四年前、十九歳の秋。
所属事務所の玄関前で、私のアイドル人生が終わった。
「あ、今回で契約終了だから」
すれ違いざまに、マネージャーがサラッと言い捨てる。スマホを弄りながら、私の顔も見ずに去っていく。
あまりにも自然で、理解に数秒を要した。慌てて走り、マネージャーの腕を掴む。
「ちょ、ちょっと待ってください! じゃあ、『SweetS*BoX』は」
「解散。SNSで挨拶しといて」
「挨拶!? ライブは!? 解散ライブとか!」
「ファンクラブ会員ゼロで? 無理だって」
鼻で笑われ、マネージャーとは二度と会わなかった。
それでも、最後にSNSで解散投稿だけはした。しっかりと、いつも通りに。
『CHOKOの笑顔でCHOKOっと幸せ☆ チョコレート担当、CHOKOです!
SweetS*BoXは解散だけど、個人の活動は続けます。
応援してくれたら嬉しいな🍫
では! 最後は一緒に!
🍬いつかまた、みんなでお菓子箱を作ろうね!🍬』
SweetS*BoXの決め台詞で締めくくった投降は、リプは五件、いいねは二十三件。ようするに、需要のないアイドルだった。
いまもアカウントは消していない。アイドル最後の一言は、私の意地だった。
けど、さっさと削除すべきだったのかもしれない。
握手会に五人しか来なくても、全力で笑顔を作った。『CHOKOちゃん、今日もCHOKOっと幸せもらったよ!』そう言ってくれるファンのために。
だから個人活動なんて見栄を張った。地下アイドルとして頑張ってみたけど、チケットノルマは全額赤字。やる気とともにCHOKOは自然消滅したけれど、誰も気に止めなかった。
そして、アイドルとしてのプライドは、二十三歳になった私の足を引っ張っている。
「今回で契約終了になります」
四年前と同じ言葉で、私の派遣勤務は終わった。
派遣会社の担当者から突きつけられた、唐突な死の宣告。狭い会議室で、思わず身を乗り出してた。
「クビってことですか!?」
「いえ。契約終了、ですね。派遣社員なので」
「満期は来年じゃないですか! 二年半も勤めたんですよ!? 残業だって文句言わずに!」
「派遣勤務は、満期を確約するものではありませんから。番組の再編成で、業務がなくなるそうなんです。それに、残業は契約内です」
「そんな……」
勤め先は、未練がましく縋りついた芸能業界。大手ネット動画配信の番組表を作るという、地味なデータ登録作業だ。アイドルに集中して、ろくな勉強をしてこなかった私は仕事を選べない。
短大を卒業したものの、私は就職活動をしていなかった。派遣しか道はない。
それでもエンタメの傍らに在籍するのは、やはり意地だった。
……満期まで働けば正社員になれるかも、なんて思ってた私が馬鹿だった。
そして、クビと知っても仕事はある。重い気持ちで仕事をし、いよいよ契約終了日になった。荷物をまとめて、パソコンを返却すればお終いになる。
みじめにも、一人寂しくランチから戻ってデスクの片づけを始めた。そんなときだった。
「白石さん。これ、明日までだって」
「……はあ。でも、私今日で退職なんで」
「だから、今日はまだ社員でしょ? できるとこまででいいから、やっといて。終わらなかったら、他の派遣に引き継いどいてね」
ポイっと書類を投げられ、私は呆然とした。
引継ぎするほうが面倒にきまってんでしょ!
なんて、心の中で叫びつつも笑顔を作らなくてはいけない。所詮は派遣だ。文句を言って『勤務態度が悪かった』と、派遣会社へ報告されたら困る。
「は~い」
笑顔を作っただけでも褒めてほしい。
最終日くらい配慮をしてほしかった。でも、わかっていたことだ。
この会社は派遣に冷たい。退職のお別れ会どころか、特別な挨拶もない。
派遣社員は使い捨て。世の習いだ。
それに、『今日はまだ社員』は正しい。最終日は働かなくて良しなんて、契約書には書いていない。
結局私は、苛立ちを抑え込みながら仕事をした。締切りが明日なら、今日中に終わらせろということだ。本来八時間労働の仕事を、十三時半のいまからやれと。
……次の仕事までの軍資金と思おう。
明日から無職だ。残業代を貰える仕事はいっそ有難い。
振りきって、私はパソコンに向き直る。鬼のように手を動かしたけれど、終わったのは一時半すぎだった。
「最終日まで終電越えで、ねぎらいの言葉もなし」
まあ、でもいつものことだ。せめて最後まで会社を活用してやろうと、終電越えのときに許されるタクシーチケットをもらいに行った。
チケットは撮影スタジオの受付で貰える。窓口をノックすると、いつもの青年が顔を出してくれた。
「タクシー?」
「うん。お願いしま~す」
唯一の救済だ。自宅までタクシーなんて、五千円は軽く超える。
さっさと帰ろうと思ったけど、「あれ」と首を傾げられた。
「白石さん、退職になってるよ。退職者には配布できないんだけど」
「今日は社員ですよ、まだ」
「ああ、そういう。でも、ごめんね。俺らはデータ上『配布してOK』になってる人にしか、渡せないんだよね。人事に聞いてみてよ」
「えぇ~!? 誰ですか、人事って。まだいるんですか?」
「さあねぇ。俺も派遣だし、わかんない」
ごめんね、と謝られて窓口を締められた。深夜一時に、バックオフィスの社員がいるわけない。誰だかも、部署のあるフロアも知らない。
「つまり、自腹で帰れと……?」
いまは十二月だ。初旬も過ぎ、歩くのはつらすぎる。
思わずしゃがみこんだ。元気に帰れというほうが無理だ。
始発までおよそ五時間。近くのネカフェなら、六時間パックで二千五百円。鍵付き個室とシャワーを使っても、タクシーよりはまだ安い。
深夜の乗り越えかたばかりが身についた。諦めて立ち上がると、わいわいと話し声が聴こえてきた。一階には収録スタジオが隣接していて、地下駐車場へのエレベーターがある。深夜に撮影があるときは見かける景色だ。
芸能人を見る目的で働くバイトや派遣は、喜ぶところだろう。でも、私ときたら。
輪の中央には、アッシュの髪色をしたハーフの青年がいる。この会社で番組を持ってる、海老原ハイセという人気モデル。後続は、最近よくみるアイドルグループだった。
私は、あのスタジオへは入室できない。業務に携わらない派遣社員には、入室権限がないからだ。でも、実は一度だけ入ったことがある。
SweetS*BoXで、出演させてもらった地上波の番組があった。収録をしたのが、このスタジオ。
実を言えば、派遣先に選んだ理由でもある。
誰かが私を憶えてて、ピックアップしてくれるんじゃないか――なんて。
けど、シンデレラストーリーは、創作の中にしかない。
それに、もう二十三歳。アイドルなんて年齢じゃない。アイドルの七年も派遣の二年半も、すべて無駄だった。
CHOKOって呼んでくれる人は、もう一人もいな――
「チョコ」
「……え!?」
CHOKO。SweetS*BoXだった私の名前が、うしろから男性の聴こえた。
つい、思い切りふり向く。立っているのは、二十代後半くらいの青年だった。
もしかして、もしかして奇跡が――なんて、思っていると、目の前になにかを差し出された。
ピンクの銀紙に包まれた、丸いチョコレート。
「チョコ、どうぞ」
「は?」
「疲れたときは甘い物。美味しいよ。業務用だけど」
がくりと肩が落ちる。CHOKOを呼んだのではなく、チョコレートどうぞ、という声掛けだ。
当たり前だ。わかっているのに、まだ期待してる自分に呆れる。
挫けた私の心境など知るわけもなく、青年はぐいぐいとチョコレートを押し付けてくる。見ず知らずの人間にもらった物なんて、食べられるわけもない。
けれど、受け取るのを待っているのか、一向に手を引いてくれなかった。諦めて受け取ると、青年は自分も一粒口に放り込む。けれど帰ろうとせず、私の前に立ったままだ。
なんだ、この人。間違いなく変人だ。
けれど、首には社員用の入館証をぶらさげている。こんな怪しい人間以下なのか、私は。
ひどく悔しく思うところなのだが、若干許せてしまった。
というのも、驚くほど美形だからだ。ただの社員と言われても信じられない。元芸能人か、はたまた芸能人と会社員の兼業か。いずれにせよ、妖艶な雰囲気は妙に惹かれる。
どういう社員なのか気になっていると、青年はにっこりと微笑んだ。つられて笑顔を返したけれど――
「クビになった白石さんだよね」
「あぁ?」
すぐに私の顔は引きつった。
なんだ、こいつ。喧嘩売りに来たのか、こんな深夜に。
さすがにイラつく。やり返してやろうと思ったけれど、私が声を出すより先に手を握られる。
「おいで。お菓子箱を作りに行こう」
「……は?」
その言葉は。
――いつかまた、みんなでお菓子箱を作ろうね。
SweetS*BoXの決め台詞。CHOKOとして最後の言葉。
手を振り解けなかった。どこへ連れて行かれるかもわからないのに、私はただついて行った。
*
私の手を握ったまま、青年は足早に進んだ。
SweetS*BoXを思わせる言葉に、心臓が大きく跳ねる。
もしかして、本当にアイドルの私を見つけてくれたのだろうか。もう一度、きらめいたステージに立てるチャンスがあるのかもしれない。
人の少ない深夜のオフィスを通り抜ける。静まり返っていて、一人なら怖かった。でも、この先に光る場所がある。
胸は高鳴った。オーディションでもやってるんだろうか。人気アイドルが急に来られなくなって穴埋め、なんてこともありえる。
でも、なんでもいい。もう一度、芸能界にもどれるなら――そう思っていたら、青年が私をちらりとみた。慌てて笑顔を返すと、ふっと軽く笑われた。
「派遣は使い捨てだよ」
「は?」
「派遣より無能な正社員がいても、切るのは派遣。使い捨てていい存在なんだよ、きみらは」
SweetS*BoXのわずかな輝きを、突如ぶち壊された。
……だったらなんだってのよ!
