「最も愛したものを──代償に?」

その言葉が、美佳の胸を撃ち抜いた。

何かが胸の奥から引き剝がされるような痛み。呼吸が浅くなる。目の前の光景が、ぐにゃりと歪む。再構築空間の内部はすでに崩壊の兆しを見せていたが、それ以上に、彼女の“核心”が危機に瀕していた。

(まだ……わたしの中に、大切なものが残ってる?)

そう自問した瞬間──映像が閃光のように走った。

──青空の下、教室で笑う少女たち。
──教科書を開きながら、ふざけ合う放課後の風景。
──誰かと手を取り合って走った、校庭の残像。

(違う……これは、わたしの……!)

声にならない叫びが空間に反響する。LAPISの再構築プログラムは、Type:Zeroの起動によって美佳の意識を完全に掌握しようとしていた。しかし、美佳自身の中に残っていた“最も愛した記憶”が、それに抗っていた。

「……誰にも渡さない……」

美佳の声が、かすかに震えていた。

「その記憶は……わたしが、わたしであるためのもの」

Type:Zeroの中枢に接続されていた制御フレームが一つ、砕けた。その衝撃で空間に奔流のような光の波が走る。記憶の断片が美佳を包み、その中心にひとりの少年の姿が現れた。

「朝倉……純……?」

彼の姿はぼやけていたが、彼女には確かに分かった。これこそが、美佳が一度も削除できなかった、唯一の記憶の核。

文化祭の日、彼と交わした約束。
冬の夜、雪の中で交わした言葉。
そして──あの日、彼が手を差し伸べてくれたこと。

(それが……わたしの、最も愛した記憶……)

『美佳、君はまだここにいるか?』

通信越しに、純の声が聞こえる。彼は、学園都市の地下から無理やり干渉しているらしい。だが、その声は不思議なほど真っ直ぐに、美佳の心へ届いた。

「……わたしはここにいるよ。まだ、終わってない」

そうつぶやいた瞬間、美佳の手のひらが淡い光を放った。彼女の中にある最も大切な記憶が、LAPISの再構築に抵抗するエネルギーとなって放出されていた。

「Type:Zero、記憶負荷制御不能──」

警告が再び鳴り響く。

「自己修復機能、作動不能。強制シャットダウンまで──30秒」

再構築空間の天井に、赤いカウントダウンが浮かぶ。だが、美佳はその数字を見つめながらも、すでに別の決意を固めていた。

(なら──わたしの手で、この空間ごと終わらせる)

彼女は心の奥底に封印していた“禁忌のコード”を呼び出す。それは、LAPISの初期設計者である有栖川玲によって、最終的な暴走を止めるために埋め込まれた自爆コード。

「“Hello, World”」

美佳は静かに呟いた。それが起動キーだった。

空間に亀裂が走る──