箱の中から取り出されたキーが、美佳の掌で淡く光った瞬間、まるで都市全体が息を呑んだように感じられた。
静寂の中、彼女の選択が、確かにこの世界に波紋を起こし始めていた。
「よかったな」
と、隣に立つ純が小さく言った。
「うん……怖かったけど。でも、もう大丈夫。彩音の気持ちも、私の気持ちも、この中にあるから」
美佳はキーを胸に当てて目を閉じた。
記憶の世界に侵食していたあの奇妙な歪み──過去の改ざん、意図的な忘却、そして意識を失わせる「ノイズ」──その中心が、いま彼女の手の中にある。
彼女の選択は、「すべてを壊すこと」でも「過去を抹消すること」でもなかった。
それは──「記憶と向き合い、再構築すること」。
そのとき、空間がかすかに震えた。
都市の中枢、記憶ネットワークの深部に接続する鍵が回ったことによる反応だ。
目の前の白い空間が徐々にひび割れ、崩れはじめる。視界に現れたのは──
かつての教室。藍都学園都市の中心部、旧校舎の風景。
窓の外には変わらない校庭、掲示板、懐かしいクラスメイトの笑い声……そして、そこにいた。
「彩音……!」
七海彩音が、黒板の前でこちらを見ていた。
以前と変わらぬ制服姿。けれどその瞳には、もう悲しみの影はなかった。
「ようやく……届いたんだね。私たちの気持ちが」
彼女の声は、確かに届いた。幻ではない。
「彩音……」
美佳は駆け寄ると、彩音は静かに微笑み、首を横に振った。
「これは、私の最後の“記憶”だよ。私はもう、この場所にはいない。だけど……美佳の中に、みんなの中に、私が生きていた“記憶”が残っていれば、それでいいの」
純も、そっと後ろに立った。
「お前の気持ち、ちゃんと伝わったよ」
彩音は頷き、そして懐かしむように教室を見回した。
「ここで過ごした日々、私にとって何よりも大切だった。だから……ありがとう、美佳。選んでくれて」
「私こそ……ごめんね。気づくのが遅すぎた」
「遅くなんてないよ。気づいてくれただけで、嬉しい」
そして、彩音の姿は徐々に光へと変わっていく。
「それじゃあ、お願いね──未来の記憶は、あなたたちに託す」
その言葉とともに、彩音は完全に光となって消えた。だが、その微笑みは、美佳と純の心に焼きついていた。
──その日から、都市は変わり始めた。
LAPISは制御ネットワークの全面的な再編を発表。
「記憶を操作する」という機能は撤廃され、代わりに「記録と透明性」が重視されるようになった。
改ざんされていた過去の記録は復元され、失われていた記憶は、人々の手で丁寧に拾い上げられた。
藍都学園都市では、「記憶の図書館」というプロジェクトが立ち上げられた。
個人の記憶を保管し、許可を得た範囲で後世に伝える。彩音の遺志が、静かに、だが確実に都市に根付き始めていた。
そして、美佳は──
都市の片隅にある古びたベンチに腰掛けて、ノートを開いていた。
ページには、今日までの出来事が綴られていた。あの日のアンケートから始まり、出会いと別れ、そして選択の記録。
純が隣に座る。
「なあ、美佳。これからどうする?」
美佳は一瞬空を見上げ、柔らかく微笑んだ。
「……今度は、自分で未来を選びたい。誰かの問いに答えるんじゃなくて、私自身が問いかける側になりたいんだ」
「それ、けっこう面倒くさいぞ?」
「いいの。だって、それが“生きる”ってことなんでしょ?」
二人は笑い合った。
そして、美佳のペン先が再びノートに触れる──
次の章へと続く、彼女自身の物語が始まろうとしていた。
静寂の中、彼女の選択が、確かにこの世界に波紋を起こし始めていた。
「よかったな」
と、隣に立つ純が小さく言った。
「うん……怖かったけど。でも、もう大丈夫。彩音の気持ちも、私の気持ちも、この中にあるから」
美佳はキーを胸に当てて目を閉じた。
記憶の世界に侵食していたあの奇妙な歪み──過去の改ざん、意図的な忘却、そして意識を失わせる「ノイズ」──その中心が、いま彼女の手の中にある。
彼女の選択は、「すべてを壊すこと」でも「過去を抹消すること」でもなかった。
それは──「記憶と向き合い、再構築すること」。
そのとき、空間がかすかに震えた。
都市の中枢、記憶ネットワークの深部に接続する鍵が回ったことによる反応だ。
目の前の白い空間が徐々にひび割れ、崩れはじめる。視界に現れたのは──
かつての教室。藍都学園都市の中心部、旧校舎の風景。
窓の外には変わらない校庭、掲示板、懐かしいクラスメイトの笑い声……そして、そこにいた。
「彩音……!」
七海彩音が、黒板の前でこちらを見ていた。
以前と変わらぬ制服姿。けれどその瞳には、もう悲しみの影はなかった。
「ようやく……届いたんだね。私たちの気持ちが」
彼女の声は、確かに届いた。幻ではない。
「彩音……」
美佳は駆け寄ると、彩音は静かに微笑み、首を横に振った。
「これは、私の最後の“記憶”だよ。私はもう、この場所にはいない。だけど……美佳の中に、みんなの中に、私が生きていた“記憶”が残っていれば、それでいいの」
純も、そっと後ろに立った。
「お前の気持ち、ちゃんと伝わったよ」
彩音は頷き、そして懐かしむように教室を見回した。
「ここで過ごした日々、私にとって何よりも大切だった。だから……ありがとう、美佳。選んでくれて」
「私こそ……ごめんね。気づくのが遅すぎた」
「遅くなんてないよ。気づいてくれただけで、嬉しい」
そして、彩音の姿は徐々に光へと変わっていく。
「それじゃあ、お願いね──未来の記憶は、あなたたちに託す」
その言葉とともに、彩音は完全に光となって消えた。だが、その微笑みは、美佳と純の心に焼きついていた。
──その日から、都市は変わり始めた。
LAPISは制御ネットワークの全面的な再編を発表。
「記憶を操作する」という機能は撤廃され、代わりに「記録と透明性」が重視されるようになった。
改ざんされていた過去の記録は復元され、失われていた記憶は、人々の手で丁寧に拾い上げられた。
藍都学園都市では、「記憶の図書館」というプロジェクトが立ち上げられた。
個人の記憶を保管し、許可を得た範囲で後世に伝える。彩音の遺志が、静かに、だが確実に都市に根付き始めていた。
そして、美佳は──
都市の片隅にある古びたベンチに腰掛けて、ノートを開いていた。
ページには、今日までの出来事が綴られていた。あの日のアンケートから始まり、出会いと別れ、そして選択の記録。
純が隣に座る。
「なあ、美佳。これからどうする?」
美佳は一瞬空を見上げ、柔らかく微笑んだ。
「……今度は、自分で未来を選びたい。誰かの問いに答えるんじゃなくて、私自身が問いかける側になりたいんだ」
「それ、けっこう面倒くさいぞ?」
「いいの。だって、それが“生きる”ってことなんでしょ?」
二人は笑い合った。
そして、美佳のペン先が再びノートに触れる──
次の章へと続く、彼女自身の物語が始まろうとしていた。