言われなくても、わかってる。「いつか正社員に」なんて、ありえない。正社員になれる派遣は、紹介予定派遣として提案されてる。でも私の仕事は『派遣』だった。
最初からわかってた。三年勤めて無駄だって。データ登録の仕事なんて、キャリアのプラスにもなりゃしない。
でも口にしたら負けのような気がしてた。アイドルとしての意地が、負けを許さない。その時点で、私は敗北してたんだ。
顔を上げることもできず、私は青年から目を逸らす。それでも青年は言葉をとめない。
「稀に派遣から社員登用される人もいるんだ。どんな人だと思う?」
「……優秀な人ですか」
「優秀ってのは、具体的になにをすれば『優秀』なの?」
「え? なにって……」
知るか、そんなの。こっちが知りたい。
答えられず口をとがらせていると、青年はまた軽く笑った。
「だからきみは駄目なんだ」
……なんなんだ、コイツ!
私は青年の手を振り払う。ついて行って、なにかあるとも思えない。
それでも言っていることは正論だ。私は言い返すこともできずにいると、青年はポケットからまた同じチョコレートを取り出した。
「とりあえず、落ち着いて。チョコでも食べなよ」
気分を悪くさせてる本人が、なにを偉そうに。受け取ってなどやるもんか。
改めて睨みつけた。すると、ふと気がつく。このチョコレートは見覚えがあった。
ピンクはCHOKOのメンバーカラー。ファンと交流するときに、一粒を手渡していた。個包装で渡しやすいのと、業務用だから安い。
なにかといえば、バラまいていた。
「よくバラまいてるんだ」
「え?」
「手ごろだよね。個包装だから手渡ししやすい。業務用だから値段も安い。便利だ」
――知ってるんだ。CHOKOを、絶対に知ってる。
知らなければ出てこない言葉ばかりだ。
「……あなた、一体」
誰――聞こうとしたときだった。バタバタと走る足音が聞こえてくる。青年の向こう側から、ヨレヨレのTシャツを着た男性がやって来た。
「のりまき! やっぱり変更出た!」
「のりまき?」
なんの話が始まったのかわからず、首を傾げた。
青年は私の手にチョコレートを押し込むと、Tシャツの男性が持っている書類の束に視線を落とす。
「でしょうねぇ。まだ誰か残ってます?」
「呼んだけど、二時には間に合わない。それまで頼める?」
「大丈夫ですよ。ちょうど、新しい子が来たとこなんで」
ぐいっと腕を引っ張られ、私はTシャツの男性の前に立たされる。
「ちょっと、なんですか?」
「すごいですよ。本社で残業慣れしてるから即戦力。番組表のデータ登録してたから、おおまかな番組構成もわかってる」
なんで私の仕事内容なんて知ってるんだ。誰なんだ、この人。
問い質そうとしたけれど、両肩を掴まれ動けなくなる。そして、にっこりと微笑まれ、あろうことか言われたのは――。
「しかも、アイドル失敗経験アリ」
「はぁ!?」
そんなこと百も承知だ!
さっきから、なんなんだ! 切られた派遣を笑い者にしたいのか!?
怒りで頭に血が上ったけれど、ふと気づいた。
なぜ、私が派遣勤務で、どんな仕事をしてるかまで知ってたのか。
一億万歩譲って、CHOKOを知っていたとしても、いまの私は一般人だ。顔と名前と業務内容なんて、把握される覚えはない。
――いつか、誰かが私を見つけてくれる。
それは、どんな確率だろう。実際に生じたら、どんなふうに始まるんだろう。
突然に名前を呼ばれて、突然にステージに乗せられる。そんな怪しい状況なんじゃないのだろうか。
「……あなた、誰ですか?」
突然現れた怪しい青年は、もしかして。
「さあ、お仕事だ。こっち」
また腕を引かれた。けれど、仕事、という言葉で我に返る。
「待ってください! 仕事ってなんですか!? 私ここの関係者じゃないんですけど!」
「今日はまだ社員でしょ?」
「そ、そう、ですけど。私データ登録くらいしかしてなかったですよ。他の部署でできることなんてありません」
「できるよ。だって、僕は知ってるからね」
「知ってる? なにを、ですか」
「きみは、人を笑顔にする方法を知ってる人だよ」
青年はまたポケットからチョコレートを出した。ピンクの銀紙だ。
私の掌にチョコレートを乗せて、ぐっと強く握りしめられる。
「CHOKOの笑顔でCHOKOっと幸せ」
このチョコレートは業務用で、色はアソートだ。黄色や青、たくさんの色がある。そこからピンク色だけを選び抜かなければいけなかった。
本名、白石知世子。スイーツモチーフのグループだから、芸名はCHOKO。
「さあ、お菓子を詰めにいこう」
キラリとピンクの銀紙が光った。深夜のオフィスを照らす蛍光灯は、アイドル衣装を照らすスポットライトのように感じられた。
*
流されて押し込まれたのは、機材の並ぶ部屋だった。
細長い部屋で、テーブルの半分はなんだかわからない機械で埋まっている。半分にはマイクが置いてあり、ヘッドフォンもある。
くつろぐほどの広さはない部屋でなにをするのか、なんとなく想像がついた。
「……ラジオ?」
「配信室だよ。初めてでしょ。SweetS*BoXは、ネット配信の枠も持ってなかったし」
よく、知っている。事務所に所属してるアイドルは、事務所の持っている枠に出してもらえることがある。しかしSweetS*BoXは呼んでもらえなかった。
なにしろ、センターの子の人気だけが頼りだった。彼女は単独でラジオに出ていたけど、他のメンバーはなにもない。
詳細な内情は、SweetS*BoXを知らなければ出てこない情報だ。ウィキペディアにだって、SweetS*BoXのページはない。
憧れてた。ラジオを馬鹿にする人も多いけど、私には夢のような場所だった。
そこに、いま立っている。CHOKOを知ってる人に導かれて。
「……あの、私、ここでなにを……」
「出演予定の子が病欠になったから、ピンチヒッターを手配してるんだ。でも、到着が二時を過ぎるから穴埋めをしなきゃいけない。座って、ヘッドフォン付けて」
「え、あ、は、はい!」
言われるがままに、私は椅子に座った。
穴埋め。穴埋めで、まさか、使ってもらえるのだろうか。CHOKOですらなくなった私を。アイドルとして失敗した私を。
緊張しながら指示を待つと、青年はヘッドフォンをつけた。私も装着すると、青年はカチカチと機材のスイッチを操作する。すると、耳に「3、2、1」と声が聴こえた。軽快な効果音が流れ、青年がすうっと口を開く。
「始まりました。『深夜2時のアイドルたち』。今日も推しと夜更かし、しちゃいましょう」
……え!? 始まるの!? 始まったの!?
