そろそろ菖蒲が家に着く頃かと、鍋をカセットコンロの上に置き、火にかける。三分も経たないうちにインターホンが音を立てる。ナイスタイミング。
火をかけたまま玄関に直行はできないから、リビングで座ったまま『入ってきて良いよ』と送る。『手も洗ってきて』と続けて送る。
「おじゃましまーす!」
「いらっしゃーい」
菖蒲はパタパタと軽やかな音を立てながらリビングに入ってくる。
リビングには、もつ鍋から溢れ出る匂いが充満していた。もつ自体は食感の問題で好き嫌いが分かれると思うけれど、もつ鍋となると万人受けする味に変わる。
もつ鍋のだしが、野菜にしっかり染み込んでいて美味しいから自分の中でも好きな料理のトップ10以内には入っている。
そのもつ鍋の匂いを感じたのか「わ、めっちゃ良い匂い!」とぱっと花が咲くように嬉しそうに笑って、でも突然ハッと気づいたように申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんね誕生日なのに夜ご飯作ってもらっちゃって……」
「誰の誕生日?」と聞くと「え…‥本気で言ってる? 今日10月10日だよ」と心配そうに見つめてきた。
スマホを取り出して、カレンダーを表示する。
今日が何日かも知らなかったし、全然まだ先だと思っていたから今日が誕生日なんて思いもしなかった。
「うわ、ほんとだ。めっちゃ忘れてた……だから母さん父さん、蓮からも荷物届いたのか……あー、納得」
仕事があったし、あんまり見る余裕もなくて誕生日プレゼントということにも気付かなかった。家族のグループチャットにプレゼントありがとう、とだけ送ろうと開くと三人からちゃんとお祝いメッセージが届いていた。
それも気付かなかったなんて…‥馬鹿すぎる。
「ちょ、開けてみて?」
「後で開けるつもり……けど、取り敢えず鍋食べよ。出来たから」
妙にそわそわしている菖蒲に箸を渡して、手を合わせる。
「いただきます」
声が揃って、顔を見合わせて笑い合う。はたから見たら、付き合ったばかりのラブラブのカップルだ。実際はそんな関係じゃないのに。蓮は、自分の弟と婚約者が一緒に過ごして笑い合っていることに何も思わないのか。嫉妬しないのか、それとも嫉妬するほど好きでもないのか。
真意はわからないけど、まぁいいか。俺がどうこうできる問題じゃない。
「はぁぁ、美味……」
「良かった良かった」
これでいい。菖蒲の笑顔が続くなら、どんな形でも。



