その言葉を口にした瞬間、空間が静止したように感じた。

「“Hello, World”──それが、最後の命令?」

Type:Zeroの核に接続された制御装置が、一斉に警告音を鳴らした。天井の赤いカウントダウンが0へと迫るなか、美佳の意識は徐々に浮遊するような感覚に包まれていった。

空間が、軋む。

天井が崩れ、再構築空間の骨組みが露出する。光と闇が交差するその中心に、美佳の姿があった。

「制御コア、損傷率87%……応答不能。自爆プログラム作動まで、あと──20秒」

「これが……わたしの答え」

美佳は目を閉じた。脳裏に、あの教室の窓から差し込む午後の光が浮かぶ。そこには、七海彩音や宮下ユリ、そして東郷翔と笑い合う過去の自分がいた。

──それは失われた日常。けれど、間違いなく彼女が生きていた証。

(記憶を失っても、あの時間はわたしの一部だった)

「美佳!応答しろ!」

今度は、はっきりとした声が響いた。純の声。再構築空間の裂け目から、彼の姿が現れた。現実世界から無理やりリンクされた仮想のホログラムだ。

「純……来ちゃ、ダメだよ……もう、戻れないから」

美佳はかすかに笑った。

だが、純はその場に立ち尽くすことなく、美佳へと歩み寄る。

「戻れないなんて、誰が決めたんだよ。君がいなきゃ──この都市も、俺も、意味なんてない」

10秒前。

彼は、美佳の手を強く握った。

「俺と一緒に帰ろう。美佳」

瞬間──空間が完全に崩壊を始めた。コードが暴走し、言語化できない数式と演算が光の奔流となって弾ける。

9秒。
純の声が届かない。
8秒。
空間が反転する。
7秒。
「美佳……っ!」

6秒。

(……ありがとう、純)

美佳の意識が深く沈んでいく。

5秒。
そのとき――彼女の中に、別の声が響いた。

『プロトコルΩにアクセス。コード:再構築反転、承認──』

それは、有栖川玲の声だった。LAPISの開発者であり、プログラムの深層にのみ埋め込まれた“保険”──

「コード:Hello, World」は、“終わり”の合図であると同時に、“始まり”の鍵でもあった。

4秒。
3秒。
制御コードが反転し始める。

2秒。
光の奔流が、美佳と純を包んだ。

1秒。

──「再構築完了。記憶転送開始」




空白の瞬間が流れ、
次に美佳が目を覚ましたのは、病室だった。

真っ白な天井。電子音。かすかに揺れるカーテン。
そして、傍らに座る純の姿。

「……おかえり、三枝美佳」

その言葉とともに、美佳の目から一筋の涙がこぼれた。