そんな始まりかた、あるのだろうか。イメージでは、台本があってトークして……というのがラジオだ。でも、青年はなにも持っていない。私の手元にも資料はない。
なにをするのかすら指示がないのに、なにをしろというのか。
さすがに慌てた。すると青年は、私の掌を突く。ピンク色の銀紙のチョコレートが、ころんと揺れた。
ぽんっと私の手を軽く叩き、青年はしゃべり続けた。
「この番組は、ブレイクを目指すアイドルたちを応援しています。リスナーも一丸となって、推しを大きなステージへ連れて行っちゃいましょう!」
軽い説明の感想は、視聴率悪そう、だ。
人気のないアイドルを出したって、聞くファンがいない。しかも深夜2時ともなれば、聞いてる人口のほうが少ないだろう。
窓の外は真っ暗だ。立ち並ぶビルの数か所に電気がついている。きっと、同じく残業中なのだろう。それもポツポツと数えるほどしかない。聞いてる人は、明かりの数より少ないに違いない。
けれど、少しだけ胸が高鳴った。視聴者がいようがいまいが、出演するアイドルには大事な仕事だ。ラジオからステップアップを狙っているかもしれない。
駄目もとでやってくれるのは、視聴率が悪くても許される深夜枠くらいかもしれない。
CHOKOは、深夜すらも許されなかった。
――ちゃんとやろう。
なぜ、ここに座らされたのかはわからない。待ってる視聴者はいないかもしれない。でも、出演するはずだったアイドルがいる。なにかしてあげたい。
せめて出演者情報くらいもらえないかと思ったけれど、突然青年が、パンッと両手を合わせて頭を下げている。
「まずは、ごめんなさい! 今日のゲスト、天宮有理香ちゃん。体調不良でお休みです! また来てもらうから、楽しみにしててくださいね!」
本当に悪いと思っていそうな顔だった。ラジオで頭を下げても、表情を変えても、視聴者には見えない。声が全てだ。ましてやアイドルの病欠は配信側の責任じゃない。
体調管理もアイドルの仕事。体調を崩して仕事を逃すなんて、やる気ないのか、と思われてもしかたがない。深夜枠だからって馬鹿にしてるんだろうと言われるかもしれない。
けれど、青年は必死に謝っていた。天宮有理香なんて、聞いたこともないアイドルのために。活動情報を読み上げ、聞いたことのないライブハウスの魅力まで語っている。有理香ちゃんのステージングにぴったり、なんて。
見た目からは想像できない熱量で、小さなライブハウスの魅力を語り続けている。テンポもリズムも聞きやすい。なにより、声がイイ。
やはりただの社員ではない。一般人にしては声が独特だ。私もボイトレしてたから、多少はわかる。きちんと練習した人は声が違う。
なにをしてる人なのか気になった。じっと見つめていると、ぱちりと目が合う。整った顔立ちで微笑まれ、ついドキリとした。けれど、トキメキでは終わらなかった。
「そして、有理香ちゃんのピンチヒッター! 急遽来てくれたのは、四年前、惜しまれつつ解散したSweetS*BoXのCHOKOちゃんで~す!」
「えっ!?」
「まずはCHOKOちゃんに挨拶もらっちゃいましょう! どうぞ!」
どうぞ!?
私は慌てた。ここで慌てないで、いつ慌てるのか。するとそのとき、つんっと掌を突かれる。
ピンク色の銀紙で包まれたチョコレートは、強く握りすぎて溶け始めている。
CHOKOのチョコレートは、とうの昔になくなった。でも、消えたわけじゃない。
ぐっとチョコレートを握りしめ、私は大きく息を吸い込み叫んだ。
「CHOKOの笑顔でCHOKOっと幸せ☆ チョコレート担当、CHOKOです! よろしくお願いします!」
虚しく響いた。誰も待ってないCHOKOのキャッチフレーズ。
それでも、たった一人だけ拍手をしてくれた。青年は、大袈裟なくらいに手を叩いてくれている。演出だ。盛り上がってるように見せる、ちゃちな演出。
誰かに演出をしてもらえたのは、初めてだった。
目頭が熱くなり、涙がこぼれる。深夜の小さなラジオ番組。天宮有理香は、どんな気持ちで聞いてるだろう。
青年に頭を撫でられる。揺れると涙が落ちた。
なにをさせられるのかは、わからない。でも、天宮有理香へ繋いであげたい。
私は涙をぬぐい、ふう、と大きく深呼吸してマイクに向かった。
「有理香ちゃんじゃなくて、本当にごめんね。誰これ状態でしょ」
「四年前ですからね、解散。じゃあ、SweetS*BoXを知らない人のために軽く説明。名前の通り、お菓子がモチーフ。衣装も曲もあま~いアイドル!」
「あはは。懐かしい。そういう紹介でした、当時」
「七年間、変わらずだったよね。メンバーは第一期が五人、第二期が七人、第三期が三人。第一期から解散まで在籍してたのが、CHOKOちゃん一人!」
「売れないアイドルあるあるですね。いつのまにかメンバーが減ってる」
「厳しい世界ですからね。CHOKOちゃんは、なんで辞めなかったんですか?」
「そこは『続ける秘訣は』とかではなく?」
「いやあ。俺はアイドル反対派なんで」
「へ?」
番組コンセプトとは真逆の発言に、口がぽかんと空いた。
「えっと、この番組、アイドルを応援するのでは?」
「応援しますよ、アイドル本人を。ただ、応援の方向が斜め下」
「というと」
「あなたの人生、アイドルに費やしていいんですか?」
――途端に理解した。私を座らせた理由。
わかってしまうと、とてもがっかりした。失望と納得が同時に押し寄せる。
でも、適任だなとも思ってしまった。
「今日は、リスナーのみんなには辛い話かもしれないです。でも、聞いてほしい」
青年は険しい顔になり、じっとマイクを見つめた。見つめる先は、アイドル志望の子たちだ。
「ハッキリ言って、アイドルは使い捨てです。若い時期を消耗され、二十代後半になればお払い箱。卒業したら仕事がなくなり引退。なるのは大変なのに、失速は一瞬です」
……すごい話するな、この人。
「一番嫌なのは、普通の就職も難しくなること。たとえば、中学高校でアイドルに集中して、大学も就活もおろそかにした。歌って踊る以外は、学も技術もない。そこから就職って厳しいですよ。だって『勉強そっちのけでアイドルやったら失敗したので、御社に入れてください』って状態の奴、雇わないですよ。企業側だって」
まさに、いまの私。耳が痛い。
やっぱり、失敗談を語らせるために私を置いたんだ。
「俺は、学生時代に地下アイドルやって辞めて、普通に就職するのが妥当だと思う。けど、CHOKOちゃんは七年間アイドルを続けたよね。いまの生活、どうですか?」
腹は立つ。突然引っ張り込まれて、不愉快な話をさせられるなんて。
でも、もっと早くにこういう話を聞きたかった――とも思ってしまった。
真面目な表情で、青年は私を見ている。CHOKOとして、本当に最後のときがきた。
「……良くはないですね。いま派遣社員なんですけど、会社側の都合で契約終了になりました。派遣もアイドルと同じ、使い捨てです。企業の全部がそうだとは言いませんけど」
「就活はしなかったの?」
「はい。短大だったんですけど、アイドルに賭けちゃって。おっしゃるとおり、学も技術もない。使い回しの利く仕事しかできません」
「けどさ、それも雇用次第だと思わない? 派遣制度そのものがどうかと思うんだよ、俺は。政府は『雇用の流動化』とか『スキルアップしやすいように』なんて言うけど、権力者と富裕層の戯言だよね。流動したくないんだよ、こっちは」
「キツイこといいますね……」
「でも、実際そうじゃない? 心底国民を思うなら、終身雇用を約束したうえで挑戦をさせてほしいよね。生活さえ安定してれば、何歳だって芸能界を目指せる。夢を諦めて人生を妥協するのは、いつだってお金がないからだ」
「ん~……でも、働かずにお金くれとは言えないですからね」
「そうだよね。政治はすぐには変わらない。だから、みんなには考えてほしいんだ」
ぐっと手を握られた。ラジオでは伝わらない熱が、私の手に沁み込んでくる。
「夢を諦めろとは言わない。でも、現実的にどうするかは考えておいたほうがいい」
――ああ、もっと早くに聞きたかった。
どうして、この人はいま私を捕まえたんだろう。なぜ――不思議に思っていると、バンッと扉が開いて男性が入ってきた。ささやかな蛍光灯で、アッシュの髪が光る。
「なーに偉そうなこと言ってんだ!」
「わあ!」
ドカッと青年を押しつぶしたのは、さっき見た顔。
「海老原ハイセ!」
「どうも~」
ついさっき、スタジオで見た。あちこちの雑誌で表紙を飾り、着用した服は即完売。人気モデルの襲撃に、私は息を呑むしかなかった。
*
青年は嫌そうな顔をして、頭を抱えていた。海老原ハイセは、ニヤつきながら青年の隣に腰かける。
「どうも~。本職パーソナリティの海老原ハイセです。緊急招集いただきました。ここからはプロがやりますよっと」
当然のように海老原ハイセは喋り始めた。
けれど、不思議に感じる。海老原ハイセはモデルのはずだ。プロのパーソナリティという認識はない。思わず見つめていると、ニヤリと海老原ハイセは笑った。
「CHOKOが不思議そうにしてる。俺のこと、モデルだと思ってるでしょ」
「はい。え、違うんですか?」
「違わないよ。けど、芸能活動はこのラジオ局からなんだ。パーソナリティ」
「そうなんですか!? それで、今日も?」
「うん。こいつとは大学の同級生。ヘルプが必要なときは参上してま~す」
ペチペチと額を叩かれ、青年は鬱陶しそうに手を振り払う。
「ったく。いいとこで持ってくよなぁ」
「なにがいいとこだよ。もっともらしいこと言ってるけど、こいつ単なるアイドルオタクだからね。現役CHOKOちゃんとも、チェキめっちゃ撮ってたし」
「へ?」
チェキはアイドルお馴染みのファンサービスだ。私のファンなんて数えるほどだったけれど、その中に、この人が?
