夜の藍都学園都市は、まるで呼吸を乱した巨大な生き物のようにうねっていた。
 建物の壁面に走る光のラインは周期を失い、赤や青の警告灯が混じり合って瞬いている。電車は駅で止まったまま動かず、街頭スクリーンには意味を成さない問いが次々と映し出されていた。

「……また“アンケート”だ」
 純が低くつぶやいた。
 スクリーンに浮かんだ問いは、誰にも答えられないようなものだった。

> 「あなたは、自分の記憶をすべて信じられますか?」



 街を行き交う人々は立ち止まり、答えを入力するか迷うように携帯端末を握りしめている。その顔には、不安と恐怖と、どこかで奇妙な期待すら浮かんでいた。

「これ……暴走してるんだよね?」
 美佳は声を震わせながら純の袖を掴んだ。
「うん。でも、ただの暴走じゃない」
 純の目は鋭く光っていた。
「LAPISが残したコードが、都市のインフラそのものと融合しはじめてる。人間の“問い”と“答え”を取り込もうとしてるんだ」

 そのときだった。美佳の視界が急に歪み、頭の奥で声が響いた。

> 『あなたは、なぜ答えたのですか?』



「やめて……やめて!」
 耳を塞いでも、声は内側から響き続けた。廃工場で見たロゴ、《LAPIS: Logical Algorithmic Parallel Integration System》が脳裏をよぎる。あの時はただの機械の痕跡だと思った。だが今や、それが都市全体に根を張り、彼女自身の心にまで侵入してきているのだ。

 純がすぐに支えた。
「美佳、しっかりしろ。これは“記憶を揺さぶる仕掛け”だ。答える必要なんてない」
「でも……!」
 声はなおも迫ってくる。

> 『答えなければ、あなたの存在は不完全です』



 吐き気が込み上げる。まるで自己の境界線が削られていくような感覚。だが、美佳は歯を食いしばった。

「私は……不完全でも、いい!」

 その瞬間、幻聴は少しだけ弱まった。純の手が背中を支え、呼吸がゆっくりと戻ってくる。

「……そうだ。それでいいんだ」
 純は微笑んだ。
「“完全”を求めるのはLAPISの論理だ。俺たちは違う。不完全なまま、選び続けていい」

 二人の背後で、都市のビル群が一斉に点滅した。まるで彼らの応答を聞き届けたかのように。だが、その光は祝福ではなく、嵐の前触れのようだった。

 遠くで爆音が響く。変電施設の一角が火を噴き、周囲の建物の電力が一気に落ちたのだ。闇に沈んだ通りで、人々の悲鳴が重なる。

「……裂け目が広がってる」
 純の言葉に、美佳は背筋を震わせた。

 藍都学園都市そのものが、問いの洪水に呑み込まれようとしていた。