旧校舎の扉が閉まると同時に、足元の床がわずかに震えた。
 冷たい空気が一気に満ち、どこかからノイズ混じりの音声が響き渡る。

> 「ID:M-319A──認証完了」
「記憶審問プログラム、開始」



 突如、校舎内の壁がせり上がり、光の柱が天井へと伸びていく。
 そこには、過去の記憶を映し出すホログラムが現れていた。

 「ここが……LAPISの“審問室”……?」

 ユリがつぶやく。朝倉は黙って前へ進み、床に浮かび上がる円形のパネルに立った。

> 「回答者:三枝美佳の記憶と人格パターン、相互照合を開始します」
「選択肢A:現行人格」
「選択肢B:補完人格“石原ミカ”」
「選択肢C:観測人格“無記名コードβ-7”」



 美佳は戦慄した。
 「現行人格」とは、今の自分。
 だが“石原ミカ”?“無記名”?そんな人物は知らない。……なのに、どこか胸がざわつく。

 「これは……どういうこと?」

 「君は、複数の人格を記憶によって生成されている」
 朝倉が口を開いた。
「“本当の自分”が、今この場で選ばれるんだ」

 「選ばれるって……じゃあ、選ばれなかった私は?」

 「消去される。“人格抹消”って名のもとに」

 美佳の背筋に氷柱が走った。
 ユリが眉をひそめ、言葉を継ぐ。

 「でも、それを止める方法がひとつある。
 “記憶の継ぎ目”──書き換えられていない断片を、あなた自身の意思で証明するの」

 突然、ホログラムが切り替わる。
 中学生のころの教室。制服の自分。そして──友達の笑顔。

 「この子は……誰?」

 「思い出して。あの日、教室の隅で泣いてた子に、あなたは何て言った?」

 (わたしは──わたしは……)

 「……泣かないで、わたしがいるから」

 ぽつりとつぶやいたその瞬間、ホログラムがまばゆい光を放ち、パターンBとCの人格が一斉にフェードアウトする。

> 「照合完了──ID:M-319Aの主人格を“認証”」
「記憶選定、完了」
「本プログラムは一時終了します」



 光が消える。
 その場にいた三人は、同時に息を吐いた。

 「……これで、終わったの?」

 美佳の問いに、朝倉はかすかに首を振った。

 「いいや、これは“始まり”だよ。
 LAPISはまだ都市全体に拡散してる。今もなお、誰かの“心”を統計の数字に還元してるんだ」

 ユリが最後に呟いた。

 「ここからが本当の審問。
 この都市に埋められた“選択”を、誰が下すのか──」

 旧校舎の天井が静かに開き、夜空が広がった。
 藍色の空。その奥で、無数の小さな光点が、黙して見下ろしていた。