とても信じられない。こんなに整った顔の人がいれば、絶対に覚えてる。まじまじと見つめると、青年は急に顔を赤くした。海老原ハイセの衿を掴んで睨みつける。
「ハイセ! 黙ってろって言っただろ!」
「いやだね。憶えてない? いつも、のりまきTシャツだった男」
のりまきTシャツは記憶にあった。
チェキは、購入したCDの枚数に応じて受け付ける。人気の子は列になるけど、私は固定の五、六人が何週もしてくれていた。だから顔と名前はよく憶えてる。
たしかにいた。いつも、のりまき柄のTシャツ。ファンレターにものりまきイラスト。シールものりまき。とにかくのりまき。
ファンは推しに覚えてもらう工夫を凝らす。この人はのりまきを選んだんだな~くらいに思っていた。他に感じたことと言えば。
「あの、きったない人!?」
「う……」
「わはははは! そうそう。あの汚い奴!」
ずっと同じTシャツを着まわしていたからか、すっかりくたびれていた。目にクマがあることも多くて、髪もセットとは無縁。推しに会うなら綺麗にするべきでは、なんて偉そうに思った覚えがある。
「ずいぶん変わりましたね……てか、なぜのりまき?」
「名前。こいつ『真木久則』っていうの。フルネーム英語でいうと?」
「HISANORI MAKI……あっ、のりまき……」
名前の後半二文字と姓を並べると『のりまき』だ。
「あはははははは! すっげぇ面白いでしょ!」
「うるさいな! お前だって伊勢エビだろ!」
「のりまきよりは豪華だろ~?」
「HAISE EBIHARA……あっ、伊勢エビ……」
「笑えるでしょ。だからSweetS*BoXは気になったんだよ。食べ物ネーム」
「あ、なるほど。ちなみに私は知世子だからCHOKOです」
「いっそ食べ物番組にする? わはははは」
海老原ハイセは笑い倒した。深夜だというのに、ブースは一気に明るくなる。配信スタッフにも笑顔が増えて、スタジオ中のテンションはあがっていった。
華がある、というやつだろうか。トップモデルの海老原ハイセは眩しい。SweetS*BoXには、なかった輝きだ。
それから、ラジオは男性二人の会話で進んだ。コンビニの新商品が好きだった、電車が人身事故で困った、ささいな普通の話しかしていない。それでも番組は盛り上がっていく。
ついにはリアルタイムでメールまで届いた。SNSで海老原ハイセの出ている情報が回ったようで、読み切れない量が届き続ける。中にはSweetS*BoXを調べて、私を可愛いと言ってくれるメールもあった。
その中から、海老原ハイセは一通だけピックアップして読んでくれた。
選ばれたメールは、天宮有理香の体調を心配する内容。海老原ハイセのことでも私のことでもない。もっとも視聴率を稼がない、未熟なアイドル。番組としては当然だろうけど、なんだか、とても嬉しく思える。
あっという間に一時間が経ち、 私は「CHOKOでした」と名乗って終わった。
「おつかれ。やっぱり、のりまきとエビのセットはファンが根強い」
「大学のときは、結構な人気セットだったんだよ」
とても気さくに、スタッフは話しかけてくれた。私のような、正体不明な人間にも優しい。
一方で、真木さんは疲れていた。海老原ハイセに絡まれている。トップモデルに並んでも見劣りしない。顔出しすれば、いまでもセット売りをできそうだ。
ついじっと見つめていると、真木さんは恥ずかしそうに目を逸らす。すると、海老原ハイセがまたも圧し掛かってきた。
「ごめんね~! ガチ勢だから、こいつ。ここに就職したのも、SweetS*BoXが唯一メディア出演した会社だったからだよ」
「え」
じいっとのりまきさんを見ると、海老原ハイセのほうへ身体を向けた。
「さっさとスタジオ入れ! 二番!」
「はーいはい」
真木さんは海老原ハイセの背を押して、スタジオへ放り込んでしまった。スタッフも笑っていたけれど、私としては聞きたいことだらけだ。
つんっと腕を突いてみる、恥ずかしそうな顔をしている。
「最初のキツい感じは、なんだったんですか?」
「……物語みたいな出会いがしたいって言ってたろ。ミステリアスな人が好きとか」
「あ~……」
言った、かもしれない。けれど、あまり憶えていない。可愛いCHOKOを作るのに必死で、思ってもないことを言っていたから。少なくとも、ミステリアスが好みだったことは一度もない。おそらく、適当に言ったことだろう。
虚構を本気にして、実行してしまった。この美形が。
急に愛おしさを感じる。小さく笑いを零すと、真木さんは、困ったように頭を押さえた。
「ぜんぜんカッコつかないよ。せっかく社員らしい話をしようと思ってたのに」
「海老原さんが来るまでは、ちゃんとしてましたよ」
「じゃなくて。派遣の話。具体的になにをすれば『優秀』か」
「え? ああ、最初の話……」
思い返せば、仕事の話をしていた。優秀なら社員登用もするらしいが、退職決定の私には関係ない話だ。
明日から無職。天宮有理香の応援をしてる場合じゃない。嫌な現実に、私は少し俯いた。
すると、コツンっと頭を小突かれる。
「優秀な奴は、自己分析と努力の方向が正しいんだ。きみはデスクワーク向きじゃないよ。アイドル経験を活かして、現場を支えるほうがいい」
「……私が駄目って言ったのは」
「自己分析が正しくない。適正ミス。だから、失敗を活かして成功しようよ」
「成功?」
「俺は、芸能界を目指す子にはチャンスを作ってあげたい。けど、ぶっちゃけ、頑張っても無理な子ってわかるんだよね」
「ラジオ制作者の勘ですか」
「違うよ。社会人経験。芸能人にかかわらず、商品が売れるかどうかは広告費なんだよ。お金をかけもらえれば売れる。事務所がお金をかけるのは『売れる』見込みのある子。どんな子が売れると思う?」
「それは、才能と努力によりますよ」
「残念。『売れる鉄板フロー』に乗せられる子だよ。面倒なんだ、新人売り出すのって。努力しても大体売れない。なら、初動で最低限は稼げる子から採用する」
「……最初から、売り出すつもりがないってことですか」
「そうだよ。だって、俺たちは会社員。自分の評価と給料が大事。売れない新人アイドルに時間を割いても、得る物がない。王道売りじゃない子は、事務所の水増し要員だよ」
思わず息を飲む。SweetS*BoXは、やたらとお菓子要素を盛られた。お菓子柄のゴスロリ、お菓子モチーフの楽曲、各自のお菓子に詳しくなる……とにかくお菓子。本音は、もっと普通の衣装と楽曲がよかった。
遠回しに、SweetS*BoXは最初から期待されてない、と言っている。
悔しくて震えた。七年間は、最初から無駄だった。
「……けどさ、できれば叶えてあげたいじゃない?」
寂しそうな声で、そっとなにかを握らされる。ピンクの銀紙――チョコレートだ。
「これでもディレクターなんだ。突発的なときは出演者になるけど、普段は番組を作ってる。今日の枠も俺の番組」
「じゃあ……アイドルオタク、っていうのは……」
「出演者になるアイドルを探しまくってるだけ。けど一人じゃ限界あってね。頑張るアイドルに理解あるアシスタントを探してる」
真木さんは、一枚の紙を私にくれた。なにかの画面をプリントアウトした物だ。
「派遣の募集?」
「そ。なかなか決まらないんだ。だから、本社で契約終了間近の優秀な派遣社員をもらっちゃおうかなって。調べてたら、きみの名前があったんだ」
「有難いですけど、派遣は上限三年です。退職しちゃったから無理ですよ」
「うちは子会社なんだ。本社は契約終了。子会社名義で再雇用はできる」
またチョコレートをくれた。今度は赤、黄、青などいろいろだ。メンバーカラーと同じ色で、SweetS*BoXを思い出す。
「お菓子箱を作って欲しいんだ。俺と一緒に」
――みんなでお菓子箱を作ろうね。
これはSweetS*BoXの初期メンバーで考えた言葉だった。たくさんの夢を、ファンのみんなと叶えていこうという約束。CHOKOとしては、諦めたことだ。
チョコレートをぐっと握る。
派遣は使い捨てだ。今度こそ正社員を探したい。
けど、悪い気はしない。こんな風に私を必要としてくれる人がいるなんて。
私はチョコレートを一つ口に入れる。懐かしい味だ。もらってくれるファンが少なすぎて、ほとんど自分で食べていた。
けど、本当は誰かと一緒に食べたかった。
書類を受け取り、私は頷く。
「……はい。よろしくお願いします」
「有難う! よかった。嬉しいよ」
目に見えて、真木さんは笑顔になった。チェキに一番多く並んでくれるのは、いつも、のりまきさんだった。
アイドルとファン。上司と部下。七年間の成果は、思いもよらないところへ着地した。
頑張ろう――決意すると、真木さんがまたチョコレートをくれる。今度は違うチョコレートだ。包装は似てるけど、有名なブランドのチョコレート。
「今度は、二人だけでチョコレートを食べさせて」
「は!?」
「じゃあ、派遣会社には連絡しておくから」
「え、ちょ、ちょっと」
言うだけ言って、真木さんは逃げていった。うしろでは他の社員が笑ってる。少し恥ずかしい。でも。
……好きかもしれない。物語っぽい出会い。
アイドルのための深夜放送は、白石知世子の新しいスタートになった。
所属事務所の玄関前で、私のアイドル人生が終わった。
「あ、今回で契約終了だから」
すれ違いざまに、マネージャーがサラッと言い捨てる。スマホを弄りながら、私の顔も見ずに去っていく。
あまりにも自然で、理解に数秒を要した。慌てて走り、マネージャーの腕を掴む。
「ちょ、ちょっと待ってください! じゃあ、『SweetS*BoX』は」
「解散。SNSで挨拶しといて」
「挨拶!? ライブは!? 解散ライブとか!」
「ファンクラブ会員ゼロで? 無理だって」
鼻で笑われ、マネージャーとは二度と会わなかった。
それでも、最後にSNSで解散投稿だけはした。しっかりと、いつも通りに。
『CHOKOの笑顔でCHOKOっと幸せ☆ チョコレート担当、CHOKOです!
