藍都学苑・中央棟の屋上。風が静かに吹き抜け、校舎の影が伸びる夕暮れ時。

三枝美佳は、手の中にある鍵をそっと見つめていた。七海彩音から託されたそれは、重み以上に意味を孕んでいるようだった。

「それ、本当に渡されちゃったんだな」

後ろから声をかけてきたのは、朝倉純だった。彼の表情は、どこか複雑で、それでもどこか決意を秘めている。

「彩音は……俺じゃなくて、美佳に渡したんだね」

「うん……でも、私もまだ何を開ければいいのか分かってない」

「彩音は、“心を開ける鍵”って言ってたっけ」

純はため息をつき、屋上の縁に背中を預けた。空の彼方で、群青色が濃くなってゆく。

「たぶん、あいつは俺たちにちゃんと向き合って欲しかったんだと思う。“過去”を、そして“今”を」

「……過去?」

美佳は思わず問い返す。

「美佳、知らないんだよな。俺がLAPISに入った理由。彩音が“消えかけた”日のこと」

彼の目が、遠い日を見つめていた。

「俺と彩音は、中学の時からの付き合いでさ。彼女はずっと、自分の存在に怯えてた。“誰かに見られることが怖い”って。だけど、同時に“誰かに見ていて欲しい”って──すごく矛盾した気持ちを抱えてた」

「……分かる気がする」

「ある日、あいつは“いらない自分を消す方法”を探し始めて……それが、“再構築プログラム”に触れたきっかけだった。でも、自分の意思じゃ制御できない。そこで、LAPISが動いた」

純はポケットから小さなペンダントを取り出した。それはかつて彩音が身につけていたものだった。

「俺は、彩音を止めるためにLAPISに入ったんだ。けど、結果的に、彼女を“システムに預ける”ことしかできなかった」

「……それで、後悔してる?」

「ずっと、してるよ。でも、美佳。今はもう、“何かを壊す”ためじゃなくて、“守るため”に、この場所にいる」

彼は静かに微笑んだ。

美佳は、握っていた鍵をそっと見つめ直した。

「この鍵で、誰かの心を開けることができるなら……私は、開けてみたい。彩音の願いも、あなたの想いも、無駄にしないように」

純は、ほんの少しだけ目を細めて頷いた。

「頼んだよ、“アンケートの回答者”さん」

夕焼けが、二人を優しく照らしていた。