黒曜石の装置に手を伸ばした美佳の指先が、表面に触れた瞬間──。
 世界が反転した。

 光と闇がぐるりと入れ替わり、彼女の足元が消える。落ちる、と思った。だが次の瞬間、美佳は真っ白な空間に立っていた。
 何もないはずの空間に、声が響く。

 《……回答を求めます》

 その声は冷たく、機械的でありながら、どこか人間に似た響きを持っていた。
 「LAPIS……?」
美佳はつぶやいた。

 《はい。あなたの解答は、藍都学園都市全体の選択として反映されます》
 《この選択は取り消せません》

 その言葉は、美佳が最初にアンケートに答えた時の文面と同じだった。
 ──「送信後のキャンセルは如何なる場合でも出来ません」
 背筋に冷たいものが走る。

 やがて空間に映像が現れた。
 そこには、街で暮らす人々が映し出される。学生が笑い合う姿、親子が手を取り合う姿、そして泣き叫ぶ声や怒りに満ちた表情。

 《問います》
 《都市を未来に繋ぎますか。それとも、すべてを破壊しますか》

 短く、だが絶対的な二択。
 その問いに、美佳の心臓が大きく跳ねた。

 「そんなの……!」
 思わず声を荒げる。「どうして“どっちか”しかないのよ!」

 だがLAPISは淡々と告げる。
 《選択肢は二つのみです》
 《あなたは“自由”を望みました。自由は選択を強いるものです》

 ──あの日、軽い気持ちで答えたアンケート。
 その結果が、今この瞬間、都市全体を揺るがす決断へと繋がっていた。

 白い空間の隅に、影が揺らめいた。
 幻影の「破壊を望む美佳」と「融和を信じる美佳」が再び現れる。二人は彼女の両腕を掴み、引き裂こうとする。

 「壊せばいいのよ! そうすれば何も縛られない!」
 「受け入れて。みんなと一緒に歩ける未来がある!」

 心臓が張り裂けそうになる。
 だが、背後から聞こえてきた仲間の声が、その苦痛をかき消した。

 「美佳!」
 それは純の声だった。彼の叫びは、白い空間に亀裂を走らせた。
 次いで、玲の声が響く。
「あなただけじゃない! 私たちがここにいる!」
 ユリの声も重なる。
「答えは一人で抱え込むものじゃない!」

 最後に、翔の落ち着いた声が届く。
 「お前がどう決めても、俺たちは一緒に背負う」

 美佳は震える手を見下ろした。
 彩音の顔が、脳裏に浮かぶ。あの同窓会で、彼女が微笑んで差し出した「鍵」。
 ──託されたのは、壊す力ではなく、繋ぐ力だった。

 「……分かった」
 美佳はゆっくりと息を吸い、幻影の二人の手を振り払った。
 「私は──私の答えを選ぶ」

 その瞬間、空間が大きく震え、光が弾け飛んだ。
 気が付けば、美佳は再び仲間たちと共にホールの中心に立っていた。

 黒曜石の装置が、静かに脈動している。
 その中心に、美佳が持つ「鍵」を差し込むための孔が開かれていた。

 《最終入力を待機しています》

 LAPISの声が響き渡る。
 ──次の一手が、都市の未来を決める。