SweetS*BoXは解散だけど、個人の活動は続けます。
応援してくれたら嬉しいな🍫
では! 最後は一緒に!
🍬いつかまた、みんなでお菓子箱を作ろうね!🍬』
SweetS*BoXの決め台詞で締めくくった投降は、リプは五件、いいねは二十三件。ようするに、需要のないアイドルだった。
いまもアカウントは消していない。アイドル最後の一言は、私の意地だった。
けど、さっさと削除すべきだったのかもしれない。
握手会に五人しか来なくても、全力で笑顔を作った。『CHOKOちゃん、今日もCHOKOっと幸せもらったよ!』そう言ってくれるファンのために。
だから個人活動なんて見栄を張った。地下アイドルとして頑張ってみたけど、チケットノルマは全額赤字。やる気とともにCHOKOは自然消滅したけれど、誰も気に止めなかった。
そして、アイドルとしてのプライドは、二十三歳になった私の足を引っ張っている。
「今回で契約終了になります」
四年前と同じ言葉で、私の派遣勤務は終わった。
派遣会社の担当者から突きつけられた、唐突な死の宣告。狭い会議室で、思わず身を乗り出してた。
「クビってことですか!?」
「いえ。契約終了、ですね。派遣社員なので」
「満期は来年じゃないですか! 二年半も勤めたんですよ!? 残業だって文句言わずに!」
「派遣勤務は、満期を確約するものではありませんから。番組の再編成で、業務がなくなるそうなんです。それに、残業は契約内です」
「そんな……」
勤め先は、未練がましく縋りついた芸能業界。大手ネット動画配信の番組表を作るという、地味なデータ登録作業だ。アイドルに集中して、ろくな勉強をしてこなかった私は仕事を選べない。
短大を卒業したものの、私は就職活動をしていなかった。派遣しか道はない。
それでもエンタメの傍らに在籍するのは、やはり意地だった。
……満期まで働けば正社員になれるかも、なんて思ってた私が馬鹿だった。
そして、クビと知っても仕事はある。重い気持ちで仕事をし、いよいよ契約終了日になった。荷物をまとめて、パソコンを返却すればお終いになる。
みじめにも、一人寂しくランチから戻ってデスクの片づけを始めた。そんなときだった。
「白石さん。これ、明日までだって」
「……はあ。でも、私今日で退職なんで」
「だから、今日はまだ社員でしょ? できるとこまででいいから、やっといて。終わらなかったら、他の派遣に引き継いどいてね」
ポイっと書類を投げられ、私は呆然とした。
引継ぎするほうが面倒にきまってんでしょ!
なんて、心の中で叫びつつも笑顔を作らなくてはいけない。所詮は派遣だ。文句を言って『勤務態度が悪かった』と、派遣会社へ報告されたら困る。
「は~い」
笑顔を作っただけでも褒めてほしい。
最終日くらい配慮をしてほしかった。でも、わかっていたことだ。
この会社は派遣に冷たい。退職のお別れ会どころか、特別な挨拶もない。
派遣社員は使い捨て。世の習いだ。
それに、『今日はまだ社員』は正しい。最終日は働かなくて良しなんて、契約書には書いていない。
結局私は、苛立ちを抑え込みながら仕事をした。締切りが明日なら、今日中に終わらせろということだ。本来八時間労働の仕事を、十三時半のいまからやれと。
……次の仕事までの軍資金と思おう。
明日から無職だ。残業代を貰える仕事はいっそ有難い。
振りきって、私はパソコンに向き直る。鬼のように手を動かしたけれど、終わったのは一時半すぎだった。
「最終日まで終電越えで、ねぎらいの言葉もなし」
まあ、でもいつものことだ。せめて最後まで会社を活用してやろうと、終電越えのときに許されるタクシーチケットをもらいに行った。
チケットは撮影スタジオの受付で貰える。窓口をノックすると、いつもの青年が顔を出してくれた。
「タクシー?」
「うん。お願いしま~す」
唯一の救済だ。自宅までタクシーなんて、五千円は軽く超える。
さっさと帰ろうと思ったけど、「あれ」と首を傾げられた。
「白石さん、退職になってるよ。退職者には配布できないんだけど」
「今日は社員ですよ、まだ」
「ああ、そういう。でも、ごめんね。俺らはデータ上『配布してOK』になってる人にしか、渡せないんだよね。人事に聞いてみてよ」
「えぇ~!? 誰ですか、人事って。まだいるんですか?」
「さあねぇ。俺も派遣だし、わかんない」
ごめんね、と謝られて窓口を締められた。深夜一時に、バックオフィスの社員がいるわけない。誰だかも、部署のあるフロアも知らない。
「つまり、自腹で帰れと……?」
いまは十二月だ。初旬も過ぎ、歩くのはつらすぎる。
思わずしゃがみこんだ。元気に帰れというほうが無理だ。
始発までおよそ五時間。近くのネカフェなら、六時間パックで二千五百円。鍵付き個室とシャワーを使っても、タクシーよりはまだ安い。
深夜の乗り越えかたばかりが身についた。諦めて立ち上がると、わいわいと話し声が聴こえてきた。一階には収録スタジオが隣接していて、地下駐車場へのエレベーターがある。深夜に撮影があるときは見かける景色だ。
芸能人を見る目的で働くバイトや派遣は、喜ぶところだろう。でも、私ときたら。
輪の中央には、アッシュの髪色をしたハーフの青年がいる。この会社で番組を持ってる、海老原ハイセという人気モデル。後続は、最近よくみるアイドルグループだった。
私は、あのスタジオへは入室できない。業務に携わらない派遣社員には、入室権限がないからだ。でも、実は一度だけ入ったことがある。
SweetS*BoXで、出演させてもらった地上波の番組があった。収録をしたのが、このスタジオ。
実を言えば、派遣先に選んだ理由でもある。
誰かが私を憶えてて、ピックアップしてくれるんじゃないか――なんて。
けど、シンデレラストーリーは、創作の中にしかない。
それに、もう二十三歳。アイドルなんて年齢じゃない。アイドルの七年も派遣の二年半も、すべて無駄だった。
CHOKOって呼んでくれる人は、もう一人もいな――
「チョコ」
「……え!?」
CHOKO。SweetS*BoXだった私の名前が、うしろから男性の聴こえた。
つい、思い切りふり向く。立っているのは、二十代後半くらいの青年だった。
もしかして、もしかして奇跡が――なんて、思っていると、目の前になにかを差し出された。
ピンクの銀紙に包まれた、丸いチョコレート。
「チョコ、どうぞ」
「は?」
「疲れたときは甘い物。美味しいよ。業務用だけど」
がくりと肩が落ちる。CHOKOを呼んだのではなく、チョコレートどうぞ、という声掛けだ。
当たり前だ。わかっているのに、まだ期待してる自分に呆れる。
挫けた私の心境など知るわけもなく、青年はぐいぐいとチョコレートを押し付けてくる。見ず知らずの人間にもらった物なんて、食べられるわけもない。
けれど、受け取るのを待っているのか、一向に手を引いてくれなかった。諦めて受け取ると、青年は自分も一粒口に放り込む。けれど帰ろうとせず、私の前に立ったままだ。
なんだ、この人。間違いなく変人だ。
けれど、首には社員用の入館証をぶらさげている。こんな怪しい人間以下なのか、私は。
ひどく悔しく思うところなのだが、若干許せてしまった。
というのも、驚くほど美形だからだ。ただの社員と言われても信じられない。元芸能人か、はたまた芸能人と会社員の兼業か。いずれにせよ、妖艶な雰囲気は妙に惹かれる。
どういう社員なのか気になっていると、青年はにっこりと微笑んだ。つられて笑顔を返したけれど――
「クビになった白石さんだよね」
「あぁ?」
すぐに私の顔は引きつった。
なんだ、こいつ。喧嘩売りに来たのか、こんな深夜に。
さすがにイラつく。やり返してやろうと思ったけれど、私が声を出すより先に手を握られる。
「おいで。お菓子箱を作りに行こう」
「……は?」
その言葉は。
――いつかまた、みんなでお菓子箱を作ろうね。
SweetS*BoXの決め台詞。CHOKOとして最後の言葉。
手を振り解けなかった。どこへ連れて行かれるかもわからないのに、私はただついて行った。
*
私の手を握ったまま、青年は足早に進んだ。
SweetS*BoXを思わせる言葉に、心臓が大きく跳ねる。
もしかして、本当にアイドルの私を見つけてくれたのだろうか。もう一度、きらめいたステージに立てるチャンスがあるのかもしれない。
人の少ない深夜のオフィスを通り抜ける。静まり返っていて、一人なら怖かった。でも、この先に光る場所がある。
胸は高鳴った。オーディションでもやってるんだろうか。人気アイドルが急に来られなくなって穴埋め、なんてこともありえる。
でも、なんでもいい。もう一度、芸能界にもどれるなら――そう思っていたら、青年が私をちらりとみた。慌てて笑顔を返すと、ふっと軽く笑われた。
「派遣は使い捨てだよ」
「は?」
「派遣より無能な正社員がいても、切るのは派遣。使い捨てていい存在なんだよ、きみらは」
SweetS*BoXのわずかな輝きを、突如ぶち壊された。
……だったらなんだってのよ!
