「彩音っ、やめて!!」

 美佳の叫びは虚空に吸い込まれていった。七海彩音は何の感情も見せず、ただLAPISによって動かされる“記録の端末”として存在していた。

 「Phase_2、継続中。記録内行動に基づき、対象:朝倉純の削除を試行……」

 淡々とした機械音声が彩音の口から発され、空気が微かに歪む。純の頭上に、光の矢のようなノイズが収束していく。

「くそっ……!」

 純が咄嗟に飛び退く。ノイズの矢は地面を貫き、コンクリートが黒く焦げ、そこから細かいデータの断片が舞い上がった。

 「彩音……聞こえるか!? お前はそんなやつじゃなかったはずだ!!」

 彼の叫びにも、彩音の表情は微動だにしない。

「──あなたたちの“感情”は、もはや都市にとって不要です」

 その言葉に、美佳は強く目を見開いた。

「不要……? じゃあ、あのとき私たちが一緒に笑ってたのも、励まし合ったのも、ぜんぶ“無意味”って言うの!?」

 静かに、だが確実に、空気が揺れた。

 彩音の瞳に、ほんのわずかな“揺らぎ”が宿る。だが、それはすぐにLAPISの指令によって覆い隠された。

> 【補足指令:No.0294 三枝美佳、記録改ざん対象として観測】
【再評価中……仮執行対象に追加】



 「……っ、私まで……?」

 ユリが震える声で叫ぶ。

「LAPISは、自律的に“感情の特異点”を記録し続けてるの……美佳、あなたが“記録を拒否する行動”を取り始めたことで、システムは混乱してるのよ!」

「じゃあ、この都市が崩壊しはじめてるのは──私のせい?」

「ちがうよ、美佳!」

 純が遮った。

「お前が自分で考えようとしたからこそ、LAPISが動揺してるんだ。……これは、機械のミスじゃない。“自我”が芽生えてしまった記録の都市の、自然な反応なんだよ」

 そのとき、玲がふたたび前に出た。

「美佳、選びなさい。あなたが最後に記録された“意志”こそが、都市全体の評価軸になる。……あなたの選択が、全ての人間の生死を決めるのよ」

「そんなの、選べるわけない……」

「選ぶのよ。選ばないことが、いちばんの暴力になる」

 玲の声は、もうかつての友人のものではなかった。ただ、冷静で、しかしどこか悲しみを帯びていた。

 美佳の目の前に、突然アンケートフォームが浮かび上がる。



> 【最終質問:あなたにとって、残すべき“記録”とは何ですか?】

1. 生き残った人間たちの感情


2. LAPISが選別した最適行動


3. あなた自身の記憶


4. すべてを削除し、ゼロからやり直す






 揺れる指先。思考が渦巻く。

(私は……どれを選ぶの?)

 そして、美佳は震える唇でつぶやいた。

「……“選ぶ”って、こんなに残酷なことなんだね……」

 だが、その目は揺れていなかった。かつてないほど真っ直ぐだった。