すべてが白に飲み込まれたあと、美佳は「音」のない空間で目を覚ました。そこには壁も床も天井もない。あるのはただ、何も記録されていない“初期化された世界”だけ。

 思考が宙に浮くような感覚。時間すら曖昧になっていた。

「……ここは?」

 声に出しても反響はなかった。足元を見ても、自分の影すら存在しない。

 “完全消去”──LAPISが最後のアンケートを実行した結果、この世界の記録は一時的にすべてリセットされた。藍都学園都市も、記憶も、関係も、名前さえも。

「でも……わたしは、消えてない」

 確かに、三枝美佳という存在はまだここにある。名前も、記憶も、意識も。だが、それはLAPISが“例外処理”として扱った結果なのか、あるいは彼女自身の意志が記録の外側に踏みとどまったからなのか。

 足元に、1つの青い光球が現れる。

 ──記録媒体:自己承認データ001 / 登録名:朝倉純

「純……?」

 青い光は、少しずつ形を変えていく。やがて、それは人の姿をとり始めた。だが、完全には戻らない。ぼやけた輪郭のまま、彼は立っていた。

「……お前が選んだ“再起動”、こうして俺も巻き込まれたらしい」

 声だけは確かに純のものだった。だが、彼の目は無表情だった。

「君は……記憶の中にいるの?」

「いや、記録の“狭間”にいる。完全な削除処理の中で、最後まで抗った者たちが一時的に存在できるバッファ領域。それが……今のお前がいる場所だ」

「じゃあ、他にも……誰か……」

 彼女が言いかけたとき、遠くにいくつもの微弱な光がちらついた。

 七海彩音、宮下ユリ、東郷翔、有栖川玲──彼らもまた、このリセットの中で何かを守ろうとした者たちだ。

「お前が決めたんだ、美佳。すべてを消してやり直すって」

 純の声に、責めるような響きはなかった。ただ、事実を確認しているだけのようだった。

「ねえ、純。私は、間違ってたのかな」

「それを決めるのは“記録”じゃない。“意志”だ」

 彼は、静かに微笑んだように見えた。ぼやけた顔の、その一瞬。

 そして──世界がまた、揺れ始める。

 完全な白の空間に、ほんの小さな「線」が走る。それは「はじまりの傷跡」。リセットされた世界が、新たな形を持ち始める予兆だった。

「これから、どうなるの……?」

「また、“問い”がくる。今度は、選択ではなく──行動を試される番だ」

 純の姿が、すうっと光の粒になってほどけていく。

「また、どこかで会えるよな。三枝、美佳」

 名を呼ばれた瞬間、彼女の足元にだけ“影”が落ちた。

 彼女の存在が、完全に“世界”へと再接続されようとしていた。