言われなくても、わかってる。「いつか正社員に」なんて、ありえない。正社員になれる派遣は、紹介予定派遣として提案されてる。でも私の仕事は『派遣』だった。
最初からわかってた。三年勤めて無駄だって。データ登録の仕事なんて、キャリアのプラスにもなりゃしない。
でも口にしたら負けのような気がしてた。アイドルとしての意地が、負けを許さない。その時点で、私は敗北してたんだ。
顔を上げることもできず、私は青年から目を逸らす。それでも青年は言葉をとめない。
「稀に派遣から社員登用される人もいるんだ。どんな人だと思う?」
「……優秀な人ですか」
「優秀ってのは、具体的になにをすれば『優秀』なの?」
「え? なにって……」
知るか、そんなの。こっちが知りたい。
答えられず口をとがらせていると、青年はまた軽く笑った。
「だからきみは駄目なんだ」
……なんなんだ、コイツ!
私は青年の手を振り払う。ついて行って、なにかあるとも思えない。
それでも言っていることは正論だ。私は言い返すこともできずにいると、青年はポケットからまた同じチョコレートを取り出した。
「とりあえず、落ち着いて。チョコでも食べなよ」
気分を悪くさせてる本人が、なにを偉そうに。受け取ってなどやるもんか。
改めて睨みつけた。すると、ふと気がつく。このチョコレートは見覚えがあった。
ピンクはCHOKOのメンバーカラー。ファンと交流するときに、一粒を手渡していた。個包装で渡しやすいのと、業務用だから安い。
なにかといえば、バラまいていた。
「よくバラまいてるんだ」
「え?」
「手ごろだよね。個包装だから手渡ししやすい。業務用だから値段も安い。便利だ」
――知ってるんだ。CHOKOを、絶対に知ってる。
知らなければ出てこない言葉ばかりだ。
「……あなた、一体」
誰――聞こうとしたときだった。バタバタと走る足音が聞こえてくる。青年の向こう側から、ヨレヨレのTシャツを着た男性がやって来た。
「のりまき! やっぱり変更出た!」
「のりまき?」
なんの話が始まったのかわからず、首を傾げた。
青年は私の手にチョコレートを押し込むと、Tシャツの男性が持っている書類の束に視線を落とす。
「でしょうねぇ。まだ誰か残ってます?」
「呼んだけど、二時には間に合わない。それまで頼める?」
「大丈夫ですよ。ちょうど、新しい子が来たとこなんで」
ぐいっと腕を引っ張られ、私はTシャツの男性の前に立たされる。
「ちょっと、なんですか?」
「すごいですよ。本社で残業慣れしてるから即戦力。番組表のデータ登録してたから、おおまかな番組構成もわかってる」
なんで私の仕事内容なんて知ってるんだ。誰なんだ、この人。
問い質そうとしたけれど、両肩を掴まれ動けなくなる。そして、にっこりと微笑まれ、あろうことか言われたのは――。
「しかも、アイドル失敗経験アリ」
「はぁ!?」
そんなこと百も承知だ!
さっきから、なんなんだ! 切られた派遣を笑い者にしたいのか!?
怒りで頭に血が上ったけれど、ふと気づいた。
なぜ、私が派遣勤務で、どんな仕事をしてるかまで知ってたのか。
一億万歩譲って、CHOKOを知っていたとしても、いまの私は一般人だ。顔と名前と業務内容なんて、把握される覚えはない。
――いつか、誰かが私を見つけてくれる。
それは、どんな確率だろう。実際に生じたら、どんなふうに始まるんだろう。
突然に名前を呼ばれて、突然にステージに乗せられる。そんな怪しい状況なんじゃないのだろうか。
「……あなた、誰ですか?」
突然現れた怪しい青年は、もしかして。
「さあ、お仕事だ。こっち」
また腕を引かれた。けれど、仕事、という言葉で我に返る。
「待ってください! 仕事ってなんですか!? 私ここの関係者じゃないんですけど!」
「今日はまだ社員でしょ?」
「そ、そう、ですけど。私データ登録くらいしかしてなかったですよ。他の部署でできることなんてありません」
「できるよ。だって、僕は知ってるからね」
「知ってる? なにを、ですか」
「きみは、人を笑顔にする方法を知ってる人だよ」
青年はまたポケットからチョコレートを出した。ピンクの銀紙だ。
私の掌にチョコレートを乗せて、ぐっと強く握りしめられる。
「CHOKOの笑顔でCHOKOっと幸せ」
このチョコレートは業務用で、色はアソートだ。黄色や青、たくさんの色がある。そこからピンク色だけを選び抜かなければいけなかった。
本名、白石知世子。スイーツモチーフのグループだから、芸名はCHOKO。
「さあ、お菓子を詰めにいこう」
キラリとピンクの銀紙が光った。深夜のオフィスを照らす蛍光灯は、アイドル衣装を照らすスポットライトのように感じられた。
*
流されて押し込まれたのは、機材の並ぶ部屋だった。
細長い部屋で、テーブルの半分はなんだかわからない機械で埋まっている。半分にはマイクが置いてあり、ヘッドフォンもある。
くつろぐほどの広さはない部屋でなにをするのか、なんとなく想像がついた。
「……ラジオ?」
「配信室だよ。初めてでしょ。SweetS*BoXは、ネット配信の枠も持ってなかったし」
よく、知っている。事務所に所属してるアイドルは、事務所の持っている枠に出してもらえることがある。しかしSweetS*BoXは呼んでもらえなかった。
なにしろ、センターの子の人気だけが頼りだった。彼女は単独でラジオに出ていたけど、他のメンバーはなにもない。
詳細な内情は、SweetS*BoXを知らなければ出てこない情報だ。ウィキペディアにだって、SweetS*BoXのページはない。
憧れてた。ラジオを馬鹿にする人も多いけど、私には夢のような場所だった。
そこに、いま立っている。CHOKOを知ってる人に導かれて。
「……あの、私、ここでなにを……」
「出演予定の子が病欠になったから、ピンチヒッターを手配してるんだ。でも、到着が二時を過ぎるから穴埋めをしなきゃいけない。座って、ヘッドフォン付けて」
「え、あ、は、はい!」
言われるがままに、私は椅子に座った。
穴埋め。穴埋めで、まさか、使ってもらえるのだろうか。CHOKOですらなくなった私を。アイドルとして失敗した私を。
緊張しながら指示を待つと、青年はヘッドフォンをつけた。私も装着すると、青年はカチカチと機材のスイッチを操作する。すると、耳に「3、2、1」と声が聴こえた。軽快な効果音が流れ、青年がすうっと口を開く。
「始まりました。『深夜2時のアイドルたち』。今日も推しと夜更かし、しちゃいましょう」
……え!? 始まるの!? 始まったの!?
