性格が悪い。悪いはずだ。完璧なやつなんているはずがない。今の発言も、何度も断る僕と関わるのがもう面倒くさいから、そう言ったに違いない。

「だって、ほんの一瞬映っただけなのに優心さまのことが話題になったんだぜ。それに『今年中にチャンネル登録一万いかないと解散します』ってこないだ勢いで言っちゃったし……だからお願いします!」と、ヤンキー桜塚が言った。

 いつの間にか自分が動画に映っていて「このエンジェルは誰?」と、僕のことが話題になったらしい。ユーザー数を増やすために、こいつらは僕を利用しようとしている。

 そんな事情は僕には関係ないし、知らない。なんて思っていたのに――。

***


 事の発端は高校の昼休みの出来事だった。僕はひっそり教室の窓際の席で、妹ふたりの髪飾りをビーズで作っていた。

「うぇーい」
「いぇい」

 クラスの一軍男子、ヤンキー桜塚 (生徒たちにとても恐れられているが「今日の朝、通りすがりのおばあちゃんの荷物を持ってあげたぜ」と、もらった飴を自慢しながら大きい声で語っていたりもして、実際そんなに恐ろしくはないのではないか)とメガネの山田(やること全てが細かくて神経質に思われているが、言動を眺めているとそうでもない気がする)が勢いよくダンスを踊っていて、それをイケメン永瀬翔がスマホで撮っていた。うるっさいなと思いながらふたりを睨むと、スマホのレンズはこっちに向けられていた。映るのを避けたかった僕はレンズに背を向けた。だけど顔を隠すタイミングは遅かった。

生配信だったらしく、勝手に配信された僕の姿が話題になったようだ。プライベートも何もないじゃん。

 話題を察知した瞬間からこいつらは、自分たちのグループに僕を引き入れようとしつこく迫ってくる。今もこうやって、校舎裏でぐいぐいと責めてきて……。

「本当に反応すごいんっすよ」と敬語で言いながら桜塚はスマホの画面をこっちに向けてくる。そして動画のコメント欄を開き、見せてきた。

『なんか、光り輝いてる少年がおる』
『なんだ、あの天使』
『ビーズ手芸してる子、ヤバい』

……

「うわ、勝手に僕のこと噂されてて怖っ!」
「怖いとか言うなよ、すごいことなんだぜ」
「だって、知らないうちに撮られてて、知らないうちに話題にされてて、怖いじゃん」
「まぁ、たしかに怖いよな」と、メガネの山田は腕を組む。
「自ら撮られる仕事してるやつとか、本当に信じられない……」

 僕は永瀬翔をじろっと見た。
 永瀬翔は微笑みながらこっちをじっと見てきた。

 視線を永瀬からそらすと腕時計に視線をやった。
 もうすぐ十六時だ。

「ていうか、そろそろ用事があるから帰らないと……」
「本当は用事なんて、ないんだろ? 俺らをまくつもりか?」

 桜塚が腕を組みながら眉間に皺を寄せて言う。

「いや、本当にあるから」

 まく――桜塚の言葉は正解だ。だけど用事もある。今日は妹たちの大好きなカレーライスを僕が作るのだ。軍団から逃げようと、駐輪場まで本気で走った。その時、突然頭がクラクラしだして、目の前が真っ白になり意識が遠のくのを感じた。



 意識が戻ってきた。頭はまだぼんやりしている。まぶたを閉じたままでいると、頭をふわっと撫でられた感触がした。目を開けると、僕はふかふかなベッドの上で寝ていた。壁や家具は真っ白で広い部屋。多分、どこかの家の寝室か。

「ここは、どこなんだろ?」
「俺の家だけど。顔色一日中良くなかったけれど、大丈夫?」

 呟きに答えたのは、僕の足の方にいた永瀬翔だった。

「はっ? なんで永瀬が……?」
「瞼の裏が白っぽかったから貧血かな?」

 勝手に瞼の裏チェックまでしたのかよ。僕は慌てて起き上がると、急に頭を上げたからか、クラっとした。

「羽月が倒れたから、連れてきた……」
「いや、保健室で少し横になれば治ったから。余計なことを……」
「余計なことか……」

 永瀬は視線を下に落とした。

 連れてきたとか言ってるけど。家まで遠かったり、帰り道が全く知らない道だったらと思うと、色々と面倒くさい。制服のポケットに手を入れるとスマホを出した。時間を確認すると、もう十七時。

