ひとり言のように呟く。

後宮の一角から妃がいなくなるなど、きっと大ごとだ。

あの夜、皇帝の寝所に現れなかった妃として、私はどう見られているのだろう。

そんな思考を振り払うように、襖の向こうから声がかかった。

「翠蘭様。お食事のご用意ができております。」

柔らかく、丁寧な声だった。

襖が開き、ひとりの若い侍女が現れた。

「本日より、翠蘭様のお世話をさせていただきます。**藍香(らんこう)**と申します。どうぞ、お見知りおきを。」

綺麗にお辞儀をする彼女の姿に、私はそっと微笑んだ。

「ええ。よろしくね、藍香。」

誰かの命令ではなく、私の意志で選んだ場所で、私の名を、“翠蘭様”と呼ぶ声が、少しだけ胸に沁みた。

私は身支度を整え、藍香の案内で食事処へと向かった。

この朝が、“妃”としての私ではなく、“翠蘭”としての私の、始まりになるのかもしれない――
そんな予感がしていた。