そんな始まりかた、あるのだろうか。イメージでは、台本があってトークして……というのがラジオだ。でも、青年はなにも持っていない。私の手元にも資料はない。
なにをするのかすら指示がないのに、なにをしろというのか。
さすがに慌てた。すると青年は、私の掌を突く。ピンク色の銀紙のチョコレートが、ころんと揺れた。
ぽんっと私の手を軽く叩き、青年はしゃべり続けた。
「この番組は、ブレイクを目指すアイドルたちを応援しています。リスナーも一丸となって、推しを大きなステージへ連れて行っちゃいましょう!」
軽い説明の感想は、視聴率悪そう、だ。
人気のないアイドルを出したって、聞くファンがいない。しかも深夜2時ともなれば、聞いてる人口のほうが少ないだろう。
窓の外は真っ暗だ。立ち並ぶビルの数か所に電気がついている。きっと、同じく残業中なのだろう。それもポツポツと数えるほどしかない。聞いてる人は、明かりの数より少ないに違いない。
けれど、少しだけ胸が高鳴った。視聴者がいようがいまいが、出演するアイドルには大事な仕事だ。ラジオからステップアップを狙っているかもしれない。
駄目もとでやってくれるのは、視聴率が悪くても許される深夜枠くらいかもしれない。
CHOKOは、深夜すらも許されなかった。
――ちゃんとやろう。
なぜ、ここに座らされたのかはわからない。待ってる視聴者はいないかもしれない。でも、出演するはずだったアイドルがいる。なにかしてあげたい。
せめて出演者情報くらいもらえないかと思ったけれど、突然青年が、パンッと両手を合わせて頭を下げている。
「まずは、ごめんなさい! 今日のゲスト、天宮有理香ちゃん。体調不良でお休みです! また来てもらうから、楽しみにしててくださいね!」
本当に悪いと思っていそうな顔だった。ラジオで頭を下げても、表情を変えても、視聴者には見えない。声が全てだ。ましてやアイドルの病欠は配信側の責任じゃない。
体調管理もアイドルの仕事。体調を崩して仕事を逃すなんて、やる気ないのか、と思われてもしかたがない。深夜枠だからって馬鹿にしてるんだろうと言われるかもしれない。
けれど、青年は必死に謝っていた。天宮有理香なんて、聞いたこともないアイドルのために。活動情報を読み上げ、聞いたことのないライブハウスの魅力まで語っている。有理香ちゃんのステージングにぴったり、なんて。
見た目からは想像できない熱量で、小さなライブハウスの魅力を語り続けている。テンポもリズムも聞きやすい。なにより、声がイイ。
やはりただの社員ではない。一般人にしては声が独特だ。私もボイトレしてたから、多少はわかる。きちんと練習した人は声が違う。
なにをしてる人なのか気になった。じっと見つめていると、ぱちりと目が合う。整った顔立ちで微笑まれ、ついドキリとした。けれど、トキメキでは終わらなかった。
「そして、有理香ちゃんのピンチヒッター! 急遽来てくれたのは、四年前、惜しまれつつ解散したSweetS*BoXのCHOKOちゃんで~す!」
「えっ!?」
「まずはCHOKOちゃんに挨拶もらっちゃいましょう! どうぞ!」
どうぞ!?
私は慌てた。ここで慌てないで、いつ慌てるのか。するとそのとき、つんっと掌を突かれる。
ピンク色の銀紙で包まれたチョコレートは、強く握りすぎて溶け始めている。
CHOKOのチョコレートは、とうの昔になくなった。でも、消えたわけじゃない。
ぐっとチョコレートを握りしめ、私は大きく息を吸い込み叫んだ。
「CHOKOの笑顔でCHOKOっと幸せ☆ チョコレート担当、CHOKOです! よろしくお願いします!」
虚しく響いた。誰も待ってないCHOKOのキャッチフレーズ。
それでも、たった一人だけ拍手をしてくれた。青年は、大袈裟なくらいに手を叩いてくれている。演出だ。盛り上がってるように見せる、ちゃちな演出。
誰かに演出をしてもらえたのは、初めてだった。
目頭が熱くなり、涙がこぼれる。深夜の小さなラジオ番組。天宮有理香は、どんな気持ちで聞いてるだろう。
青年に頭を撫でられる。揺れると涙が落ちた。
なにをさせられるのかは、わからない。でも、天宮有理香へ繋いであげたい。
私は涙をぬぐい、ふう、と大きく深呼吸してマイクに向かった。
「有理香ちゃんじゃなくて、本当にごめんね。誰これ状態でしょ」
「四年前ですからね、解散。じゃあ、SweetS*BoXを知らない人のために軽く説明。名前の通り、お菓子がモチーフ。衣装も曲もあま~いアイドル!」
「あはは。懐かしい。そういう紹介でした、当時」
「七年間、変わらずだったよね。メンバーは第一期が五人、第二期が七人、第三期が三人。第一期から解散まで在籍してたのが、CHOKOちゃん一人!」
「売れないアイドルあるあるですね。いつのまにかメンバーが減ってる」
「厳しい世界ですからね。CHOKOちゃんは、なんで辞めなかったんですか?」
「そこは『続ける秘訣は』とかではなく?」
「いやあ。俺はアイドル反対派なんで」
「へ?」
番組コンセプトとは真逆の発言に、口がぽかんと空いた。
「えっと、この番組、アイドルを応援するのでは?」
「応援しますよ、アイドル本人を。ただ、応援の方向が斜め下」
「というと」
「あなたの人生、アイドルに費やしていいんですか?」
――途端に理解した。私を座らせた理由。
わかってしまうと、とてもがっかりした。失望と納得が同時に押し寄せる。
でも、適任だなとも思ってしまった。
「今日は、リスナーのみんなには辛い話かもしれないです。でも、聞いてほしい」
青年は険しい顔になり、じっとマイクを見つめた。見つめる先は、アイドル志望の子たちだ。
「ハッキリ言って、アイドルは使い捨てです。若い時期を消耗され、二十代後半になればお払い箱。卒業したら仕事がなくなり引退。なるのは大変なのに、失速は一瞬です」
……すごい話するな、この人。
「一番嫌なのは、普通の就職も難しくなること。たとえば、中学高校でアイドルに集中して、大学も就活もおろそかにした。歌って踊る以外は、学も技術もない。そこから就職って厳しいですよ。だって『勉強そっちのけでアイドルやったら失敗したので、御社に入れてください』って状態の奴、雇わないですよ。企業側だって」
まさに、いまの私。耳が痛い。
やっぱり、失敗談を語らせるために私を置いたんだ。
「俺は、学生時代に地下アイドルやって辞めて、普通に就職するのが妥当だと思う。けど、CHOKOちゃんは七年間アイドルを続けたよね。いまの生活、どうですか?」
腹は立つ。突然引っ張り込まれて、不愉快な話をさせられるなんて。
でも、もっと早くにこういう話を聞きたかった――とも思ってしまった。
真面目な表情で、青年は私を見ている。CHOKOとして、本当に最後のときがきた。
「……良くはないですね。いま派遣社員なんですけど、会社側の都合で契約終了になりました。派遣もアイドルと同じ、使い捨てです。企業の全部がそうだとは言いませんけど」
「就活はしなかったの?」
「はい。短大だったんですけど、アイドルに賭けちゃって。おっしゃるとおり、学も技術もない。使い回しの利く仕事しかできません」
「けどさ、それも雇用次第だと思わない? 派遣制度そのものがどうかと思うんだよ、俺は。政府は『雇用の流動化』とか『スキルアップしやすいように』なんて言うけど、権力者と富裕層の戯言だよね。流動したくないんだよ、こっちは」
「キツイこといいますね……」
「でも、実際そうじゃない? 心底国民を思うなら、終身雇用を約束したうえで挑戦をさせてほしいよね。生活さえ安定してれば、何歳だって芸能界を目指せる。夢を諦めて人生を妥協するのは、いつだってお金がないからだ」
「ん~……でも、働かずにお金くれとは言えないですからね」
「そうだよね。政治はすぐには変わらない。だから、みんなには考えてほしいんだ」
ぐっと手を握られた。ラジオでは伝わらない熱が、私の手に沁み込んでくる。
「夢を諦めろとは言わない。でも、現実的にどうするかは考えておいたほうがいい」
――ああ、もっと早くに聞きたかった。
どうして、この人はいま私を捕まえたんだろう。なぜ――不思議に思っていると、バンッと扉が開いて男性が入ってきた。ささやかな蛍光灯で、アッシュの髪が光る。
「なーに偉そうなこと言ってんだ!」
「わあ!」
ドカッと青年を押しつぶしたのは、さっき見た顔。
「海老原ハイセ!」
「どうも~」
ついさっき、スタジオで見た。あちこちの雑誌で表紙を飾り、着用した服は即完売。人気モデルの襲撃に、私は息を呑むしかなかった。
*
青年は嫌そうな顔をして、頭を抱えていた。海老原ハイセは、ニヤつきながら青年の隣に腰かける。
「どうも~。本職パーソナリティの海老原ハイセです。緊急招集いただきました。ここからはプロがやりますよっと」
当然のように海老原ハイセは喋り始めた。
けれど、不思議に感じる。海老原ハイセはモデルのはずだ。プロのパーソナリティという認識はない。思わず見つめていると、ニヤリと海老原ハイセは笑った。
「CHOKOが不思議そうにしてる。俺のこと、モデルだと思ってるでしょ」
「はい。え、違うんですか?」
「違わないよ。けど、芸能活動はこのラジオ局からなんだ。パーソナリティ」
「そうなんですか!? それで、今日も?」
「うん。こいつとは大学の同級生。ヘルプが必要なときは参上してま~す」
ペチペチと額を叩かれ、青年は鬱陶しそうに手を振り払う。
「ったく。いいとこで持ってくよなぁ」
「なにがいいとこだよ。もっともらしいこと言ってるけど、こいつ単なるアイドルオタクだからね。現役CHOKOちゃんとも、チェキめっちゃ撮ってたし」
「へ?」
チェキはアイドルお馴染みのファンサービスだ。私のファンなんて数えるほどだったけれど、その中に、この人が?