 どうやら意識を失っている間に時間が経っていたらしい。

 慌てて立ち上がると窓から外を覗いた。ここは結構上の階の部屋らしい。そしてなんと、見下ろすと通っている高校が見えた。

――永瀬の家、学校から近かったんだ。

「ほっとけば良かった、のか……?」と永瀬は眉じりを下げ低い声で呟く。
「別に頼んだわけじゃないし、帰る」

 僕は勢いよく机の上に置いてあった自分の鞄を持とうとした。勢いよすぎて持つ部分から手を離してしまい鞄を床に落としてしまった。逆さまになった鞄。持つと急いで外に出ようとした。玄関へ向かう途中に通った部屋の中から「もう帰るの?」と声がする。声が聞こえた部屋を覗くと桜塚たちがいた。部屋の中にカメラやパソコンが置いてある。ここは撮影部屋なのか。

「今から撮るけど、映らない?」
「いや、絶対に映らないし」

 桜塚の誘いを速攻で断る。早歩きで部屋を通り過ぎ、外に出た。

 永瀬の住んでいるマンションを見上げる。大きくて黒い綺麗な建物。そして大きな庭まである。豪華で高そうなマンションだなと学校に行く時、通るたびにそう思っていた建物だった。前を向き、学校の駐輪場まで走った。永瀬翔は住んでいる場所までも格好良い。永瀬翔のそんなところを見つけるたびにムッとなる。

 駐輪場に着いた。まずは小学三年生の妹、風花のキッズケータイにうさぎのお辞儀スタンプを添えて『今から帰るぴょん』とメッセージを送った。そして小学一年生の妹、柚花にも。柚花の誕生日にGPSがついてて文章を送りあったり電話もできる腕時計を、冬休みに郵便局でバイトをして貯めたお金でプレゼントした。電源入っていてすぐに読んでくれたら良いなと願いながら同じ言葉とスタンプを送る。

すぐに『まってるぴょん』と言葉が添えてあるかわいいうさぎスタンプの返信が柚花から来て僕はキュンと胸が鳴る。続いて風花からも『気をつけてぴょん』と言葉が添えてあるうさぎのスタンプも来て、気持ちがうさぎみたいに軽やかに跳ね上がった。妹たちの言葉により、僕の心は浄化されて穏やかになった。穏やかな気持ちのまま自転車で十五分ぐらいの道を走った。

 だけど自分の家の前でふと思い出す。意識が戻ってきた時の頭を撫でられた感触を。

――あれはなんだったんだ?

 自転車を車庫の中に停める。

 さっきはどのくらいの強さで撫でられたのだろう。自分の手で自分の頭を撫でてみた。

――永瀬翔は、何を考えながら僕の頭を撫でたんだ?

いや、永瀬なんてどうでもいい。僕は頭を振りながら玄関のドアを開けた。妹たちの可愛い声が聞こえてくる。まっすぐリビングへ行くと、ふたり仲良く、パステルカラーのふわかわな絵を画用紙いっぱいに描いていた。

「お兄ちゃん、今日遅かったね」
「あぁ、ちょっと永瀬翔の部屋で寝てた」

 風花に質問されて、僕はそう答えた。が、言わなければ良かったことに気がついた時には遅かった。

「かけるんの部屋で寝てたの? どうして?」

 風花は目を輝かせて質問してきた。柚花も反応している。キラキラモードに突入したふたりを見るとイラッとした。

「かけるんの家、私も行きたい!」
「柚花も!」
「ダメだ! 絶対永瀬翔の家には行ったらダメだからな! 兄ちゃん、カレー作ってくる。家に行きたい話は禁止だ。したら怒るから!」

 僕はわあわあ言い続ける妹たちに背を向けてキッチンへ向かった。

――嫌いだ、僕は永瀬翔が嫌いだ。

一度嫌いだと思うと永瀬の完璧な言動や顔さえも。全て鼻につくようになっていった。

嫌いな理由? だって、うちの姉妹たち、特に風花が永瀬翔の大ファンだから。風花はお年玉で永瀬グッズを買ったり、映像が流れてくるたびに黄色い反応をしたりする。特にもう無理!ってなったきっかけは、妹たちと喧嘩をした時に「かけるんがお兄ちゃんだったら良かったのに!」と言われた時だ。こっそりその時は泣いた。

 玉ねぎを切りながらふと頭に考えがよぎる。ふたりの幸せを考えるなら願いを叶えてやるべきか。いや、ダメだ。妹たちと永瀬を合わせてはいけない。もしも妹たちが僕よりも永瀬と仲良くなり、懐いてしまったら? もしも永瀬のことを本当にお兄ちゃんなんて呼んでしまったら?

 気がつけば目から零れた涙がまな板の上にぽつりと落ちた。この涙は玉ねぎのせいか、それとも?

――風花と柚花が離れていくのは絶対に嫌。絶対に永瀬翔に会わせないぞ!

なんて思っていたのに。