「鍵──?」

美佳の声に、七海彩音は静かにうなずいた。旧校舎の中庭で再会したその姿は、どこかあの頃よりも大人びていたが、瞳の奥には変わらぬ熱が宿っていた。

「これ、あなたが持っていた方がいいと思ったの。私には、もう……開ける意味がないから」

彩音が差し出したのは、小さな金属製の鍵だった。LAPIS本部で用いられているような電子カードではない。鈍く光るその鍵には、古い刻印と、指に馴染むような摩耗が見て取れた。

「これは……どこの鍵?」

「“あの部屋”よ。私たちが最初に“アンケート”と出会った場所。覚えてる? 第一校舎の地下、資料保管庫の奥──」

美佳の脳裏に、封印されたような記憶がふいに蘇る。旧校舎が取り壊される前、進入禁止とされていた扉の先。かつて、自分たちが“無邪気な好奇心”で踏み込んだ場所。

「あのとき、何かを見た気がして……それ以来、夢の中で繰り返し出てくるの」

「そう。それが“アンケート”の原型──《prototype》よ」

彩音は、視線をそらさずに語る。その声に嘘はなかった。朝倉純や東郷翔でさえ知らない、“始まりの真相”がそこにはあるような気がした。

「でも、どうして私に?」

「あなたが──再構築に必要な“ピース”だからよ。たぶん、最初から」

風が吹き抜け、二人の間の沈黙をそっと撫でる。

「私ね、美佳……あの事件のあと、ずっと逃げてたの。本当のことから、LAPISから、自分の罪から。だけど、あなたは前に進もうとしてる。だから、“鍵”を託したかった」

「私も……怖いよ。全部、思い出したら壊れそうで。でも、誰かが開けなきゃって思ってる」

そう言って鍵を受け取る美佳の手は、少し震えていた。

「ありがとう、彩音」

その瞬間、屋上から誰かの影が見えた。立ち去ろうとする黒い人影。その輪郭に見覚えがある。──朝倉純だ。

「……つけられてた?」

美佳が立ち上がり、駆け出そうとしたそのとき──彩音がそっと肩を掴んだ。

「待って。彼もまた、“試されてる”だけ。怒りや不信では、真実に届かない」

美佳は一度呼吸を整え、ゆっくりと頷いた。

「なら、彼にも問い直さなきゃ。今度は私の意志で」

鍵は、まだ冷たかった。けれどその重みは、確かに“選ばれた者”だけが受け取ることを許されたものだった。

そして、美佳は知っていた。あの扉を開けたとき、すべてが始まり、すべてが終わるかもしれないと──。