とても信じられない。こんなに整った顔の人がいれば、絶対に覚えてる。まじまじと見つめると、青年は急に顔を赤くした。海老原ハイセの衿を掴んで睨みつける。
「ハイセ! 黙ってろって言っただろ!」
「いやだね。憶えてない? いつも、のりまきTシャツだった男」
のりまきTシャツは記憶にあった。
チェキは、購入したCDの枚数に応じて受け付ける。人気の子は列になるけど、私は固定の五、六人が何週もしてくれていた。だから顔と名前はよく憶えてる。
たしかにいた。いつも、のりまき柄のTシャツ。ファンレターにものりまきイラスト。シールものりまき。とにかくのりまき。
ファンは推しに覚えてもらう工夫を凝らす。この人はのりまきを選んだんだな~くらいに思っていた。他に感じたことと言えば。
「あの、きったない人!?」
「う……」
「わはははは! そうそう。あの汚い奴!」
ずっと同じTシャツを着まわしていたからか、すっかりくたびれていた。目にクマがあることも多くて、髪もセットとは無縁。推しに会うなら綺麗にするべきでは、なんて偉そうに思った覚えがある。
「ずいぶん変わりましたね……てか、なぜのりまき?」
「名前。こいつ『真木久則』っていうの。フルネーム英語でいうと?」
「HISANORI MAKI……あっ、のりまき……」
名前の後半二文字と姓を並べると『のりまき』だ。
「あはははははは! すっげぇ面白いでしょ!」
「うるさいな! お前だって伊勢エビだろ!」
「のりまきよりは豪華だろ~?」
「HAISE EBIHARA……あっ、伊勢エビ……」
「笑えるでしょ。だからSweetS*BoXは気になったんだよ。食べ物ネーム」
「あ、なるほど。ちなみに私は知世子だからCHOKOです」
「いっそ食べ物番組にする? わはははは」
海老原ハイセは笑い倒した。深夜だというのに、ブースは一気に明るくなる。配信スタッフにも笑顔が増えて、スタジオ中のテンションはあがっていった。
華がある、というやつだろうか。トップモデルの海老原ハイセは眩しい。SweetS*BoXには、なかった輝きだ。
それから、ラジオは男性二人の会話で進んだ。コンビニの新商品が好きだった、電車が人身事故で困った、ささいな普通の話しかしていない。それでも番組は盛り上がっていく。
ついにはリアルタイムでメールまで届いた。SNSで海老原ハイセの出ている情報が回ったようで、読み切れない量が届き続ける。中にはSweetS*BoXを調べて、私を可愛いと言ってくれるメールもあった。
その中から、海老原ハイセは一通だけピックアップして読んでくれた。
選ばれたメールは、天宮有理香の体調を心配する内容。海老原ハイセのことでも私のことでもない。もっとも視聴率を稼がない、未熟なアイドル。番組としては当然だろうけど、なんだか、とても嬉しく思える。
あっという間に一時間が経ち、 私は「CHOKOでした」と名乗って終わった。
「おつかれ。やっぱり、のりまきとエビのセットはファンが根強い」
「大学のときは、結構な人気セットだったんだよ」
とても気さくに、スタッフは話しかけてくれた。私のような、正体不明な人間にも優しい。
一方で、真木さんは疲れていた。海老原ハイセに絡まれている。トップモデルに並んでも見劣りしない。顔出しすれば、いまでもセット売りをできそうだ。
ついじっと見つめていると、真木さんは恥ずかしそうに目を逸らす。すると、海老原ハイセがまたも圧し掛かってきた。
「ごめんね~! ガチ勢だから、こいつ。ここに就職したのも、SweetS*BoXが唯一メディア出演した会社だったからだよ」
「え」
じいっとのりまきさんを見ると、海老原ハイセのほうへ身体を向けた。
「さっさとスタジオ入れ! 二番!」
「はーいはい」
真木さんは海老原ハイセの背を押して、スタジオへ放り込んでしまった。スタッフも笑っていたけれど、私としては聞きたいことだらけだ。
つんっと腕を突いてみる、恥ずかしそうな顔をしている。
「最初のキツい感じは、なんだったんですか?」
「……物語みたいな出会いがしたいって言ってたろ。ミステリアスな人が好きとか」
「あ~……」
言った、かもしれない。けれど、あまり憶えていない。可愛いCHOKOを作るのに必死で、思ってもないことを言っていたから。少なくとも、ミステリアスが好みだったことは一度もない。おそらく、適当に言ったことだろう。
虚構を本気にして、実行してしまった。この美形が。
急に愛おしさを感じる。小さく笑いを零すと、真木さんは、困ったように頭を押さえた。
「ぜんぜんカッコつかないよ。せっかく社員らしい話をしようと思ってたのに」
「海老原さんが来るまでは、ちゃんとしてましたよ」
「じゃなくて。派遣の話。具体的になにをすれば『優秀』か」
「え? ああ、最初の話……」
思い返せば、仕事の話をしていた。優秀なら社員登用もするらしいが、退職決定の私には関係ない話だ。
明日から無職。天宮有理香の応援をしてる場合じゃない。嫌な現実に、私は少し俯いた。
すると、コツンっと頭を小突かれる。
「優秀な奴は、自己分析と努力の方向が正しいんだ。きみはデスクワーク向きじゃないよ。アイドル経験を活かして、現場を支えるほうがいい」
「……私が駄目って言ったのは」
「自己分析が正しくない。適正ミス。だから、失敗を活かして成功しようよ」
「成功?」
「俺は、芸能界を目指す子にはチャンスを作ってあげたい。けど、ぶっちゃけ、頑張っても無理な子ってわかるんだよね」
「ラジオ制作者の勘ですか」
「違うよ。社会人経験。芸能人にかかわらず、商品が売れるかどうかは広告費なんだよ。お金をかけもらえれば売れる。事務所がお金をかけるのは『売れる』見込みのある子。どんな子が売れると思う?」
「それは、才能と努力によりますよ」
「残念。『売れる鉄板フロー』に乗せられる子だよ。面倒なんだ、新人売り出すのって。努力しても大体売れない。なら、初動で最低限は稼げる子から採用する」
「……最初から、売り出すつもりがないってことですか」
「そうだよ。だって、俺たちは会社員。自分の評価と給料が大事。売れない新人アイドルに時間を割いても、得る物がない。王道売りじゃない子は、事務所の水増し要員だよ」
思わず息を飲む。SweetS*BoXは、やたらとお菓子要素を盛られた。お菓子柄のゴスロリ、お菓子モチーフの楽曲、各自のお菓子に詳しくなる……とにかくお菓子。本音は、もっと普通の衣装と楽曲がよかった。
遠回しに、SweetS*BoXは最初から期待されてない、と言っている。
悔しくて震えた。七年間は、最初から無駄だった。
「……けどさ、できれば叶えてあげたいじゃない?」
寂しそうな声で、そっとなにかを握らされる。ピンクの銀紙――チョコレートだ。
「これでもディレクターなんだ。突発的なときは出演者になるけど、普段は番組を作ってる。今日の枠も俺の番組」
「じゃあ……アイドルオタク、っていうのは……」
「出演者になるアイドルを探しまくってるだけ。けど一人じゃ限界あってね。頑張るアイドルに理解あるアシスタントを探してる」
真木さんは、一枚の紙を私にくれた。なにかの画面をプリントアウトした物だ。
「派遣の募集?」
「そ。なかなか決まらないんだ。だから、本社で契約終了間近の優秀な派遣社員をもらっちゃおうかなって。調べてたら、きみの名前があったんだ」
「有難いですけど、派遣は上限三年です。退職しちゃったから無理ですよ」
「うちは子会社なんだ。本社は契約終了。子会社名義で再雇用はできる」
またチョコレートをくれた。今度は赤、黄、青などいろいろだ。メンバーカラーと同じ色で、SweetS*BoXを思い出す。
「お菓子箱を作って欲しいんだ。俺と一緒に」
――みんなでお菓子箱を作ろうね。
これはSweetS*BoXの初期メンバーで考えた言葉だった。たくさんの夢を、ファンのみんなと叶えていこうという約束。CHOKOとしては、諦めたことだ。
チョコレートをぐっと握る。
派遣は使い捨てだ。今度こそ正社員を探したい。
けど、悪い気はしない。こんな風に私を必要としてくれる人がいるなんて。
私はチョコレートを一つ口に入れる。懐かしい味だ。もらってくれるファンが少なすぎて、ほとんど自分で食べていた。
けど、本当は誰かと一緒に食べたかった。
書類を受け取り、私は頷く。
「……はい。よろしくお願いします」
「有難う! よかった。嬉しいよ」
目に見えて、真木さんは笑顔になった。チェキに一番多く並んでくれるのは、いつも、のりまきさんだった。
アイドルとファン。上司と部下。七年間の成果は、思いもよらないところへ着地した。
頑張ろう――決意すると、真木さんがまたチョコレートをくれる。今度は違うチョコレートだ。包装は似てるけど、有名なブランドのチョコレート。
「今度は、二人だけでチョコレートを食べさせて」
「は!?」
「じゃあ、派遣会社には連絡しておくから」
「え、ちょ、ちょっと」
言うだけ言って、真木さんは逃げていった。うしろでは他の社員が笑ってる。少し恥ずかしい。でも。
……好きかもしれない。物語っぽい出会い。
アイドルのための深夜放送は、白石知世子の新しいスタートになった。
